9話 退却(ただし、牽制と重い愛を含んでいるものとする)
下山した私を待っていたのは、右手にナイフを携えて体をほぐすライユでした。
この国になじむ軽装ではなく、私同様に鎧を纏う彼の目は厳しい。
周囲に薄く黒魔法の靄がかかっていて、既に魔法を使ったことがわかる。
普段お調子者の男だけれど、私とともに革命を先導して生き残った大切な仲間。
「ライユ、戻った」
「おう、おかえり。調子はどうよ」
「かなり消耗しているが、それ以外は問題ないらしい。よく眠っている」
「それもそうだけど。メイシュウ、お前のことだよ」
ライユの言葉に少々気を引き締める。
私のことを本当の名前で呼ばないときは、周囲を警戒すべきという証拠。
私も気配にはある程度敏感だけど、ライユはその比ではない。
そして今の彼は、臨戦態勢をとっている。
「左手ひどかったぞ。オレが途中で止めなかったら引きちぎられててもおかしくなかったろ」
「どうせすぐに治る。大したことはない、王妃を助けるためのことは何でもする」
「まったく、ぞっこんだこと。ねーちゃんとエンガにも見習ってほしいぜ」
「ライユ、それは」
「わーかってる、本人たちには言わない。それより、どうする?黒血王」
笑って私に考えを仰ぐライユ。でもその瞳には隠し切れない怒りがある。
言うまでもない、華の国が私たち黒の国の三人にした嫌がらせの精算。
わざわざ呼びつけて面倒な神を処理させようとした挙句、王妃を消耗させた。
我らを出生で、性別で、建国したばかりだからと下に見ている。
正当な抵抗をしたのに身の程をわきまえろと踏みつける。
それは、私たちが革命を起こした原動力。
「祠の管理人が血相変えてオレを呼んだのに、貴族のやつらが山に入らせてくれなかった。『卑俗な生まれのくせに』『血にまみれた王の犬』『国を乗っ取って即位する簒奪者』だーってさ」
「いつものことだろう。前から変わらん」
「そーね、全部当たってるし。でも、あれがやばい神ってわかってお前に押し付けて、オレが助太刀に行けないように足止めまでした。全部気に入らねえ」
「革命のときにこの国も打撃を受けたんだろう。正当な嫌がらせだ。私たちは民を虐げるもの達から奪い、国の仕組みを変えただけなのに」
「それが不都合だった側の人間だろ。オレ、すこーし灸をすえてもいいかなって思うワケ」
何に、誰に灸をすえるか。
ライユにはこの国の偵察をお願いしたから、もう報復相手は彼の中で決まってるんでしょう。
戦いが好きなライユのことだ、私の命令があればすぐに走り出す。
彼は私の「敵を斬れ」という命令を待っている。
目を爛々と光らせて、待てをする大型犬のよう。
「今はいい。武器を戻してこい」
「は?いいのかよ。これでこの国のやつらが付け上がったらどーする」
「その時は、しっかり潰せばいい」
腕の中の白く、華奢な彼の顔を眺める。
誰よりも強く、気高く、尊い彼が過ごしたこの国をすぐに潰すのは忍びない。
祠への報復も止められてしまったし、不完全燃焼なのは間違いないのだけど。
「王妃が『祠を壊すな』といった。国際問題になっても困るからな」
「祠じゃなくて人間なら別によくない?……あ、嫌われたくないんだ?」
「そんなことは」
「いーや、あるね。お前、これまでだったら王として、先導者としてそう言う見逃しはしなかったし」
納得がいかないらしいライユの分析は図星ばかりつく。
でも、何も間違っていない。
『彼に嫌われたくない』というのは、今の私の一番の望み。
彼に害をなした神でも、彼が望むなら叶えたい。
それに、彼がいる前で私の戦う醜い姿を見られたら、きっと離れてしまう。
コレが、今の私にできる唯一の献身で、彼が知らなくていい愛情の示し方。
「そんなに言うなら、次に害をなすようなら潰していい。だが、いたぶりすぎるなよ」
「それなら了解~。んじゃさっさと帰ろ、ちゃんと休ませたいでしょ」
「ああ。馬車を頼む」
「はいはーい」
剣呑な雰囲気はすぐに消して、いつもの軽いライユが顔を出す。
足が速い彼は、すぐに目の前から消えていった。
あれでいて姉弟揃って世話好きなのだ。私たちが迎賓館につく頃には、きっと帰りの準備を万端にして待っていることでしょう。
私の最も信頼のおける、一蓮托生、黒の三傑が一人。
革命での彼の黒魔法を用いた探索をもって、敵の懐に潜り込んでいく。
一流の暗殺者。
彼の人柄からは考えられない性質。昔のライユにはなかったもの。
(私が黒魔法の契約に巻き込まなければ、三傑全員もっと幸せだったろうに)
黒の国の三傑、そして私と、私の腕の中で眠るレオニスさん。
皆、魔法によって運命を捻じ曲げてしまった者たち。
『魔法にその身を染めた者は、力と引き換えに幸せにはなれない』
そんな古くからの言葉を思い出す。
「それでも、それに抗う。大切な人たちのために」
私は全身から黒魔法の靄を出す。
レオニスさんを抱える今、ライユが警戒した華の国の勢力とは戦いたくない。
「『馬車に乗るまで私たちの姿を隠せ』」
魔法に呪文はない。
想像力と気力と、己の思いが揃って実現する。
私たち二人を覆いつくし、姿を周囲に溶け込ませる黒い靄。
隠れるような使い方は私の苦手とするところだが、今はこれが最善だ。
目に見える力に干渉する黒魔法こそ、今のレオニスさんを守る最高の剣。
そして私たち三人は早々に華の国を立ち去った。
帰りとは違い、馬車の中ではレオニスさんの寝息だけがかすかに聞こえる。
寝顔は安らかで、祠の木陰にいたときよりもずっといい気がした。
彼を連れ戻せたのなら、今痛む左腕なんて安い。
(あなたが私の腕の中で眠る今が、ずっと続けばいい)