#4
放課後。
吟子は図書館の貸し出しカウンター内に座っていた。図書委員の当番である。とはいえ、放課後に図書館に来る人は少ないので、格好の読書時間だ。
「榊さん、これ、本棚に戻してきてくれる?」
「あ、はい。わかりました」
ペアを組んでいる二年生の女から返却済みの本を受け取る。本棚に向かおうとカウンターを出ようとすると、彼女が声を掛けてきた。
「榊さん、ちょっと変わったよね。前よりも話しやすくなった、っていうか」
「そ、そうですか?」
「うん。前は『話しかけないで』って雰囲気が凄かったんだけど」
変わったのだとしたら、それはさやかの影響が大きいと思う。とはいえ、変わったように見られていたのなら、悪い気はしない。
「あたしは話しかけやすいほうがいいから、助かるよ」
「は、はい。ありがとうございます」
ちょっと恥ずかしくなってきたので、そそくさと本棚に向かう。
さやかと話したいな。
学校では彼女の友達に気を遣ってしまい、こちらからは話しかけられない。メッセージアプリでのやり取りはしているが、やはり直接話してみたい。
『シルちゃん、かわいいよ』
さやかの言葉が頭から離れない。それを思い出す度に顔が赤くなるのが自分でもわかる。
赤面しているのを他人に悟られないように、ゆっくりと作業する吟子であった。
剣道場、女子部室。
この高校の女子剣道部は二年生5人、一年生4人の計9人である。
「さーや、最近調子いいね。ちょっと前は凄く調子悪そうだったから心配してたよ」
練習後、着替えているときに二年生の部長が声をかけてきた。
「確かに。白金ちゃん、最近元気なかったから、今度の試合、大丈夫かなって思ってた。何かいいことあった?」
副部長も心配してくれていたようだ。心配させていたのなら、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「あ、はい。いいことは……ありました」
いいこと。友達になりたかった人と友達になれたこと。
「何々? 頬が緩んでるよ? これは色っぽい話?」
「みゆ、あんまりプライベートに踏み込んじゃダメだよ。白金ちゃん、無理して言わなくてもいいからね。みゆは自分にそういう話がないからって、他人のそういう話が好きなんだから」
副部長が部長を引き離した。部長が頬を膨らませる。
「あ、あはは……。千代田先輩がそう言ってるんで、秘密ってことで」
「はぁー、いいなぁ。アオハルしてるよ」
「一つしか変わらないじゃないですか。諦めちゃダメですよ、白雪先輩」
「諦めてないよ! ……多分!」
部長は顔こそ悪くないのだが、女子力が皆無とのことで、浮いた話は全く無いそうだ。副部長も似たようなものらしい。
「さーや、そろそろ帰ろ」
「そうだね」
同級生が声をかけてきたので、ブレザーを羽織る。いつも携帯電話を入れているポケットを何気なく触ってみると、携帯電話が入っていなかった。
「……あれ?」
鞄を開けてみるも、そこにも入っていない。
「さーや、どうしたの?」
「いや、スマホが見当たらなくて……。ひょっとして教室に忘れちゃったのかも」
「一回鳴らしてみようか?」
「あ、お願い」
同級生が着信を入れてくれたが、反応がない。学校じゃマナーモードにしているとはいえ、バイブの振動はあるはず。
「……教室かな、これ。ごめん、先に帰ってて」
「うん。見つかるといいね」
さやかは部員に礼をして、小走りで教室に向かうのだった。
放課後の教室は不思議な感じだ。
吟子はさやかの机をぼんやりと撫でていた。
図書委員の仕事の後、忘れ物をしたという理由で教室の鍵を借りたのだが、実際に忘れ物をした訳ではない。
じゃあ、何をしているのだろうか。さやかの椅子に座ってみる。
いや、何をしているのだろうか。
「……ひゃっ!?」
机の中から振動音がした。突然のことに驚いてしまう。机の中を覗いてみると、さやかのスマートフォンがあった。電話の着信のようだったが、ほどなくして止まった。
「……忘れてるのかな?」
スマートフォンを手に取ってみる。ロック画面には電話着信のアイコン。壁紙の画像は小学生ほどの子供たち―近所の子供だろうか―と一緒に写っている集合写真だった。キャンプ場のようだ。
