3 新人は距離なし
「ジークさんも連れて行ってもらえないかな?」
クラリーナから頼まれた内容に、ルシルは唖然としていた。
ジーク・ウェルナー。彼はアンジェリカの旧友で、ルシルのことをアンジェリカだと思いこんでいる。
レナードが冷たい声で尋ねた。
「それは、どういう判断ですか」
クラリーナは困ったように苦笑する。
すると、ジークが代わりに答えた。
「はい! 俺から隊長にお願いしました」
彼はルシルの顔を見て、朗らかに笑った。
「アンジェリカも記憶を失ったままじゃ、いろいろと不便だろう? 記憶を早くとり戻すためにも、俺がそばにいた方が都合がいいと思います」
真っすぐすぎる視線に、ルシルの胸は痛んだ。
(ごめんなさい……記憶をとり戻すのは、一生むりです……)
――そもそも、別人だし。
何も言えずにいると、レナードがずばっと切り捨てた。
「必要ない」
「あなたには聞いてませんが?」
レナードは静かにジークを見返す。声に出さなくても、その威圧感だけで脅すような雰囲気を発している。負けじとレナードを睨みつけるジーク。
不穏な気配を出している2人の間に、ルシルは割って入った。
「ちょ、ちょっと待って! ええっと……私も隊長のご判断をお聞きしたいです」
3人の視線がそちらに向かうと、クラリーナは困ったように言う。
「……もともと、新人教育は2人に任せるつもりでいたんだ。君たちは優秀で、状況にも余裕がある。教育を任せるなら、最適だと思ってね。それに、今回の事件は話を聞く限り、当面の脅威は高くなさそうだ。新人の研修には、もってこいだと思うのだけど……」
クラリーナは目顔で、「ごめんね」といった雰囲気を伝えてきた。
彼女もルシルの状況は理解してくれている。ルシルの正体がバレないように配慮はしてくれているが、今回の人員調整には都合がつかなかったのだろう。
騎士団は常に人手不足だ。ルシルとレナードの手が比較的空いている方であることは確かである。
「どうかな?」
「お断りします」
遠慮がちに聞いてきたクラリーナに、レナードはにべもなく言い放った。
「彼女もまだ新人だ。これ以上、新人を押し付けられては俺の負担が大きい」
「……噂で聞くより、冷徹な人なんですね」
ジークが不快そうに目を細めて、レナードを睨む。
「あなた、アンジェリカにも冷たく当たっていないでしょうね?」
「は?」
「そうだ、隊長。この部署では原則、2人1組で動いているのですよね? レナードさんはアンジェリカのことを迷惑に思っているようですし。いずれ、俺とアンジェリカでペアを組ませてはもらえないですか?」
「新人が勝手な口出しをするな。彼女のパートナーは俺だ」
「『新人』は、足手まといだったんじゃないですか?」
険悪な視線を交わす2人。ジークはレナードから顔をそらすと、ルシルの方を窺った。
「アンジェリカはどう思う? 俺のこと、本当に何にも思い出せないのか?」
「ええっと……、私……」
――できれば、ジークとは関わりたくない。
彼と接する機会が多くなれば、いつかボロが出て、アンジェリカでないことがバレてしまうだろう。
だけど、彼を拒絶する理由も思いつかない……!
もし、自分が本当に記憶喪失になっていたとしたら、早く記憶をとり戻したいと思うだろう。そして、過去の自分を知る人物が現れたら、チャンスだと考える。記憶をとり戻すためにも、積極的に関わりを持とうとするだろう。
それが普通の反応にちがいない。
ここでルシルがジークを拒絶すれば、それはそれで、彼に怪しまれてしまう可能性がある。
(ああ、また繊細な演技を要求されてる……! こういうの苦手なんだけど! でも、ここはこう答えるしかないような……)
ルシルは腹をくくって、言った。
「ジークさんのこと、思い出せなくてごめんなさい。でも、その……思い出したいとは思ってます。だから、私……今回の任務、ジークさんと一緒に行きます」
ジークは少し切なそうに眉を下げる。
「そんな風に他人行儀な呼ばれ方をされると、ショックだな。いつもみたいに『ジーク』って呼んでほしい」
「えっ? あ、はい……、じゃなくて、うん……? よ、よろしくね、ジーク」
「うん」
ジークは複雑な感情を振り切るように、にっこりと笑った。青空のような爽やかな笑顔だった。
「アンジェリカが俺のことを思い出してくれるように、俺も頑張るよ」
ルシルの言動1つで、ジークの表情がころころと変わる。それほど彼にとって、『アンジェリカ』の存在は大きいということだろう。
(どうしよう……。ジークって思っていた以上に、アンジェリカのことが好き……?)
