4話 ハイキング(ただし嫌がらせがあるものとする)
1時間前には黒の国の高そうな馬車に乗っていたというのに、今自分の周りにあるのは無造作の自然と土の気配。
舗装はされていない、草木が抜かれているくらいで、ゴロゴロ石が転がっている悪路。
馬車も入れず、人の足でしか到達できない山奥を目指して俺と黒血王、そして華の国迎賓館で紹介された案内人は進んでいた。
履き慣れていない踵の高い靴に、たくし上げないと確実に土でドロドロになるスカートの裾を「聖女っぽくお上品に」引き上げながら進むのは重労働だった。
「大丈夫ですか。もう私が抱えますよ、この道をその靴で歩くのは危険です」
鎧を着ての道行なのに、汗一つかいていない黒血王は、眉を下げて心配そうに俺に手を伸ばした。
黒魔法というのは筋肉に作用しているのかと思うほど、フィジカルが強すぎる。
隣を歩く俺と比べると、相当差がある。
無様に息を荒くならないよう細心の注意を払っても、吐息は漏れるし汗が噴き出る。
だが、俺はどんなにキツくてもそれをはねつける。
「いいえ、これは王であるあなたにいただいたものですから。そんなことしません。装飾の美しい、かかとの高い靴と金魚のヒレのような情緒ある服。とても見事ですから脱ぐなんてとんでもないです」
「すみません……でも、どうか手を引くだけでも許してくださいませんか。光魔法の使い手は体があまり強くないのでしょう」
俺たちの前を歩く案内人の耳がある前だから、王妃として言葉荒く言い返せないのが歯がゆい。
でも、俺に許可を求める王が俺を心配しているように聞こえるのはよくわかる。
事実、光魔法……聖女の国では「聖女の奇跡」とされるそれは、俺の体を侵している。
「聖女の魔法をよくご存知ですね。しかし、馬車でのこと、思い出してくださいな?それがすべてです」
「私はあなたを守るんです。それに靴ずれしていますよね?血が滲んでいます、どうか手を取ってください……華の国の奴らめ、私だけならまだしもあなたへの嫌がらせなんて」
「なぜそこまでわかるんでしょう。痛みは慣れていますのでご心配なく」
俺の靴擦れを見て、ぶわりと常人には見えない黒魔法の霧が奴から漏れ出す。
人を殺すようなツラになって、迎賓館からこんな山奥まで徒歩で案内しだした案内係に殺気さえ向けている。
実際、嫌がらせは入っているだろう。迎賓館に入ったものの早々に追い出され「貴方様の魔法で解決して欲しい案件があるから、案内係についていけ」しか言われずに今この状況だ。
お前が言ったのだ。属国でも敵陣だと。
「せめてライユがいれば、代えの靴を手配できたのですが…あいつには華の国の偵察を頼んでしまいまして」
「本当に昨日の今日で過保護が過ぎませんか?わたしたちの関係性、しっかりご理解くださっていますか?」
「はい。あなたは私の守るべき相手で、道しるべ、そして幸せにしたい相手です」
「わたし達の理解に大きく差があることしか理解できませんね」
「お〜いお二人さん!新婚でアツいのはわかるがもう着くぞー!」
俺達のやりとりのどこをどう聞いたのかわからないが、能天気に案内役のオヤジは道の先で手を振っていた。
俺も黒血王もこんな動きにくい格好で登山だというのに、自分は麻の動きやすい服着やがって。
華の国は、黒血王率いる革命軍に占領され、何人かの貴族はそれによって国を追放されたらしい。
それで内政は多少揺れたみたいで、苦労はしたんだろう。
黒の国が気に入らないが、大きく報復をすることはできないからこんなイビリみたいなことをしているのかと愕然とする。
俺が留学していた頃はこんなことはなかったのに、黒血王のこいつが一体この国にどれだけのことをしたのかが透けて見えるようだった。
「はいはい。ここまでお疲れ様でした〜、これがお二人に見て欲しかった祠だよ」
案内役のオヤジが足を止めたのは、あまり手入れされていない石組みの小さな小さな建物だった。
木々に囲まれ、日差しを受けて爽やかに揺れる葉の音や風がよく似合う祠。
聖女の国にはないそれは、黒の国と華の国に共通する神の住処。
だが、異質なのはどこか空間が歪んでいることだった。
「この国の柱みてぇな神だったんだが、今はこの通りだ。5年前まではなんとかおさまってたんだが、ここ最近は近くを通ると変な気配がしてきたんだわ」
オヤジの言葉で、この歪みが普通の人間には見えていないことがよくわかった。
祠は、どこか見覚えがある。
留学中、俺はここに来たことはなかったはず。この国の他の場所で似たものを見たのかもしれない。
しれっと俺の隣に立つ黒血王を見上げるが、俺の視線には気づかずにオヤジの話を聞いてた。……いや、さりげなく俺が祠に近づきすぎないように手で制してやがる。
黒魔法の使い手のコイツには、間違いなく俺と同じ空間の歪みが見えているんだろう。
「おれの家は代々この神様を管理してるんだが、5年前からは触れるだけで具合が悪くなるから満足に手入れもできやしねぇ。ガキの頃からそばにいて、いつも一緒だったのに何もできねぇのが歯がゆくてよ」
仮にも他国の王族相手だというのに、舐めてるのか、元々の性格なのかはわからないが言葉遣いがざっくばらんなオヤジ。
だけど、代々守ってきたものに誇りってやつがあるんだろう。少し涙ぐみながら俺達に話続けた。
「でもよかった!確か、黒血王は何でもできるんだろう?黒魔法ってのは、聖女様の魔法と並んですげぇんだろう!?確かに先の侵略の恨みはあるが、あんたのおかげで腐ったこの国は変わりつつある!この国の貴族連中はあんたを嫌ってるが、おれみたいな奴にもおまえさんを寄越して助けに来てくれた!」
「あいにくだが、見込み違いだ。私にそのような力はない。妻に毒なので失礼する」
オヤジの必死の訴えを、奴は却下した。
冷たい目で、人を見下ろせる体躯で、どこかに激情を抱えて。
オヤジには見えないだろう、黒血王から立ちのぼる黒魔法の霧が奴の体を覆っている。
魔法の発動ではなく、精神の乱れによって引き起こされたものだ。
「ちょっと、そんな言い方!案内人の方があんなにお願いしているのに毒だなんて」
「お忘れですか?ここは敵陣、そして私を嫌う国の上層部がわざわざお願いしてきた案件がこれです。……触らないほうがいい神に決まっている。人間は簡単に支配できますが、あれらは理と考え方から話はほとんど通じません」
黒血王はそれだけ言うと、俺の手を掴んで元来た道を進み始める。俺があれだけ拒んでも自分から触れようとしなかったのに、今は何が何でもここから離れようとしていた。
「そんな、助けてくれよ!おれらの神様なんだ、おれたちに恵みをくれたんだ!この国を見守ってきてくれた、優しい方なんだよ!」
「生憎だが、この国の問題だ。我らを巻き込むな」
黒血王の手を振りほどけず、ほとんど引きずられるように歩く中振り向く。
そこには、案内人のオヤジが土下座をして涙を流す姿。
対して祠は静かに佇むばかりで、木々のざわめきが不釣り合いなくらい爽やかで清涼。
あまりのアンバランスさに、俺は心を傾けてしまった。
『きっとこの神は、この人間に周囲の環境も整えてもらえるほどに愛されていた』
その事実だけで、俺が動く理由になる。
俺の、俺が存在する理由になる。
自分を真っ先に捨てる行動を、何も迷うことはなし。