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俺とハンティントン伯爵が並んで歩き、その後ろから家令ロンバートがついて来ている。
「ロンバートは人の恋愛模様を観察するのが好きでね」
「はい」
「君とデボラの関係を観察するのもきっと好きだよ」
意味が分からないが、俺は頷く。
ちらりと後ろを見遣ると、家令ロンバートはやはり先ほどのような笑みを浮かべていた。
「仕事での私と、妻の前での私のギャップを見るのが特に好きなんだそうだ」
「そうなんですね」
それは伯爵を観察するのが好きなんじゃないんだろうか。
「妻は私の違う一面を引き出してくれるから妻のことも好きなんだそうだよ」
「えぇ、毎日楽しく過ごさせていただいています」
意味が分からないが、世界にはいろんな人がいるものだ。俺は母とクズ親父の恋愛模様なんて見たくもなかった。
デボラたちが待っている場所が見えて来た。
最初に俺たちが戻ってきたことに気付いたのはアシュクロフト侯爵夫人だ。彼女はなぜか立ち上がりかけて、やめた。
俺は彼女の行動の意味が分からず、ハンティントン伯爵を見上げた。伯爵はそんな俺を見て笑う。
「君はかなり大人っぽい子供だが、まだまだ若いね。若いということは視野が狭く愚かだということだ。でも、それでいい。だって君はまだ若いんだから。無理をして背伸びするものではないよ」
伯爵の言っていることもよく分からない。アシュクロフト侯爵夫人の言うことと似ている気がする。
そんな中、俺は背中に衝撃を感じて次の瞬間には草の上に倒れていた。
伯爵がすたすたと前へ歩いて行く長い足が見える。
「大丈夫⁉」
後ろの衝撃は何だったのか。俺の後ろには家令ロンバートしかいなかったはず。
混乱していると、デボラが駆け寄ってきていた。
そんなデボラに、家令ロンバートはなぜか腰を押さえながらハンカチを差し出す。
「お嬢様、申し訳ございません……こちらでリヒトール様の手を拭いて差し上げてください。私は腰が……」
「おや、ロンバート。腰を痛めたのかい」
あ、やっぱりロンバートが何かしたのか。
伯爵が颯爽とロンバートを助け、いや、両者笑いながら助け合っているのが見える。
そして、俺はまたデボラに手を差し出されていた。
「お父様に何か言われたの?」
「あ、いや、緊張して……」
「酷いよ、デボラ。それでは私がリヒトール君をいじめたみたいじゃないか」
伯爵がさっきとはうってかわってメソメソし始める。
「でも、お父様が娘を渡さんとか言ったんじゃないの?」
「えぇ? デボラはお嫁に行きたくないのかい?」
「もう、そんなんじゃなくって!」
俺はデボラの温かい手に縋って助け起こされ、デボラは伯爵とそんな軽妙な会話をしている。
凄い。俺はあのクズとこんなにポンポンと軽妙な会話をしたことはない。これが、家族か。
「デボラ、リヒトール君が困っているわよ。それにお客様の前でお父さんを虐めるんじゃありませんよ」
とうとう伯爵夫人まで出て来て、伯爵を庇うように立つ。
俺からはしっかり見えた。夫人が出て来た途端、伯爵がメソメソしながら微笑んだのが。
俺は衝撃を受けた。
さっき伯爵が言っていた意味が分かったからだ。
デボラは俺の服についた草を取ってくれて心配してくれる。
「デボラの前では可哀想で頼りない男になりなさい」
伯爵はそう言った。こういうことか。
伯爵は今夫人の前でデボラに叱られる可哀想な人なのだ。そして転倒して草だらけの俺はデボラにとって可哀想な人だ。
俺は瞬きして伯爵とロンバートを見つめた。
二人とも笑っていた。ロンバートが腰を痛めたのは嘘らしく、もうピンピンして普通に立っている。
「あの……ありがとう。好きな人のお父さんと話すの、緊張しただけだから……」
俺は甲斐甲斐しく怪我がないか調べてくれているデボラにお礼を言った。いつもより数段幼い言葉遣いにして。
こんな喋り方をしたらバカにされるんじゃないかと思って怖くてできなかった。なぜならバカっぽいから。母さんはきっとバカだったからあのクズに騙されたのだから。
でも、デボラは嬉しそうに笑った。
「良かった。ずっと大人みたいに喋ってるからびっくりしちゃった。よそよそしいなって」
そう言いながら俺の膝についた土を家令から渡されたハンカチで拭ってくれる。
デボラの手つきは乱暴でも何でもなく、とても優しくてくすぐったかった。デボラの背中だけではなく、ちゃんと今日は愛を感じた。
やっぱり、神様になんて愛されなくていい。伯爵は愛されていると言っているけれど、目に見えない愛なんて俺には分からない。デボラの前で可哀想で頼りない男でいれば、俺は愛してもらえるのだ。
だから、俺は成長して学園に入った今でもデボラの背中に隠れるのだ。
「デボラ……またあのピンクの頭の子が絡んでくるんだ」
「また? もう、懲りないわね」
「……あんな子嫌いなんだけど、話通じなくて怖くて……」
「仕方ないなぁ。私がいればあの子は寄ってこないでしょ?」
「うん。次の授業はここにいる」
「それは無理じゃない? クラスが違うんだから」
デボラの満更でもなさそうな笑顔を見ながら、そろそろあの無駄にしつこいピンク頭の庶子の処理を俺は考え始めた。
学園に入って、ああいうのがいるということに驚いた。
そのピンク頭の庶子は母親が死んでから男爵家に引き取られたそうだ。俺に境遇が似てる? 俺はあんな酷いマナーはさらしていない。
あのピンク頭はなんと王太子に近付いた。王太子とはあの太陽みたいないけ好かない奴だ。
王太子の前で盛大にこけたらしい。王太子は心配して手を差し伸べた。そこまでは良かった。
「君、足腰が鍛えられてないんじゃないか? その年齢でこけたのに咄嗟に手も出ないなんておかしい。鍛えた方が良いんじゃないのか。ほら、護衛騎士を貸してやるから庭を一周走って来ると良い」
あの王太子はキラキラしい笑顔でそう言ったのだそうだ。
王太子とお近づきになるのに失敗し、庭まで走らされてからはピンク頭は王太子に近付くのはやめて違う高位貴族の令息たちにターゲットを移したのだ。
それで、俺は追いかけ回されているわけだ。
俺はあのピンク頭をちょうどいい具合に使っている。だって、あのピンク頭がいれば俺は可哀想な存在に簡単になれるからだ。
しかし、そろそろ周囲がうるさい。
デボラの友人である伯爵令嬢からは「あの女、デボラにも突っかかって来てる」と報告が来ている。
そろそろ処分しておこう。あのクズを処分する前のちょうどいい練習になるだろうし。