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いつもお読みいただきありがとうございます!

氷雨そら先生の「愛が重いヒーロー企画」参加作品でした。4月になってしまいましたが、これで完結です。

残酷シーンあり。

「あぁ、とうとう処分するのかい」

「夏季休暇が終わる前くらい、になります」


 仕事の話だということで、夏季休暇で訪れた湖の見える別荘で俺は伯爵と向かい合っていた。ロンバートが紅茶を高い位置からカップに注いでいる。

 デボラや夫人たちは湖に遊びに行った。ピクニックだろう。


「うん、わかったよ。私も領地に行く用事などは入っていないし、ちょうどいいかな。親戚連中はうるさくないのかい?」

「うるさそうなのに関しては、弱みは握ってあります」

「人は金が絡むと変わるからねぇ。しかも目の前に楽して手に入る大金があればなおさら。まぁ、何か困ったら私に言うといいよ。でも死体処理は必要ないし……アシュクロフト侯爵邸も夫人も君が掌握しているから大丈夫かな」

「ありがとうございます」

「妻は君のことは大変気に入っているが、あんなのがデボラの義父になるんて、と心配していたからね。妻の心配事が減るなら君を手伝うことなど何の問題もないよ。君は私が十七歳だった時よりもずっとずっと立ち回りがうまく、賢い」

「伯爵はいいんですか? 俺があのクズを殺しても。デボラの伴侶が人殺しでもいいんでしょうか」

「まさか、日和っているのかい?」


 ロンバートの動きが止まる。

 ハンティントン伯爵は微笑んでいるが、雰囲気は怖かった。


「いえ、普通の親は倫理的に止めるのではないかと」

「君の父上も私も、残念ながら普通ではないよ。高位貴族は普通では生きていけない。それなら平民にならないと。そんなくだらないことを気にしているのかね」

「いえ、あのクズを殺すことに迷いはありません」

「他人から何と言われようとどうでもいいじゃないか。デボラにさえバレなければ。私だって、何事も妻にさえ隠し通せればいいよ。君は、殺すことが怖いんじゃない。デボラに特大の秘密を知られて失望されるのが怖いだけだろう?」


 その通りだった。

 アシュクロフト侯爵夫人とは最初からそういう約束だし、夫人付きの侍女も夫人への忠誠心で協力してくれている。


「そのくらいの覚悟なら今すぐ死にたまえ。あぁ、毒なら入手してあげよう」


 あのクズを殺すことに迷いはない。

 でも、デボラはどうだろうか。デボラを殺人者の妻にしてしまっていいのだろうか。もしヘマをしてバレたら、デボラまで悪く言われる。俺と……夫人は悪く言われることなんて覚悟しているけれど、デボラは別だ。


 夫人、俺は子供らしくなったんじゃない。

 俺はクズ親父と頭がお花畑の母の子供で、ゲスな性格だったんだ。でも、デボラみたいないい子に会って怖くなったんだ。俺は、こんな湖の見える別荘でゆっくりしていい存在じゃない。最初はデボラに愛を貰えて、俺は飢えたひな鳥みたいに満足をずっと知らなかった。


 こんなことを考え始めるなんて、俺は少しずつ満たされているのだろうか。デボラに構ってもらうことだけを考えていたけれど、デボラにお金と贅沢な暮らし以外で俺は何か返せるのだろうか。


 どうして、夫人は教えてくれなかったんだろう。大切な人ができたら善人になるしかないんだよって。


「虐めすぎたようだ。君、我に返ってはいけないよ。周囲なんて気にするな。それは、デボラとたったそれっぽっちの薄っぺらい関係しか築けていないのではないかという不安の映しでしかない。君が気にするべきはデボラだけだ、違うか? それなら、私にさっきの質問をするのは間違いだよ。そう、料理に入っているピーマンくらい間違っている」

「……学園にいたピンクバエくらいですね……」


 伯爵のユーモアなのか本気の冗談なのかを聞きながら、俺は窓の外を見た。

 湖辺りにデボラの赤い火傷しそうな髪の毛が見える。

 ふと気になった。デボラが愛してくれるかは、デボラに聞くしかない。デボラに愛されなかったら死ぬしかない。


「質問を変えます。伯爵は夫人の方が先に亡くなってしまったらどうしますか?」

「もちろん、どんな手を使っても一緒に死ぬよ。だって、妻が亡くなったら私が生きている意味はないだろう? だから、君をデボラの夫に選んだんだよ。君ならデボラのためにこのハンティントン伯爵家もないがしろにはしないから。ルイスだけでは手が回らないところもね」


