3話 新婚旅行(ただし甘さはゼロであるとする)
馬車の座席はふわふわと座り心地が良くて、振動はわずかだった。
外側の装飾も細やか、内装は彼岸花の柄で彩られた、黒血王らしい乗り物。
その中で俺は、金魚みたいにひらっひらの黒の国らしい民族衣装に身を包んで同乗していた。
もちろん…黒血王の女とだ。
「俺は何も聞いてないんだが?」
「申し訳ございません。昨日ばあやが伝えておく手筈だったのですが、忘れてしまったようです」
「だったら昨日の今日で初対面の俺は置いていけばよかっただろう。どうして連れて行くんだ、しかもこんな女の服で…!」
握りしめすぎたスカートの裾から、布が痛いくらいに擦れる音が鳴る。
朝早く、昨日俺を初夜用に仕立てたばあやと呼ばれた御婦人に叩き起こされて「早く支度なさいませ王妃様!それとも隅々までばあやが整えましょうか!?」と勢いよくシーツを剥いでいった。
俺の性別は黒血王以外知らないはずだから、そんな対応を甘んじて受けられるわけがない。
「でしたら、脱いでくださって構いません。代わりの服は生憎私のものしかないのでサイズは合いませんが…」
「…チッ…貧弱で悪かったな」
「いいえ、それもあなたです」
「信用できねぇおべっかどーも」
「信頼は、してくださいませんか」
今日も黒い重たげな鎧を着た黒血王は、俺の言葉にしょげたように目を伏せる。
女にそんな顔をさせては、男の名折れだ。
だけど俺は、何も言葉を返さなかった。
目の前で子犬みたいに俯く黒血王が、何を考えているかが分からない。
俺とは昨日が初対面のはずなのに、何もかもを知っているような口ぶり。
俺の誘拐を指示して、無理矢理婚儀を行ったくせに、昨日の今日の関係で信頼とほざく。
だというのに、俺への言葉に優しさを混ぜたようなむず痒いものを感じる。
「信頼できるかよ。俺が男だってバレたら殺されるだろ」
「誰にです」
「お前以外にいるかよ」
昨日の初夜の準備も、今も。いっそ男だと見せてやろうかと思ったが、踏みとどまった。
俺の性別がバレれば、黒血王の性別も気付くやつがきっといる。
その時、うまく王妃役をできなかった俺を始末するのなんて、奴には造作もないはずだ。
黒血王は顔を上げ、手を降って否定してきた。
「私はあなたを守り、助けたいのです」
「悪いが、優しい言葉で籠絡ならしなくていい。その類は引っかからないように教育されてる。……心配しなくても、やってやるよ王妃役」
何でもないように自分で言っておいて、心臓が握り潰されそうだった。
聖女の国では妹の影武者だったんだから、女のフリは慣れてる。
男として、女をもうやりたくないなんてボロキレじみたプライドはあるが、命以上に大事なものなんてない。
黒血王は少し下を向いて外を眺めだした。
あいつが黙れば、俺にも話すことは何もない。
重たい黙った馬車の中は居心地がいいのに最悪の気分だった。
いつ着くんだよと言いかけたその時、頭上から板を殴る音が響く。
ガンガンガン!と無遠慮なそれは、黒の国からやってきたもう1人の出した音。
「メイカ!…じゃねぇや、メイシュウ!もう華の国につくぜ。準備しな」
外見も中身も高そうな馬車を無遠慮に叩く、よく張った声が黒血王の名を呼ぶ。
窓からこちらを覗き込んでいるのは、人好きのする浅黒い肌の男、昨日俺に拘束魔法をかけた野郎。
この場所を操作していた御者だった。
「お、王妃サマも準備しろよ〜。特別な国だろ?メイシュウから聞いてるぜ」
「おいライユ、余計なこと言わないでいい」
「なんでさ〜!俺等みんな楽しみにしてたんだぜお前の結婚!ガエンもシュウラン姉も…」
「ライユ!!!」
ビリビリと空間が震えた。
咄嗟に身を縮ませて耳をふさぐ。
魔法も使った気配がなかったのに、黒血王の声は殴られたような威力がある。
大きな体に見合ったのか、太くて攻撃的な怒鳴り声。
俺の様子を見て、黒血王はすぐにオロオロと焦りだした。
「あっ、ごめんなさい違うんです。あなたを驚かせたかったわけでは」
「あ〜!?お前らしくねぇなぁ!革命時代には何度もやっただろ」
「後でいくらでも付き合ってやるから今は黙れライユ!」
親しげに黒血王を呼ぶライユと呼ばれたそいつは、黒血王が勢いよく馬車の中から呼びかけた声に「はいは〜い」と軽く答えた限り喋らなくなった。
馬車の外は、木造建築の建物と自然が共存した風景が広がっている。
石造りの聖女の国とも、木造でもここまで自然がない黒の国とも違う景色。
俺が、愛している懐かしい国。
つい、口から言葉が漏れていた。
「なぁ、お前、俺のこと知ってるって言ってたよな…まさか留学のこと知ってたか」
「はい。華の国はあなたが17歳だった5年前まで、2年間という約束で留学し、つかの間の自由を与えられていた国です」
「…なんで知ってんだよ…影武者なのに国を離れた記録だから、聖女の国の結構なトップシークレットなんだぜ…?」
「…それは」
黒血王が言い淀んだ次の瞬間、大きな振動と共に馬車が止まった。
「おーい着いたぞー!国家迎賓館!降りろ降りろー!」
ライユの空気を読まないその声が、この空間の終わりを告げていた。
深く深くため息をついた黒血王は、何も言わずにさっさと馬車を降りる。
そのまま先に行けばいいのに、振り返って俺に手を差し伸べた。
「ここは属国ですが、革命の王である私には敵陣です。どうか、そばに」
「エスコートってか、男の俺に」
「いいえ。あなただけの護衛をするために」
「…王妃だからって言わなかっただけ合格にしてやるよ」
不本意ながら奴の手を取って馬車を降りる。
俺の金魚みてぇな衣装は裾を踏みやすいから、助かったことは否めない。
初めて触れた黒血王の手は、女なのに硬くて分厚くて、だけど俺より温かだった。
「…心が冷たかったら安心できたんだがな」
「すみません、なにかおっしゃいましたか?」
「なんでもねぇよ」
国外の客人を迎える迎賓館には、すでに人が立っていたので、すぐに俺は「女の顔」を整えた。
口角を上げろ、指の先まで神経入れてたおやかに。
2度目の華の国に入国するときに、まさか血みどろ性別詐称王の妃で来るとは、人生はわからないもんだよ。
(ほんと、ろくでもねぇ)