ロックを解除しようと思ったが、それはさすがに良くない。
足音がした。慌ててスマートフォンを机に戻し、椅子から立ち上がる。
「……シルちゃん?」
足音の主はさやかだった。さやかの席にいたのは怪しまれていないだろうか。
「チナ、ちゃん」
「どうしたの、忘れ物?」
「あ、は、はい。そんなところで……だよ」
「私も忘れ物。ミスターがシルちゃんがいるって言ってたけど、本当だったんだ。携帯、鳴らなかった?」
「あ、はい。急に机の中から振動聞こえてきたから、びっくりしました」
手に取ったことは内緒にしておこう。
「よかった、教室に忘れてたんだ。あとシルちゃん、敬語になってるって」
「ごめんなさい……あっ。もう、クセになっちゃってる」
「あはは。でも今のはかわいかったよ」
「そ、そうかな。……チナちゃんって、褒めて伸ばすタイプ?」
「そうかも。部活でも後輩にガミガミ言ったことないもんね」
さやかがスマートフォンを制服のポケットに入れた。
放課後の教室に二人きり。なんだか、前のことを思い出す。
「……なんだか、友達になったときみたいだね」
さやかもそう感じていたようだ。
「……うん。……そういえば」
あのとき疑問に思っていたことがあった。そのことも思い出す。
「……どうして、泣いてた……の?」
さやかが放課後の教室で一人泣いていたこと。いつも笑顔の彼女が、壊れそうに泣いていたこと。
「……そうだね」
「あ、あの……嫌なら、別に……言わなくても……」
さやかは首を横に振って、喋りだした。
「あのときは、すっごくしんどくて。勉強も、部活も、うまくいかなくて。だけど、誰にも相談できなくて」
さやかは窓の外を眺めながら言葉を続けた。
「みんな、私に期待してて。それに応えられないのが、凄く辛くて。私、本当はそんなに期待かけられる人じゃないのに。みんなが見ている私は、本当の私じゃないのに」
さやかの声が震えだした。
「……チナちゃん?」
さやかがこちらに振り向く。彼女の潤んだ瞳は、とても、とても綺麗だった。そう。壊れてしまいそうな美しさ。
「……ごめんね。でも、もう少しだけ、喋らせて」
「……じゃ、じゃあ……」
思いもしない言葉が口をついて出た。
「私の家、今日は誰もいませんから……そこで、話しませんか?」
なぜ言ってしまったのかわからない。でも、教室よりは人に聞かれる危険はなさそうだ。ここから先は、さやかにとってのセンシティブな話だろうから。
さやかは少しだけぽかんとした表情を浮かべた後、笑顔で頷いた。
「ど、どうぞ……」
自宅に誰かを呼ぶのは久しぶりだ。なんなら小学生の頃以来かもしれない。
「お邪魔しまーす」
さやかが家に上がった。幸い、部屋は片付いている。
「家の人は? ホントにいないの?」
「はい。兄さんは仕事で夜遅くまで帰ってきませんから。両親は……まぁ、色々ありまして」
吟子の両親はすでに他界している。去年、結婚20年のお祝いということで兄と二人で夫婦二人の旅行をプレゼントしたのだが、その先で交通事故に遭い、帰らぬ人となった。それから、兄との二人暮らしだ。不幸自慢になりかねないので、聞かれない限りは他人には話していない。
「……シルちゃんにも色々あるんだね」
「あ、あの、お腹空いてませんか? カレーでよければ、ありますけど……」
雰囲気が重たくなりそうだったので、話題を変えてみる。昨日作ったカレーが残っており、今日の夕食にするつもりだった。パッケージのレシピに忠実に従ったので、決してまずくはないはずだ。
「ホント? 今日はお母さんが宿直だから、夕飯はどうしようって考えてたんだ。シルちゃんが作ったやつなら、喜んで」
「じゃ、じゃあ、ちょっと待っててね」
ブレザーを脱いでからキッチンに向かい、エプロンをつけてカレーを火にかける。カレーを温めている間に付け合わせのキャベツを準備する。
2人分のカレーを準備して、ダイニングに戻る。さやかはテーブルに置かれていた雑誌に目を通していた。兄が読んでいた青年漫画誌だ。
「チナちゃん、お待たせ」
「ありがとう。……エプロン姿、かわいいね」
「あ、いや、これは!」
今着ているものは中学の家庭科の授業で作ったものだ。地味な柄であり、縫製も雑なので、褒められると面映ゆい。エプロンを脱いで、さやかの向かいに座る。
