5
いつもお読みいただきありがとうございます!
神様くらいは俺を愛してくれるんじゃないかと思っていた時期もあった。
そんなわけはない。神様が俺を愛しているなら、母さんは病気で死ななかったしなんなら俺は愛人の子供として生まれなかっただろう。
そんなことを頭の片隅で考えながら、俺は返答に一瞬だけ迷った。
ハンティントン伯爵家は金持ちだ。この伯爵も静かで大抵のことでは怒ったことなどありませんという儚く穏やかな顔をしながらも、相当のやり手であることは分かっている。
「デボラ嬢は、太陽みたいな方だと思います」
「ほぉ。髪色だけで判断しているのかね」
「いえ、背中です」
彼女の背中に俺は太陽を見た。そして次にむせかえるほどの愛情。
意味が分からないはずの俺の返答に、伯爵の目が細められる。髪色は似ても似つかないものの目は彼女と同じグリーンの目だ。そしてこの人はあのクズとは全く違う香りがする。
「彼女は……愛されて育っていて羨ましいなと思いました」
伯爵は俺の肩をやっと解放してからふっと笑う。その笑みは自慢げだった。
「それだけかね」
「私の生い立ちはご存じですよね? 生みの母はクズに縋って待ち続けて亡くなり、養母もあのクズに私を押し付けられました。私のことを誰も愛してくれないのは知っています。神様くらい天国か地獄で愛してくれたらいいなって思ってましたけど、父を殺したいと思っている私は無理でしょう。でも、デボラ嬢は、デボラ嬢なら、そんな神様に愛されない私でも愛してくれるんじゃないかと思いました」
こんなに俺の本心に掠るような弱みに成り得ることを初対面の年上に言ってはいけない。情けなさを見せては好かれないだろう、きっと呆れられる。
この人には好かれないといけない。でも、この人は俺と同類である気がした。どこが、というのは分からない。目の前の伯爵の方が何枚も上手であるのに、俺は将来この人のようになれればいいと思った。
咳払いのような変な声が後ろから聞こえた。
振り返ると、家令がハンカチを出して涙を拭っている。涙もろい家令である。
再度、伯爵に顔の方向を戻すと彼は笑っていた。
「はっはっは。これはこれは!」
伯爵は手を叩いてまで笑う。今度こそ彼の目は愉悦で笑っていた。
「君も、私も、もちろん神様に愛されているからそんなに悲壮な顔で心配しなくていい」
なぜ、神様と会話できるわけでもないのにそんなことが分かるのだろうか。
伯爵はとびきりいい笑顔で俺にまた近付いて来た。
「なぜって、君はデボラに会えたのだから。それは神に愛されているからに他ならない。素晴らしいよ、神は私には妻を、君にはデボラを与えてくれるのだから」
とりあえず、伯爵がとても伯爵夫人のことが好きということは分かった。
頷きながら伯爵を見上げていたのだが、俺の様子から分かっていないことは伝わっていたらしい。彼は再び俺の両肩に手を置いた。
「デボラに愛されたいなら、先ほどのように賢しらぶってはいけない。君は気に入られようと頑張ったのかもしれないけどね。もっと可哀想で思わず助けてあげたくなる人間になるんだ。雨に打たれる子犬の様に。デボラとの出会いを思い出すんだ。デボラとルイスは妻によく似てね、可哀想なものを見るとついつい構って助けてしまうんだ」
心臓が嫌な音を立てる。可哀想な人間になれば、デボラに愛してもらえるのだろうか?
確かに出会いの場で、俺は傍から見ればとても可哀想な状況だった。令息二人に小柄な女の子みたいな俺がいじめられていたのだから。
「デボラの前では可哀想で頼りない男になりなさい。デボラの前では君が最も可哀想な存在でなければいけない。そうでなければ他に持っていかれる。しかし、ある程度の加減は必要だ。そこは付き合いながら調整していけばいい。そうすれば、君は必ず愛される」
「……はい」
「私は妻にそうやって構ってもらって愛されてきたんだ。よく見ているといいよ」
「勉強になります」
「息子は性格面で妻に似て次期伯爵としては心配な面が多いが、君が娘と結婚してくれるなら安心だよ。なにせ、君はとてもよく私に似ている。君みたいな子がうちの親戚になってくれるならいいだろう。ルイスの不足も補えるというものだ」
伯爵も同じことを俺に感じていたらしい。
「まだまだ若輩者で、伯爵様の足元にも及びません」
「君の殊勝な態度はいいね。デボラの前で頑張りなさい。あぁ、あと」
「はい」
「私はね、アシュクロフト侯爵の様に愛人を作る男は嫌いなんだよ。どのくらい嫌いかというと、そうだね、料理に入っているピーマンくらいだ」
伯爵の目は再び笑っていなかった。ピーマンなんて言われて冗談で笑えばいいのか、反応に困る。ピーマンはよほど嫌いらしい。
「ピーマンはそもそも存在してはいけないものですね」
「君もそう思うかい?」
「はい。ただ、そうですね……少し時間がかかります。私が爵位をしっかり継げるようになるまで」
「そんなに長い間、ピーマンの存在を我慢しないといけないのかい? 私はあんなものがデボラの義父になると一瞬だけ想像しただけでも死にそうだがね」
「決して、あのクズの存在のせいでデボラ嬢を煩わせることはありません」
「まぁ、そこまでは求めていないよ。ただ、あの不快なピーマンが料理に入らないように処理して欲しいんだよ、デボラのために努力してね」
「それはアシュクロフト夫人も同じ気持ちです」
「なら、良かった。うちにはそうだな、月に一回来なさい。私も微力ながら君が早く侯爵になれるように協力しよう。ご近所づきあいだよ」
「ありがとうございます」
伯爵と嫡男ルイスは性格面であまりに似ていない。少し話しただけで分かる、ルイスは裏表がないとても好ましい人間だ。デボラの男性版で、可哀想なものを見捨てることができず、表裏もないから会話の裏を考えて読む必要もなく、側にいて安心する。
伯爵は家令を手で促した。
「私の右腕のロンバートだ。私が不在の時は彼を頼りなさい。彼はこちら側の人間だ」
さっき涙を拭いていなかっただろうか? そんな涙もろい人間がこちら側? ルイスや伯爵夫人・デボラ側の間違いではないだろうか?
俺の疑問を前に、伯爵家の家令ロンバートはニコリと笑った。その笑い方は奇妙なほど伯爵に似ていた。
「ロンバートと申します。どうぞよろしくお願いいたします。旦那様、もうお戻りになられますか?」
「あぁ、デボラももっとリヒトール君と喋りたいだろう」
「では、リヒトール様は皆さまの前で転倒していただきましょう。できそうでなければ、僭越ながら私が押しますが」
俺は思わず瞬きした。何度か瞬きしても家令ロンバートの笑みは全く変わらなかった。