#7(完)
生活が変わってきたのを実感していた。
「おはよう、中庭ちゃん」
「は、はい! おはよう、ございます!」
登校中、校門で千歳が声をかけてくれた。
「部活がないのがこの時期の良さだよねぇ。いやぁ、助かる助かる」
今は期末試験の前である。どの部活も練習が中止となっているようだ。
「そ、そう、ですよね。いつも、お疲れ様、です」
「あはは、中庭ちゃんの『お疲れ様』も助かる。まぁ、私達は放課後無理矢理集められて勉強させられてるんだけどね。赤点取ったら先生から殺……怒られちゃうよ」
なんだか物騒な単語を聞いた気がするが、聞かなかったことにしよう。
「ぶ、文武両道、なん、ですね……」
「まぁ、試験勉強の機会にもなるからね。そういう場じゃなきゃ絶対勉強しそうにない子もいるし。それじゃ、またね」
千歳は手を振って、靴箱に向かった。ふと、彼女の鞄に地元のプロ野球チームのマスコットの小さなぬいぐるみがぶら下がっているのが目に入った。ファンなのだろうか。
試験期間で朝練が中止になっているためか、普段よりも靴箱に人が多い。
「榊さん、おはよう」
「ひゃっ!? おお、おはよう、ございます」
靴を履き替えていたら声をかけられた。思いがけないことだったので、変な声が出てしまった。
「あはは、そんなに驚かなくても」
声をかけてくれたのは同じクラスの人だった。彼女とはほとんど話したことがなかったのだが、どうして声をかけてくれたのだろうか。
「朝読の本、もうすぐ読み終わるんだけど、何かオススメはある?」
この学校で行われている、朝のホームルーム前の10分間読書である。
「お、オススメ、ですか? ……ジャンルは、どういうのが?」
「うーん、ホラーかなぁ」
「ホラーはその、あまり、読んだこと、ないですけど……」
教室に向かいながら彼女と会話を交わす。ホラーは苦手なジャンルなので疎いが、読んだことのある本を挙げてみる。映画化もされていた。
「なるほど。そういえば映画のタイトルは聞いたことあるや。今度、図書室で借りてみるね」
「は、はい。ありがとう、ございます」
「あはは、ありがとうって。関係者じゃないんだから」
そうしているうちに、教室に着いた。
「榊さん、もっと難しい人かと思ってたよ」
「そ、そうですか?」
「うん。昼休みはいつも中庭にいるから、人付き合いが嫌いなのかなって」
やはり、痛い人だと思われていたようだ。行動を改めるべきかもしれない。
「でも、雰囲気は変わったよ。良くなった」
図書委員の先輩からも言われたことだ。となると、それはやはりさやかの影響なのだろう。
「また今度、オススメを教えてね」
彼女はそう言って、自分の席についた。
なんとなく、さやかの姿を探してみると、彼女は席についていた。目が合うと、彼女はウィンクで返答した。
昼休み。吟子は図書室の貸し出しカウンター内に座っていた。図書委員の当番である。
「あ、中庭ちゃんだ! これはSSレア引いちゃった?」
深雪が文庫本を持ってやってきた。歴史小説のようだ。
「し、白雪、先輩。……こんにちは」
文庫本を受け取って、貸し出し手続きを進める。
「いやー、この本面白くてさー。あっという間に上・中と読んじゃったよ」
本のタイトルから察するに、室町幕府の将軍、足利義輝の小説のようだ。
「足利義輝好きだから読んでみたんだけどさ、当たりだったわー」
「歴史、お好きなんですか?」
「そうそう。日本史好きなんだよねー。父さんがやってた信長の影響だよ。あ、シミュレーションゲームね。足利義輝もエピソードが好きでさ、中学の頃は真似したもんだわ。ちぃと二人になったタイミングを見計らって、床に木刀並べてかかってこーいって」
「あ、あはは……」
なんだか黒歴史を聞いている気がする。
「白雪さん?」
隣にいる先輩の咳払いが聞こえた。先輩と深雪は知り合いのようだ。確かにここは図書室である。あまり喋りすぎるのはよくないだろう。
「あはは、ごめんごめん。じゃ、中庭ちゃん、また今度、試合会場で会いましょ。あ、練習見に来てもいいよ。野球漫画のお姉ちゃんみたいに。なんならマネージャーでも……」