「じゃあ、いただきます」
一緒にカレーを食べる。兄も自分も辛いものが好きなので、結構な辛口に仕上がっている。
「……辛いけど、美味しいね」
「あ、ごめんなさい。私も兄さんも、辛いのが好きなので……」
「シルちゃん、辛いの平気なんだ。カレー屋さんだと、どれぐらいのを食べるの?」
「えーっと、最高で7辛まで。あれはさすがにキツかった……。普段は3辛にしてるかな」
「えっ、凄。私はせいぜい2辛だよ」
「兄さんとか、近所の超激辛ラーメン完食してラーメン屋さんに写真飾られてたよ。今はもう外されてるけど」
「凄い、激辛一家だ。うちはお母さんが辛いのダメだからなぁ~」
ちょっと饒舌になってしまった。そうこうしているうちに、カレーを完食。空いた皿を流しに持って行き、水につけて、食後の麦茶を持って行く。
「はい、お茶。……向こうに、座る?」
「あ、そうだね」
リビングのソファーに座る。さやかも横に座った。
彼女のいい匂いがする。
「……シルちゃん、いい匂い」
どぎまぎしているその矢先、さやかが肩にもたれてきた。
「か、カレーの匂いでしょ?」
「ううん、シルちゃんの匂いだよ」
さやかとの距離が近い。恥ずかしさと高揚とで、どうにかなってしまいそうだ。
「……学校でした話の続き、だけど」
「……は、うん」
「私ね、小学生の頃はさ、本当に暗かったんだ。本だけが友達で、学校では誰とも喋らなくて」
「えっ!?」
今のさやかからは想像もできない。今のさやかは、明るくて、誰とでも親しく接している。
「私がそんなのだから、お母さんも苦労してて。あの人……父さんとも、私のことで喧嘩してて。喧嘩した後、お母さんが泣いてたんだ。私のせいで。私が、何もできないから」
さやかの声は寂しそうだった。
抱きしめたい。そう思った。
いや、それはちょっと不謹慎じゃないか。自分を信用して、ここまで話してくれているっていうのに。
「中学生になるときに両親が離婚して、校区も変わったんだ。そのときに、変わろう、って思ったの。みんなと話せるように、今まで興味なかったドラマとかバラエティも見て。流行りの音楽も聞いて。お母さんを喜ばせようと思って、お母さんがやってた剣道を始めて。テストでもいい点取れるように、わからないところはわかるまでやって」
これは無理だ。
吟子はさやかを抱きしめた。彼女の身体は柔らかくて、暖かい。
「……やってみれば、結構できたんだ。だけど、たまにうまくいかないこともあって。だけど、みんなに心配をかけたくないから、そんなときでも明るく振る舞ってた。それが、凄くしんどかったんだ」
声を掛けるよりも、抱きしめていたほうがいいような気がする。抱きしめたまま、さやかの背中を撫でる。
「……シルちゃんは、私のこんな姿、見たくなかった?」
「……正直、びっくりした。チナちゃんが、そんなこと、思ってたなんて、思わなかったから……」
「がっかりしたよね。そんなこと聞かされても、って感じだよね」
「違います!」
大声が出てしまった。さやかは目をぱちくりさせる。
さやかの秘密を共有できたことが嬉しかった。
「そ、その、嬉しかった。私なんかに、そこまで、言ってくれて。誰にも言えないことがあると、しんどいと思うの。だから、その……」
さやかの目を見て話そう。抱きしめたまま見るさやかの顔はとても近くて、凄くどぎまぎした。
顔、絶対真っ赤だ。
「しんどいときは、私に言ってくれたら、いいよ。私なら、他に友達、いないから、絶対バレないし……」
事実にせよ、言ってて少し悲しくなった。
「こうして、ぎゅってしてあげるから。あ、いや、させてくださいって言ったほうが……いや、変な気持ちとかはないんですけど、落ち着くかなって。も、もちろん、隠れてするから!」
私は何を言っているんだろう。
緊張しているせいか、自分が何を言っているかわからなくなる吟子であった。
「……ふふ」
さやかはくすりと笑って、吟子の背中に手を回した。
「じゃあ、お願いするね。しんどいときは、ぎゅってしてください」
さやかが耳元で囁いた。
これ、そのうち死ぬかも。
吟子は耳まで真っ赤にして、何度も頷いた。