1 英雄とパートナー
――レナードと仕事で、パートナーになってしまった。
ルシルは放心していた。
自分のデスクに戻っても、やる気が出ずにぐったりとしていると、
「アンジェリカ、聞いたわよ」
声をかけてきたのは、先輩職員のケイリーだ。隣のデスクから、こちらを気遣うような眼差しを向けてくる。
「まさか新人のあなたが、英雄と組むことになるなんてね」
「先輩……替わってもらえませんか?」
「無理」
ケイリーはくすくすと笑いながら言った。
この騎士団には、レナードの熱烈なファンが大勢いるが、ケイリーにそういう趣向はないらしく、一歩引いた態度である。だから、ルシルは彼女には安心感を抱いていた。
ケイリーは自席で紅茶に砂糖を入れながら、
「それにしても、あなたも珍しいわね。最近、ここの就職を目指す人って、ほとんどがレナード目当てなのに」
「彼、どこに行っても人気ですもんね。先日の魔法学校でもすごかったですよ」
「でしょうね」
ケイリーはほほ笑んで、カップを両手で包む。上品な仕草で、湯気に息を吹きかけた。
「32件よ」
「え……?」
「ここ数年で、レナード絡みで起きた問題の数。彼を狙う女性職員が暴走したり、職員同士でつかみ合いのケンカに発展したり。あとは、『女房が英雄に惚れて、離婚したいと言ってきた! どうしてくれる!』って怒鳴りこんでくる一般人もいたりとか」
「うわ~……」
想像するだけでルシルはげんなりとする。
「だから、最近の新卒はレナードに興味がなさそうな人をとることにしてるらしいの」
「それで、アン……私が?」
「そういう側面もあるかもね」
ルシルはアンジェリカの家を思い出す。彼女の私物は多くなく、内装もシンプルだった。唯一特徴があったのは、甘いものがたくさん常備されていたということくらいだ。レナードに関わるような雑誌やポスターも1つもなかったので、彼女はレナードに興味がなかったようである。
「本当はこの職場では、2人1組で行動することが規則になっているんだけど、レナードの場合は特別よ。ペアを作る方が問題を起こすからってことでね。長年、彼は1人でやってきたの。それなのに……」
そこでケイリーは身を乗り出してきて、
「それがいったい、どうして突然、あなたとペアを組むことになったの? もしかして、あなた、実は彼と付き合ってるとか?」
「ないないない! ないです!」
ルシルは必死で手を振る。ケイリーはくすくすと笑いながら続ける。
「もしそうだとしても、そのことは周りには秘密にしておいた方がいいわよ。……まあ、あなたとレナードがペアを組んだという話は、遅かれ早かれみんなに伝わっちゃうと思うから……いろいろと面倒なことになるかもしれないわね」
「うげ~……」
ルシルは再度ため息をついて、机の上に倒れこむ。
――そういうことは、実は昔、一度体験しています!
なんてことは、口に出しては言えないけれど。
でも、ルシルは身をもって知っていた。魔法学校時代はレナードと仲良くしていただけで、周りの女子から妬まれて、散々嫌がらせを受けるはめになったのだ。
ケイリーはルシルの様子を見て、くすくすと笑う。「頑張って。何かあったら、相談に乗るからね」と、ルシルの机にチョコバーを乗せた。
ルシルは騎士団のエレベーターに乗って、高層階へと向かう。
そこは留置場となっていた。出入りはエレベーターでしか行えず、そのエレベーターも専用のカードキーがないと動かせない作りとなっている。
ルシルは足早に廊下を突き進んだ。牢からたくさんの好奇の目を向けられる。その多くが闇纏いなので、心臓に悪すぎる。
「よう、先日のおチビさん……俺と遊ぼうぜ?」
鉄格子をつかんで、ニヤニヤとしているのはダリオスだ。ルシルは彼を完全に無視して、奥の牢へと向かった。
牢の中を覗きこむと、1人の少女が壁に寄りかかって座っている。
「ポリーナさん」
声をかけると、ポリーナは力のない笑みを浮かべた。
「アンジェリカさん……来てくれたのね」
「あなたに知らせたいことがあってね」
少しやつれているようだが、まだ笑顔を浮かべるだけの元気はあるようだ。
ルシルは牢の前に佇んで、彼女にほほ笑みかけた。
「レベッカさんたちが自白したそうよ。あなたの使い魔を殺したのは自分たちだって」
「え!?」
ポリーナは立ち上がって、そばへとやって来た。
「それ、本当!?」
「ええ。それで彼女たち、退学処分になったって」
「あいつらが……自分の罪を認めたなんて本当……? でも、どうして?」
「さあ」
ポリーナはしばらく呆然としていたが、徐々に喜びを実感できたらしい。その目に光が戻っていく。
「アンジェリカさん、ありがとう。約束を守ってくれたのね」
「私は何もしてないわ」
「……うそ」
ポリーナはこちらをちらりと見上げてから、くすりと笑う。
「認めてくれなくても、私はあなたに感謝するわ。ありがとう。不思議な新人騎士さん」
「あなたにも情状酌量の余地は認められると思う。とはいえ、闇魔法に手を染めた罪は重いわよ」
「……ええ。わかってる」
「それじゃあ、そのことを教えてあげたかっただけだから」
ルシルはそう言って、彼女に背を向ける。
「待って。アンジェリカさん。1つお願いしてもいい?」
「なに?」
「お金は払うから、買って来てほしいものがあるんだけど……。その、チーズや果物を少し」
「え?」
ルシルは目を丸くして振り返る。すると、ポリーナの髪に隠れていた鼻先が現れた。ひくひくと小さな鼻をひくつかせている。
彼女の新しい使い魔のネズミだ。
「……この子に」
ポリーナは照れたように告げてから、ネズミの頭をそっと撫でた。ルシルはじんわりと笑みを浮かべ、
「もちろん」
その頼みを快諾した。
エレベーターで降りて、執務室へと戻る。扉を開けたところで、レナードと鉢合わせた。
ルシルは内心で、「うわ……」と思ってから、横へとずれて道をゆずる。しかし、レナードはなぜかその場で立ち止まり、ルシルへと視線を送ってくる。
その視線に居心地の悪さを感じて、ルシルは気付いてないふりで、壁に貼ってあるポスターを見上げていた。
レナードが冷ややかな声で告げる。
「新人、ついて来い」
――そのまま立ち去ってほしかったのに。
と思いながら、ルシルは内心でため息を吐く。
「……新人って呼ぶの、やめてくれます? アンジェリカです。それに、今からお昼休みなんだけど」
「ああ。だから、昼食に行く」
「へ!?」
――いきなり何を言い出すのか。
そんな思いが強すぎて、つい素が出てしまった。
「私と、あなたで? 何で!?」
「不満なのか」
「え!? えっと……だって」
本音を言うなら、勘弁してほしい。
レナードと一緒に外に出たら、どんな目に遭うのか。想像がつくので胃が痛い。
ルシルが必死に言い訳を考えていると、
「いいから、来い」
レナードが強引に手首をつかんで、歩き出した。ルシルはよろけながらも、彼に続くことになり、
(ちょ、ちょっと~! 他人への気遣いまで、どこかに大暴投してきたの、この男!?)
内心で悪態をつきながらも、無駄にすらりとした背を睨みつけた。