「白雪さん、榊さんにちょっかいかけない。ここ図書室だって」
先輩の語気が強くなった。深雪は苦笑いすると、手を振って図書室から出ていった。
「榊さん、白雪さんとは知り合い?」
「は、はい。友達の先輩で……」
「意外なところに接点があるんだね。榊さんを困らせないように言っとくよ」
「こ、困っては……ないです、けど……」
今日は色々と会話の多い一日だ。そう思った。
土曜日。隣町の駅で、吟子はさやかを待っていた。テストが近いので最後の追い込みをするべく、吟子の家で勉強会をするつもりだったのだが、兄が急遽夜勤の応援に行くということで他人を呼ぶのがはばかられた。そういうことで、さやかの家になったのだった。
さやかの母親は仕事ということで、遠慮はしないでいいとのことだったが、手ぶらも悪いので菓子を持参している。
「ごめんごめん。シルちゃん、お待たせ」
さやかが歩いて来た。プライベートということで眼鏡をかけている。
「ここからすぐだよ。10分かからないかな?」
「駅、近いんだ。いいなぁ……」
「あ、そういえばシルちゃんとこはちょっと遠かったね」
二人で車一台分ほどの細い路地を歩いていると、4階建ての建物が見えてきた。
「ここだよ。4階だから、ちょっと階段上がるね」
ここがさやかの家。1階は駐車場となっているようで、何台かの車と自転車が停まっていた。
二人で階段を上がっていると、小学生ほどの男子とすれ違った。
「よ、ドンキー」
「誰がドンキーじゃい!」
さやかが笑いながら大声を上げると、彼も笑って階段を下りていった。
「ドンキーって?」
「私のあだ名だよ。ゲームに出てくるゴリラ。私、背が高いでしょ。それに一時期、女子に意地悪する悪ガキがいてね。そいつをしょっちゅう叱ってたから、余計に広まっちゃって」
「ご、ゴリラ……は、ひどいね……」
「慣れちゃったよ。今じゃお母さん達にもドンちゃんって呼ばれてる。正直、鉄拳制裁しちゃった私が悪かったしね」
階段の踊り場にはホワイトボードがあり、子ども会の予定らしきものが書かれていた。以前、さやかのスマートフォンのロック画面に映っていた写真も子供会のものだろうか。
2階の正面には、廊下に窓が面した部屋があった。中では2人の中年女性が事務作業をやっている。さやかは窓を開けて、声をかける。
「せんせー、友達来たから」
部屋の中から目線を感じたので、会釈をしておく。
「チナちゃん、今のは?」
「ここ、母子寮なんだ。中にいるのは親がいない間、みんなの世話をしてくれる人。部外者の出入りは一言言っとかないといけないんだ。小学生とかだと鍵も預けてるよ」
「そ、そうなんだ」
4階の5号室。さやかが鍵を開けて、中に案内する。
「狭くてごめんね。飲み物、コーヒーか紅茶か、どっちがいい?」
部屋の中は確かに広くはなかった。ダイニングキッチンと、8畳ほどの居間。その奥に4畳半の部屋。2DKといったところか。
「じゃ、じゃあ、コーヒーで……」
「はーい。ちょっと待っててね」
さやかがお湯を沸かしに行ったので、とりあえず居間に座る。テレビと化粧台、それに大きな本棚。部屋の端にはノートパソコンが置かれた机があった。奥の部屋はさやかの部屋みたいなので、じろじろ見るのはやめておこう。
「お待たせ。インスタントだけど、どうぞ」
さやかがマグカップを机に置いた。彼女もコーヒーを飲むようで、砂糖とコーヒーフレッシュも準備してある。コーヒーはブラック派なので、そのまま。
「あ、これ、お茶請けのお菓子。よかったら、どうぞ」
駅前の洋菓子店で購入したクッキーを出す。お気に入りの洋菓子店なので、さやかの口に合うと嬉しい。
「わ、ありがとう。おいしそう……って、今食べちゃ絶対勉強できないね。合間の糖分補給にもらいます」
クッキーの箱をテーブルの横に置いて、二人はテスト勉強を始めた。
さやかの成績は学年上位なのだが、それは伊達ではなかった。わからないところを聞いてみると、彼女はとても丁寧に教えてくれた。成績が中ぐらいの自分としては、目から鱗な部分が多々あった。