アンジェリカが記憶喪失になっていると思って、彼は本当に寂しそうだ。
そして、いつかは自分のことを思い出してくれると思っている。
――だけど、その日は永遠に来ない。
ここにいる『アンジェリカ』は、ジークの知る人物ではないのだから。
ルシルの胸は、つかまれたように苦しくなった。
(私がアンジェリカじゃないってこと、ジークには絶対にバレちゃいけない……。でも、それってずっと彼を騙し続けるってこと? 本当にそれでいいのかな……)
◇
3人はその後、すぐに箒で飛び立った。
街の上空を飛行しながら、ルシルは考えこんでいた。
(まず、いろいろと確認しなきゃいけないことがあるわ)
アンジェリカとジークの関係は、どんなものか。
アンジェリカは実は闇纏いであったが、そのことをジークが知っているのか。
それによって、今後の対応を変えなければいけない。
(とりあえず……迂闊なことは、しないように注意しなきゃね)
ルシルの肩の上では、ココが羽を休ませている。すると、隣にジークが飛んできて、言った。
「アンジェリカ! 使い魔を持ったのか?」
そこでルシルはハッとする。
アンジェリカは使い魔を持っていなかったのだろう。
とはいえ、誤魔化す方法もないので、こう答えるしかない。
「ええ、つい最近ね。ココちゃんよ」
「そっか、可愛いな」
ジークはにこりと笑ってから、続ける。
「でも、おかしいな。アンジェリカって、鳥が苦手じゃなかった?」
(ぶっ……!)
さっそく『迂闊なこと』をしてしまい、ルシルは慌てた。
「こ……この子だけは特別。ほら、とっても可愛いでしょう?」
「うん」
ルシルが取り繕うと、ジークは疑いもせずに頷いている。にこにこしながら、ルシルとココを眺めた。
「確かに、その子ならアンジェリカでも大丈夫そうだな」
とりあえず、彼が純真な性格で助かった……!
彼はアンジェリカに傾倒している様子である。こちらの言うことを微塵も疑おうとしない。
「えっと……、ジークには使い魔はいないの?」
「あ、そっか。それも覚えてないんだよな」
「……ごめんなさい」
「いや、無理に思い出そうとはしなくてもいいよ。少し、寂しいけどさ」
ジークは切なそうに笑った。
「俺には今、使い魔はいないよ」
その時、後ろからレナードが声を上げた。
「近すぎる。もっと離れて飛行しろ」
「は? 別に俺たちの勝手じゃないですか?」
「……箒同士が衝突すれば、事故になる可能性がある」
「それは……まあ、そうだけど……」
ジークは渋々と箒を後退させた。
ルシルが振り返ると、レナードがふてくされたような表情をしているのが見えた。……先輩としての忠告というよりは、ルシルにジークを近づけさせたくなかっただけのような気がする。
空には気まずい空気が流れる。
レナードが少しバツの悪そうな顔をしてから、ジークに話を振った。
「君と彼女は、どんな関係なんだ。一緒に住んでいたと言っていたが……」
「別に恋人とか、そういうわけじゃないけど、幼馴染なんだ。一時期、一緒に住んでたこともあるから、家族でもある」
「家族……?」
レナードは訝しげに眉をひそめる。ルシルも気になって、箒の柄をぎゅっとつかんだ。
しかし、詳細を尋ねようとした時、
「あ、ほら、隊長が言ってたのって、あのカフェだろ?」
ジークが指を差して、箒のスピードを上げる。そちらに視線を向けると、目的地が見えた。
ルシルとレナードは顔を見合わせる。レナードは苦い顔をして、ルシルは肩を竦めた。
2人はジークを追いかけて、箒の高度を下げた。
ランドゥ自然公園のそばに、そのカフェはひっそりと建っていた。
一般住宅の並びに溶け込むような外観で、知らなければ通り過ぎてしまうだろう。扉には『カフェ・ローワン』というプレートがかけられている。
扉を開けると、ドアベルの軽やかな音が響いた。ふわりとコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
壁は柔らかなベージュ色。観葉植物がさりげなく置かれ、棚にはドライフラワーが飾られている。どのインテリアも、店主の洗練されたセンスを感じさせた。
今は閉店中のため客の姿はないが、普段であれば常連たちの談笑が絶えないのだろう。そんな居心地のよさにあふれる空間だった。
「あ……騎士団の方ですね。お待ちしてました」
奥のテーブルには、1人の女性が座っていた。
ルシルたちに気付くと、立ち上がる。
モスグリーンのエプロンを身に着けた、20代半ばの女性だ。長い黒髪を後ろで1つに結んでいる。
彼女の姿を視界に入れると同時に、ルシルは硬直した。
――知っている。
懐かしさに胸が、きゅうと絞られる。
(え……まさか依頼人って……)
脳裏をセピア色の思い出がよぎっていく。
それは、ザカイアと出会う前の平和な学校生活。
ルシルは普通の学生で友人もいた。
そのうちの1人――ベラ。
『私、使い魔は絶対に、ピーちゃんにするって決めてるんだ』
『ルシルは強いよね。強いけど……でも、本当は傷付かないわけじゃない。私、もう……友達にひどいことはできない!』
ルシルにとって、彼女はかつて一番の友人だった。





