2話 初夜(ただし実行はされないものとする)
「では王妃様、ばあやはここで失礼しますよぉ。陛下は直に参りますからね」
そう言って俺の髪を整えた老女は、部屋を出て行った。
もう日はとっくに沈んだのに、ランタンの灯りと、聖女の国と変わらない輝きの月の光でいっぱいだ。
俺は結局大きなベッドのある部屋で黒血王を待っている。
断じて抱かれたいとかではない!
ただ、あいつの思いを無碍にするには、あの時の目は真剣すぎた。
今の、この国のゆったりとしたワンピースのような着物のような……まあ女々しい形の寝巻を身に纏って座る俺は人形だ。
自分で言うのもなんだが、俺の顔は可愛いしかも体は華奢。
白い寝台、俺の白金の髪に映えるその黒い寝巻は映えすぎて舌打ちした。
あの王の趣味かと勘ぐってしまうのはしょうがない。
(というか、俺これから何されんの?初夜?男なのに!?あっちも男なのに?)
頭を抱える俺の顔は、とんでもなく険しいはず。
悩みの種の原因の一つは、黒々と今も俺の周りを浮遊していた。
式の最後、黒血王が俺にかけた魔法。
俺を守るように浮遊し続ける、他の誰にも見えない黒い靄。
(あいつ、なんで「守る」なんて言ったんだ。魔法の持続なんて体力の消耗も激しいのに、どうして俺なんかに)
思考が沈んでいこうとする中、ドアのノックで一気に目が冴えた。
丁寧にノック三回。
「お待たせしてしまい申し訳ございません、入ってもよろしいですか」
黒血王の声だ。
深く響く、暗闇から聞こえてくるような声。そのくせ、俺にへりくだるような口調。
ついに来たのだ、俺を誘拐するように指示したらしい奴との直接対決。
しっかり立ち上がり、迎え撃つ心構えはできている。
俺の聖女の魔法……白魔法は、黒魔法に対抗できるから、先制を取れればいい!
「ええ、どうぞ」
「……では失礼します」
開かれたドアの先には、闇を人にしたみたいな黒血王がいた。
諸国を恐れさせた血みどろ王は、なんだか体をちょっと丸めて入室する。
式でのキリッとした表情とは打って変わり、眉が下がった困り顔。
「すみません、執務が立て込んでいまして」
「それよりも、なぜわたしを誘拐したのかですね」
「お怒り、ですよね。レオニス殿」
奴の呼ぶ俺の名前にいちいち苛立つ自分がいた。
それは俺の名前。男としての、本当の名前だから。
「止めろ、わたしはレオナであってレオニスでは」
「いいえ、私は知っていますので。あなたが男であることも、妹である次期聖女のレオナ様の影武者であることも、本当の名前がレオニスという勇ましいものであることも」
絶句した。
今こいつが語ったのは、聖女の国の機密事項だ。
俺が聖女の国にいなければいけない理由も、存在意義も、俺自身をたった数秒で明かしてしまった。
涼しい顔で、なんでもないことのようにのたまうコイツの顔面に一撃入れなかった俺は偉いと思う。
何とか冷静になって対峙する。
コイツの態度から、まだ俺に主導権があると勝機があったから。
「そんだけわかってて誘拐したのか。俺は戻んなきゃいけないんだ、さっさと帰せよ……じゃないと、使者が連れ戻しに来る」
自分で言っていて、内臓が重くなった。
聖女の国でどんな扱いをされていても、戻らなくてはという思いがある。
「あなたを蔑み、あなたを貶し、国家のために飼い殺す者など眼中にありません。それに、私が守ります」
「お前、なにを言ってるんだ」
「私は、あなたが何者かを知っている」
すると、いきなり王は着ていた鎧を脱ぎだす。
黒く、重々しい鉄がガシャンガシャンと地面に置かれていく。
だんだんと薄着になって、素肌が見えてきた。
奴がやろうとしていることに一気に鳥肌が立つ。
「や、やめろ!俺初夜なんてそんな」
「私が知っているのにあなたが知らないのはいけません。……見てくださいますか」
王は、無防備になった上半身を俺に見せてきた。
隆起している腕、見事に割れた腹筋、だがそれより俺の目を引いたのはその上。
「これで、あなたの心配は少しなくなるとよいのですが」
「は、はあっ!?って、おま、何してんだよ!」
「必要なら、触れますか?幻術魔法などは使っていませんよ」
やつの上半身、そこにあったのは胸筋…もそうだが、胸があった。
男にはないはずの、肝心なところはうまく隠しているがそれでも隠しきれない膨らみが2つ!
「私は、女です。革命を起こし、仲間を救うため黒魔法を使い、誰にも侮られることのないよう男として振る舞ってきました」
「…だから、なんだってんだよ」
「私は、知っています。あなたは聖女ではない、男性で、自分を押さえつけながら犠牲になってしまうその優しい心根も。その上でお願いしたいのです」
王は俺の前で片膝をついた。
それは、うちの…聖女の国で最上級の敬意と忠誠を誓う最敬礼。
「やめろよ!俺はそんな敬礼受ける立場じゃない」
「いいえ、黙って受けてください」
王の目は射抜くようで、有無を言わせなかった。
威圧はある。でもそれ以上にむず痒くなる視線。
黒い瞳の奥で焚き火が燃えるような、温度を持った眼差し。
「私はメイシュウ…真の名をメイカ。あなたのために盾となり、矛となれるただの革命者です。私はあなたを守ると誓う…だから…貴方の全てを私によこしなさい」
寝室で、初夜で、初対面のはずの黒血王の秘密を勝手に受け止めさせられて。
そして、今全てをよこせと熱烈なプロポーズを受けている。
「……なんで俺なんだ。本来欲しかったのは聖女だろ」
「いいえ、初めから私はあなたしか眼中にありません。あなたのすべてが欲しいのです」
「その過程でさらっとうちの国の機密情報知ってるの怖ぇよ」
「あなたも今、我が国の秘密を知ってしまったのでお互い様でしょう」
王は俺の手を取る。ああ、きっとこの光景を客観的に見れば大層お綺麗なのだろう。
互いの性別にさえ目をつぶればな。
俺は奴から目をそらしてシーツをひっ掴んで投げた。
「女が、いつまでもそんな恰好でいるなよ。俺向こう向いてるから、早く直せ」
「もう女とはかけ離れた肉体ですので、見苦しかったでしょうか」
「そういう問題じゃない……性別を捨てたくて捨てたならいい。だけど、自分の肉体を晒して、触るか?なんて聞くな。そこまで捨てるのは、ダメだろ」
「問題ありません。元よりレオニス殿以外には触れさせませんので」
「はぁ!?第一、男と女が一緒の寝室だぞ!少しは危機感持てよ」
「私のほうが物理的に勝ちます。レオニス殿の光魔法は物理攻撃には弱いと認識していますし、万一私の黒魔法を封じられても、筋肉は裏切りませんから」
「本気で襲われる可能性があったの、俺のほうかよ」
「お望みでしたらしましょうか、初夜」
「誰がやるか!!」
なんだか大人なのか子供なのかわからない奴だコイツは。
結局、王は俺に指一本触れずに部屋を出て行った。
話をしただけで終わった初夜は、これからの不安を感じさせるには十分すぎる。
「俺、本当に王妃やるのかよ。あの女と夫婦って」
広い広いベッドでひとり丸まる。
聖女の国ではほとんど味わうことがなかった感触に、案外すぐに眠りに落ちた。