「教えてもらってばかりで、何だか悪いね……」
「気にしないで。人に教えると、自分の中でも整理できるから、何気に私も助かってるんだよ」
「それ、できる人の台詞だ……。言ってみたい……」
「あはは、言っちゃおう言っちゃおう」
さやかは照れ隠しのように笑うと、マグカップを持って立ち上がった。
「おかわり、淹れてくるね。休憩しよっか」
「あ、うん。ありがとう」
少しして、さやかが戻ってきた。コーヒーを飲んで、一息つく。
「そういえば、チナちゃんは平日も学校に残って勉強してるの?」
「はぇ? うん、そうだよ。部活のみんなで実習室に集まって。どうしたの、急に」
「あ、え、えっと、千代田先輩から聞いて」
「なるほどー。千代田先輩、実はめちゃくちゃ頭いいからね。実はさっきの自分の中でも整理できるっていうのも、千代田先輩の受け売り」
さやかが恥ずかしそうに笑った。その笑顔はずるい。とても可愛い。
「……シルちゃん、最近、ちょっと変わったね」
「え? そ、そうかな……。その、チナちゃんと仲良くなって、人見知りがマシになったから、かな?」
「うん。それもだけど、交友関係、広がったよね」
それは確かにそうである。千歳、深雪。それにクラスメイトとも話す機会が増えた。
「……あのさ」
さやかが少し口ごもった。言おうか言うまいか悩んでいる、そんな表情。
「……シルちゃんの友達が増えるのは、いいことなんだけど。だけど……」
さやかはマグカップを両手で持つ。彼女はうつむいたまま、言葉を続けた。
「……私しか、知らなかったのに。シルちゃんがいい子だってこと。シルちゃんがかわいいってこと。私しか知らなかったのに、みんなが知っちゃう。それが、なんだか、嫌で」
「……チナちゃん」
「みんなが知らないあなたを知ってることに、ちょっとした優越感を感じてたの。……シルちゃんにはいいことなのに、それを素直に喜べなくて。それが嫌で」
これは地雷を踏んでしまったのかもしれない。だけど、吟子の胸に浮かんだのは、地雷を踏んだことではなく、別のこと。
みんなが知らないあなたを知っているのは、私も同じ。そして、それに優越感を感じていたのも、私と同じ。
「……私は今、凄く、嬉しいよ」
「シルちゃん?」
「チナちゃんが、みんなの前じゃいつも笑顔で、文武両道で頼られてるチナちゃんが、私の前でみんなに見せない顔をしてる。それがなんだか、凄く嬉しい。だから……」
マグカップを持っているさやかの手を外側から包むように手を添える。
少しの静寂が場を包む。
「見せるよ。みんなが知らない姿を、チナちゃんに、たくさん」
今まで生きてきたなかで一番真剣に話した気がする。凄く恥ずかしいが、伝えたいことは言い切ってしまおう。
さやかはというと、俯いていた顔が上がり、吟子と目が合う。少し潤んだ瞳。とても綺麗だと思った。
「チナちゃんは、私の、特別な人だから。私も、みんなに、見せない姿を、見せるから。チナちゃんも、みんなに、見せない姿を、見せてくれて、大丈夫、だよ」
言い切るのに凄く時間がかかった気がする。
さやかは微笑んで、手を繋いできた。暖かい手。思わずどきりとした。
「そんなこと言われたら、私、シルちゃんに依存しちゃうよ?」
「していいよ! いや、むしろ、してくださいっていうか……」
何を言っているのだろう。
「……あはは、じゃあ、依存、しちゃおっかな」
さやかは目をつむり、額と額をくっつけてきた。心拍数が一気に跳ね上がったのがわかった。嬉しくて、幸せだけど、身体には良くなさそうだ。
「ありがとう、シルちゃん」
「おはよう、榊さん」
「はい、おはよう、ございます」
「今日は中庭ちゃんの横でお昼にしようかな」
「両手に花だよ、中庭ちゃん。嬉しい? 嬉しい?」
「え、えっと、嬉しい、ですよ?」
「シルちゃん、疲れた〜。よしよしして〜」
「は、はい。よしよし……」
「えへへー、疲れが吹っ飛ぶよ」
「……私も、役得だよ」
気になる人がいた。
その人は今、自分の横で、他人には見せない姿をしていた。
難産でした。
オチを決めずに書き始めるのは……やめようね!