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お茶会が終わって五日後。
俺と夫人はお礼のためハンティントン伯爵家を訪れていた。すでに手紙で婚約の件はやり取りしたらしい。驚きの早さだ。
ハンティントン伯爵が在宅できるのがこの日だったため、茶会翌日ではなくこの日になった。つまり一家総出である。
アシュクロフト侯爵家では、あのクズは大体不在だ。不在の方が屋敷の雰囲気が明るい。帰ってきたら使用人たちもどことなく暗い。
しかし、ハンティントン伯爵家には絵に描いたような幸せな明るい家族がそこにあった。
俺が見たこともなかった光景。絵本の中にしか存在しないと思っていたもの。
紹介されたのは、四人家族。デボラそっくりの母親、やたら明るく笑っているマッチョなデボラの兄、そして頼りなさそうに儚く見える伯爵だった。
俺はしっかりと猫を被った。なんなら猫の上にオオカミの皮まで被った。
夫人と侍女の前では初対面があれだったので被っていないが、家庭教師や外では俺は猫を被りまくっている。
「いやー、まさかお転婆デボラに婚約打診がくるなんてな! しかも侯爵家だぞ! すげぇじゃん!」
「もう、お兄さま。声が大きい。ねぇ、怪我は大丈夫?」
「そうよ、可哀想に。足が血だらけだったじゃない」
デボラの兄ルイスはとんでもなく明るく笑って嬉しそうに、デボラの背をバンバン叩く。デボラは用意された果実水を飲もうとしていたが零しそうになって文句を言いつつ、俺の怪我の具合を心配してくれて、伯爵夫人まで同情してくれる。
明るい、とんでもなく明るい家族だ。伯爵はニコニコしてその様子を見ている。
「怪我は酷くありませんでした。ご心配をおかけして申し訳ありません。デボラ嬢のドレスは弁償させていただきます。こちらの店でお好きなものを仕立ててください。費用は侯爵家がもちろん持ちますので」
「若いのにかったいな~。デボラ~、こういう時はデートしましょうって言った方がいいぞ! ほら、人気の仕立て屋でデートしてこいよ!」
「でもここって予約でいつも一杯のところで……」
「話は通してあります。大切なドレスを汚してしまったのですから当然のことです」
俺は綺麗だと称される顔に完璧な笑みをのせて、ひたすら下手に出て丁寧に喋る。侯爵家だからと居丈高に接してはあのクズと一緒だ。俺は絶対にあのクズみたいにならない。
嫌われるわけにはいかない。彼女には初対面で猫を被った状態で会ったのだから。
ただ、伯爵夫人も嫡男もデボラも婚約に関してはとても乗り気のようでこちらが困惑する。大丈夫なのだろうか。
俺が微笑むと、デボラは顔を赤らめた。
なるほど、俺のこのお綺麗な顔は彼女には有効らしい。
「それに、令息二人に囲まれた私を助けてくれたのですから」
「困っている人がいたら助けるのは当たり前じゃない?」
ねぇとばかりにデボラは赤らめた顔で兄に同意を求める。兄の方は力強く頷いている。
この家族にとっては当たり前のことだったらしい。
なんて羨ましいんだろうか。優越感も打算もなくただただ純粋な気持ちだけで人を助けられたら。
母さんが病気になっても誰も助けてくれなかった。
周囲の人々を恨んでいるわけではない。これは単なる事実。母さんだってどう見ても訳アリの片親だったし、母さんが人助けを率先してやっていたわけでもないから仕方がない。ただあのクズは別だ。
もし、デボラやその家族のような人たちが近所に住んでいたら何か変わっただろうか。こんなにクズを恨むことはなかったかもしれない。
ある程度喋ったところで、ハンティントン伯爵がふらりと席を立った。
「リヒトール君と話をしたいんだが、いいかな?」
「あ、お父様。まさかリヒトール様を虐める気じゃ!」
「ハンティントン伯爵とお話できるなんて、光栄です」
心配そうな養母の視線を振り払って、俺はハンティントン伯爵に連れられて庭を散歩することになった。こういうのは普通婚約者と歩くものじゃないんだろうか。
だって、ハンティントン伯爵は儚げな頼りない見た目とは裏腹にかなり商売はやり手だ。伯爵家が裕福なのは、彼が投資や商会経営をうまくやっているからだ。
そして気のせいでなければ、俺と同じ香りがする。香水ではなく、人間として。
ハンティントン伯爵家の庭をしばらく伯爵について歩く。後ろからは家令だという使用人がついてくる。
伯爵家の庭はバラがこれでもかというほど多かった。
「妻が好きなんだよ」
「見事なバラで圧倒されていました。伯爵夫人とデボラ嬢の髪のような色のバラですね」
急に伯爵が立ち止まる。つられて俺も立ち止まって、家令もピタリと足を止める。
「君はなかなかに口が上手い」
振り返った伯爵は相変わらず頼りなさそうではあるが、目が笑っていなかった。
あ、何か来るぞと俺は感じる。後ろの家令からも視線を感じる。
「恐縮です」
「君のことはこの数日で調べさせてもらったよ。リヒトール・アシュクロフト君。夫人の子供と言うことに名目上はなっているが、愛人の子供だそうだね」
「はい。その通りです」
「私はね、愛人が嫌いなんだよ」
「左様ですか」
ハンティントン伯爵には愛人はいないのだろう。愛人がいてデボラ嬢や彼女の兄があれほど真っ直ぐに育っていたら驚きだ。
「では、この婚約は取りやめますか?」
伯爵は穏やかな表情で俺の両肩に手を乗せた。
「デボラも妻もなんなら息子も大乗り気なんだよ。ここで反対すれば私が悪者じゃないか」
なるほど、それで俺に八つ当たりなのだろうか。
「君、婚約を申し込んできておいて私が愛人が嫌いと言えばすぐにとりやめるほどの想いなのかね。娘を幸せにする気があるのかね」
細身で長身で頼りなさそうに見えるハンティントン伯爵は、俺の両肩を掴んで穏やかな笑みを浮かべながらもやはり目は全く笑っていなかった。