5話 反抗(ただしそれぞれに信念があるものとする)
もう王妃らしく黙って見てられねぇ。
黒血王に掴まれている腕に爪を立てて、何度も拳を打ち付ける。
いきなりの俺の行動に驚いた奴は、俺を止めたくて手を伸ばす。しかし、その手は俺に触れることなく空中にあるまま。
「レオニス殿、おやめください。私はあなたを止められるほど力加減が上手くはないのです」
焦ったような小声で俺に告げる黒血王の言葉は、圧倒的強者のもの。
だが、今の言葉は王妃ではなく俺に向けられたものだ。であれば返すことは一つしか無かった。
「神を「モノ」扱いすんな。聖女の国舐めんなよ」
同じ瞬間、祠の方からオヤジの大声が飛ぶ。
どこか恨みのこもって、ガラッガラになった慟哭が、耳を刺す。
「お前の黒魔法は悪魔に魂売ったから手に入れたんだろうが!どうしておれたちの気持ちがわからない!」
俺の言葉とオヤジの叫びのどっちが効果的だったかなんてわからない。
ただ、黒血王の手が緩んで俺が自由になったことだけが事実だった。
奴の手を抜けて祠へ走る。
靴擦れは痛ぇからもう動きたくないし、ひらっひらの服は走るのに向いてなさすぎる。
50メートルほどしか離れなかったその距離を、早く縮めたくて、オヤジを助けたくて、「神」とされたものを救いたくて。
脳裏に、ガキの頃から妹と教え込まれたことが甦る。
『聖女は神にお仕えするのです。光魔法は見えないものを守るため、深く沈むための魔法。神に愛されたものしか行使できない奇跡』
染み付いた俺のプライド、俺の存在意義。
神が何かを訴えているなら、見て見ぬふりはできなかった。
「お、王妃さま!?あんたどうして」
「祠から離れなさい!危ないですよ!」
鬼気迫る表情で向かってくる俺が相当にひどかったんだろう。腰を抜かしながらもオヤジは祠から距離をとる。
その瞬間、空間の歪みがさらに大きくなった。
人ではないものの気配が、俺に向かって一直線に手を伸ばすのが肌で感じる。
『れおにす、れおにす、まっていたよ』
俺の名前を呼ぶその神に、俺は手を伸ばす。
その瞬間、俺は既視感の正体に気がついていた。
感情の昂りと、光魔法の行使によって俺の体を白い霞が包む。
魔法というものは呪文が存在しない。
だからこそ、行使するときは心の底から思い、願え。
「『会いに来たぞ、俺を愛してくれた神(友)』」
祠に触れた瞬間、俺は光に包まれる。
見えないものに深く沈み込む感覚は、魂が光魔法を成功させた証。
「レオニスさん!」
背後に感じていた鎧の重々しい音。
俺の本名を叫ぶ声。
だけど俺は耳を傾けることはしない。
そして俺は、魂の抜けた体を黒血王に晒すことになった。
・・・
光魔法は、眩い光を放ってレオニスさんを連れて行ってしまいました。
レオニスさんが祠に触れた直後、私は彼の肩に触れられました。
ですが一歩、間に合わなかったのです。
彼の体は私の手が沈むように膝から崩れ落ち、咄嗟に抱きかかえることはできましたがすぐに「彼はここ(体)にいない」と理解しました。
「お、王妃サマ!?あんた、どういうことだよ!倒れちまったじゃねぇか!」
ここまで私達を誘導してきた男はひどく狼狽している。
彼の華奢で真白で、おまけに軽い体を抱きしめながら私は怒りを堪えていた。
「……どうか、二人だけにしてくれ。それと、迎賓館付近にいるライユという浅黒い肌の男を今すぐここへ連れてこい」
「なぁ、おれのせいか?おれが祠なんとかしてくれって頼んだから……お医者を呼ぶよ!な?そしたら目覚めるよな!?」
「聞こえなかったか?ライユを呼んでこいと私は言った。医者は今いらん」
命を止めてしまったたように呼吸すら弱くなった彼と、指示通りさっさと動かない男に苛ついてしまう。
この男が華の国に祠の依頼を出さなければ。
華の国からのこの依頼が、私を……ひいてはレオニスさんを嵌めるものであると気づいて回避できたら。
すぐにこの祠がレオニスさんを引き込めるほど強いモノが入っていると見抜けたら。
レオニスさんが祠に触れるよりも先に私が手を伸ばせていたら。
目の前の男に当たってもしょうがないことを理解はしている。だが、今はなんとか自分の内側からあふれそうになる感情と黒い靄を抑えるので精一杯。
「あんた……泣いてるのか?血も涙もない血みどろ王にも、そんな相手がいるんだな」
「見るな。お前は言われたことすらできないのか?私が怒りに任せてこの祠を壊す前に、さっさと走れ。2度は言わん」
「お、おう!待ってろ!おれの全力なら40分もありゃ戻れるからな!だから……神様を怒らないでくれよ」
「善処はしよう」
走り去っていく男の足音を聞きながら、私は祠を睨みつけた。
レオニスさんの光魔法が行使されている影響か、祠が抱えていた歪みが和らいで白く淡く発光しているように見える。
光魔法は魂と誇りを持って他者に寄り添う奇跡。
今、彼はその奇跡を以って祠にいたモノに寄り添っているのだろうか。
「私には、なぜそこまでするのか理解できません。あなたは、寄り添いすぎる。あの頃も、今も」
彼を右手に抱え直して、左手で祠の縁を掴む。
「神様のいるところにそんな乱暴に触れるな」とあなたなら言うでしょうか?
ですが、これが私の選ぶ道で、私しかできないあなたを救う方法。
黒魔法は、目に見える破壊と武力の魔法。
目に見えない相手に触れるのは実に不得手で、レオニスさんのように深く沈むのは難しい。
しかし、白魔法と黒魔法は対極の相似とされている。
であれば、私がこのモノ(神)に干渉することはできる。
「『私の道しるべを返してもらおうか、傍観者』」
私から発生した黒魔法の靄が、蜘蛛が獲物を捕らえるように覆っていく。
白かった光に、黒いものが徐々に徐々に混ざって、神の領域を侵していく。
祠を包む空間が、歪を超えてヒビが入ったのを確認した時、祠に触れている左手から血が滲み始めていた。