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「ピンクちゃんは処分したんだ?」
移動教室の時に王太子はすっと寄ってきた。
彼のことは初対面の時から嫌いだ。思わず、眩しくて目を細めそうになる。
何でも持っていて、さらに愛されてまでいる王子。
神様にも親にも明らかに愛されている男。そうでないとここまで何でも持っている男にはなれないだろう。
「ピンクちゃん、ですか?」
「とぼけなくていいのに」
「いえ……言われるまで存在さえ忘れていました。屑籠の中身を殿下は覚えているのですか?」
俺の言葉に殿下は噴き出した。
そして芝居がかったようにキラキラしい金髪の前髪を片手でかきあげる。もう片手は大きく広げて手のひらを空へ。普通に通行の邪魔だ。
神様にも愛されている奴なら、他人の通行の邪魔をしてもいいのか。
「あぁリヒトール、君はそんなに優秀なのにどうして私の側近になってくれないのか。私はこれまでの人生で君と城の裏庭の子ネコちゃんにしか振られていないんだが」
「じゃあ、振られ続けてください」
「どうしてもダメかい?」
「デボラとの時間が減ります。それに俺は庶子ですよ。臭いんじゃないですか?」
「王家なんて側室の子供だの愛人の子供だの家系にいくらでもいるよ」
太陽を集めて作った子犬のようだった子供は、太陽の神様にでも愛されたような光を放つ青年になっている。他の人ならば口ごもって綺麗ごとを返してくるだろう質問に、王太子は平気で光の回答を投げ返してくるのだから。
腹立たしい。
俺だって、あんなクズの息子に生まれたかったわけじゃない。
数万歩譲って生まれてもいいが、侯爵家に引き取られたくなどなかった。俺はあの狭い家、いや庶民には普通の家で母さんと生きていたかった。
でも、それだとデボラに会えなかった。
やっぱり伯爵の言うことは正しいのだろうか。神様は俺のことを少しは愛してくれているのだろうか。
だって、池に連れ込まれかけても彼女が助けてくれるんだから。
「おーい、リヒトール。どう? 俺の側近に」
「嫌です。命令でも出されて無理矢理側近にされるくらいなら死にます」
「うわぁ、徹底してるね。それだとアシュクロフト侯爵夫人が悲しむよ」
デボラに会う前の俺だったら綺麗ごとだと鼻で笑っただろう。
でも、伯爵に言われていた。
「アシュクロフト侯爵夫人だって君を大切に思っているはずだ。そうでなければ、いくらうちが裕福だとはいえ、頭まで下げてデボラとの婚約をまとめないはずだから」
俺は怖くて夫人に聞くことはできなかった。
夫人は実の息子を亡くして傷ついている。俺でも実の子供を亡くした親の気持ちくらい推し量ることはできる。それなのに、夫人はあのクズに俺を押し付けられた。そんな人に「俺のこと、大切に思ってくれていますか?」なんて聞けるわけがない。
「デボラ嬢もさ、婚約者の君が王太子の側近だったら鼻が高いんじゃない?」
「デボラは今の俺でも愛してくれるので」
ずぶ濡れでもこけて草だらけでも、伯爵から出された課題が出来なくて落ち込んでいても、あのクズが侯爵邸に帰って来て俺がイライラしていても、デボラは明るく笑って俺の手を取ってくれる。
俺はその手を緩く握って、デボラの体温を確かめる瞬間が一番好きだ。
人生の一番最良な時に側にいてくれる人は大切じゃない。人生で一番ダメで情けない時に変わらず隣にいてくれる。それがデボラだ。
俺は伯爵の言うことを完全に理解し始めていた。
デボラの前で頼りなくて可哀想であれば、デボラは俺を放っておけずに愛してくれる。
王太子の側近になどなったら、俺は頼りない可哀想な男なんかじゃなくなるではないか。
王太子が太陽のような男でも関係ない。俺の太陽はデボラだけだ。
「ピンクちゃんを計画的に追い払った君でも? 君、デボラ嬢の前でだけかなり演技してるよね」
「殿下がそう言ったところで、デボラは信じるんですか? あれも紛れもなく俺ですよ。殿下はそんな俺を受け入れたくないでしょうけどね」
クズを殺そうとしている俺も、ピンクバエを誘拐の様に駆け落ちさせた俺も、情けなく甘える俺もすべてリヒトール・アシュクロフトだ。
多分、最後の俺が一番俺らしいだろう。
母さんにもアシュクロフト侯爵夫人にも、そしてもちろんだがあのクズにも甘えることができなかった俺にデボラは初対面の時から寄り添ってくれたのだから。
プライドがあったら絶対にさらけ出すことのできない自分、それがデボラの前の俺だ。
「リヒトール! 王太子殿下に絡まれたって? 大丈夫なの?」
誰かがデボラの耳に入れてくれたらしい。
デボラは昼休憩に俺が行くよりも先にすっ飛んできてくれた。やっぱり彼女は俺の手を真っ先に握ってくれる。
「側近になれって言われて……侯爵家を継ぐ準備でいっぱいいっぱいなのに」
「お父様も側近なんて奴隷契約だからやめておけって言ってたわ! アシュクロフト侯爵のお加減が悪くてリヒトールは大変なのに!」
プンプン自分のことのように怒ってくれるデボラの赤毛に顔を寄せる。
デボラは今度は俺の背をポンポンと叩いてくれた。
「忙しいなら学園休む? リヒトール、成績いいから大丈夫でしょ? 夏季休暇までもうすぐだし」
「デボラに会えなかったら死んじゃう」
「大げさよ~、死なない死なない。夏季休暇だって一緒に過ごすじゃない」
「死ぬ、毎日会えないと死んじゃう。デボラは学園に来て欲しくないの? 会いたくないってこと……?」
うるうるとした目で見上げると、デボラはうっと変な声を上げた。
デボラは俺の上目遣いに弱い。
クラスメイトの呆れたような視線を浴びながら、俺はランチを一緒に食べるためにデボラを庭へ促した。