 何の迷いもなく言い切る伯爵を見つめて、俺は安堵した。家令ロンバートは今度こそ寂しそうに涙を浮かべていたが、綺麗ごとは彼も言わなかった。


 この人は徹底的に妻のことしか考えていない。

 妻が気にするから、デボラとルイスのことも伯爵家のことも気にかけるだけ。

 それで、この人は生きていけている。かぐわしいほどの幸せな香りをさせながら。これぞ幸福な家族といえる家族と共に。


 伯爵を見たから、きっと、俺もそうやって生きていけるだろう。



 夜にデボラの赤い髪の毛を梳きながら、俺は聞いてみた。デボラはお気に入りの詩集を読んでいる。


「デボラは俺が侯爵にならなくても愛してくれる?」

「え、どうしたの? 侯爵に隠し子でもいて揉めてるの?」


 詩集を慌てて閉じてデボラは振り返る。あのクズにさもあり得そうなことだからデボラがこう言うのも無理はない。


「聞いてみただけ。隠し子はいないよ?」

「なーんだ、良かったぁ。びっくりしちゃった」

「俺が侯爵になれそうだから?」

「もう、違うってば。リヒトールはこれまで頑張ってきたんだから、隠し子なんかいてせっかくの努力が無駄になって掻っ攫われるようだったら殴らないとなって」


 デボラの言葉で俺は彼女の肩に顔を埋める。最初に、彼女に背負われた時にもここに顔を埋めたのだ。


「ありがとう。でも隠し子はいないから」

「ならいいけどさ~。でも、侯爵になりたくないならいんじゃない?」

「どうして? デボラには美味しいもの食べて欲しいし、好きな服を着てほしい。でも、俺が犯罪者や逃亡者みたいになったらそんなの無理になっちゃう」

「犯罪者とか逃亡犯? とか物騒ねぇ。でも、まぁ、そうなったらそうねぇ……あ、逃げながらいろんなところで屋台でもやろっか。リヒトールって何でも器用にこなすじゃない? 私、お料理も刺繍も苦手だけど屋台引くのとお客さんの呼び込みならできそう!」


 デボラはケラケラ笑っていたが、俺は笑わなかった。


「ありがとう」


 涙を見せないように、デボラをぎゅっと抱きしめる。


「もう、どうしたのよ~。お父様にいじめられた? あ、それとも侯爵のお加減がかなり悪いから? 不安? 大丈夫だって。私がいるじゃない」

「うん」


 俺は最初のようにデボラの香りを大きく吸いこんだ。むせかえるような愛情の香りだった。

 良かった、これで俺はちゃんと生きていける。



 伯爵家所有の別荘から帰って来て、俺はかなり衰弱したクズの耳元で囁いた。


「俺の母さんの名前は覚えていますか?」


 やせ細って顔色の悪いクズは、口を動かすが何を言っているのか分からない。


「母さんのことを愛していましたか? 夫人のことは?」


 俺は枕を手に持っていた。まるで、クズの枕を違うものに替えるかのように見えるだろう。


「愛人にも捨てられていい気味ですね。結局、ああいう愛人はあんたの権力と金にすり寄ってただけなんだ。母さんと夫人はそうじゃなかったのに、あんたは分からなかったんだな。俺はずっとあんたのことが大嫌いで、ずうっと死んでほしいと思ってた。でも、今日やっと殺せる」


 俺は枕をゆっくり、クズの顔に押し付けて全体重をのせる。

 クズは死にかけていたとは思えないほど最後の抵抗を始めた。


 あちこち引っ掻かれてもいいように手袋や分厚い服を着ていて正解だった。

 恐ろしいほどクズは暴れ、しばらくしてやっとピクリとも動かなくなった。


 俺は汗びっしょりだった。クズが自然に死んだように手足の位置を整え、上掛けも少し乱した程度で部屋を出て、庭で枕を焼いた。庭師に雑草を焼くように指示していたのだ。


「終わりました」

「じゃあ、お医者様を呼びましょう。私が見つけたことにします」


 夫人にそう報告して、案外あっけなくあのクズに関しては終わった。

 去っていく夫人の背中はピシリと伸びていて、むしろいつもよりも清々しささえ感じた。


 夫人の采配によって死亡が確認され、速やかに葬儀が行われた。

 クズはずっと体調を崩していたので、疑う者はいなかった。


「大丈夫?」


 葬儀が終わって、青い顔をしている俺のところにデボラがやって来た。喪服に赤毛がよく映えている。そして相変わらず、彼女はすぐに手を握ってくれる。


「うん」

「こんなに侯爵様のお加減悪かったから最近不安そうだったのね」


 そうじゃないけれども。あんなクズのために煩わされる感情はもうない。俺は答える代わりにデボラの手を強く握った。


「大丈夫よ。リヒトールには私がいるでしょ。忙しくなるけど、大丈夫だって。侯爵が嫌だったら一緒に屋台だってやってもいいし」


 俺が握りしめた手をデボラはゆっくり前後に振ってくれる。思わず口元が緩みかけて引き締めた。口元を隠すように、俺はデボラの肩に顔をまた埋める。


 あのクズに一つだけ感謝できることがある。それはデボラに会えたことだ。


「デボラがいてくれて良かった……」

「でしょでしょ。いっぱい感謝してね」

「うん、愛してる」

「ちょっ! え? え? そんな急に?」


 ちらっと見ると、デボラが髪くらい顔を赤らめている。


 なぁ、母さん、もう寂しくないだろ?

 俺ももう、何にも寂しくないよ。


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