#1
気になる人がいた。
彼女はクラスの中心で、いつも明るく笑っている。成績も良くて、運動もできる。背が高くて、ポニーテールがよく似合う美少女。
私とは違う世界の人。仲のいい人はほとんどおらず、いつも教室の隅で静かに本を読んでいる私とは。
その日までは、そう思っていた。
「榊さん、ご苦労様。遅くまでごめんね」
「い、いえ……。失礼、します……」
彼女、榊吟子は担任の女教師にお辞儀をして、職員室の扉をそっと閉めた。廊下はだいぶ薄暗い。もう日が暮れる。季節は秋。夕方にもなれば、肌寒さを覚える。
鞄を置いている教室に向かって、吟子は薄暗い廊下をそそくさと歩く。彼女は高校1年生。髪は肩よりも少し短いぐらい。前髪で片目が隠れていて、制服のスカートはほぼ膝丈。きっちりとネクタイを締めて、ブレザーの前も閉じている。地味な少女だ。
放課後、帰ろうとしていたところを担任に捕まり、プリントの整理を手伝わされていたらこんな時間になってしまった。吟子が頼まれ事を断りにくい性格なのを知ってのことだろう。まぁ、どうせ一人で帰るだけなのだし、大した用事もないので、多少帰りが遅くなったところで困りはしない。担任からの心証が多少なりともよくなるのなら、悪くはない。そんな感じで軽く引き受けたら、思いの外時間がかかってしまった。担任からはジュース代として130円を貰ったが、割に合っているかというと微妙なところだ。
誰もいない廊下は、少しの非日常感を与えてくれる。教室の扉を開けようとしたとき、声が聞こえた。
女性の泣き声だった。
他に音はしない。どうやら一人で泣いているようだ。声を押し殺したような泣き声。なにやら、ただならぬ雰囲気である。中に入っていいのか、悩むところだ。
だが、教室に鞄を置いている以上、中に入らないことには帰れない。あまり関わらないよう、鞄を取ったらすぐに帰ろう。扉をそっと開ける。
泣いていたのは、意外な人だった。
クラスの中心。いつも笑顔で、楽しそうにしている女の子。 背が高くて、ポニーテールがよく似合う美少女。そして、少し気になっている女の子。
「……白金、さん?」
白金さやか。
予想外の人物に、思わず声が出てしまった。慌てて口元を押さえる。
さやかもこちらに気付いたようで、目尻の涙を拭うと、笑顔を浮かべた。
「……榊さん。どうしたの? 遅いね」
さやかは努めて明るく振る舞っているが、その声は震えていた。ついさっきまで泣いていたせいか、笑顔がぎこちない。
「い、いや、ちょっと、その、な、長嶋先生のお手伝いを……」
「そうなんだ。大変だね~。長嶋先生、人使い荒いもんね」
瞳を潤ませての笑顔。凄い違和感がある。ひょっとして、彼女は無理をしているのではないのだろうか。
「あ、あの……」
何があったのか聞いていいものか。全くといっていいほど絡みのない自分が。でも、目の前で泣き顔を見てしまった以上、放っておくことはできない。それが気になる女の子だとしたら、余計にだ。
「その……どうか……しましたか??」
さやかは一瞬だけ驚いたような顔をした。ほら、やはり聞くべきではなかった。日頃、全く絡みがないのだから。
「あ、いや、やっ、やっぱりいいです!! 」
そそくさと鞄を持って、立ち去ろうとする。
「榊さん」
さやかの声。足が止まる。振り返る。
夕陽に照らされたさやかの顔は、ぞくりとするほど綺麗だった。
「途中まで、一緒に帰ろう?」
断ることなど、できるはずがなかった。
誰かと一緒に帰るのは久しぶりのことだった。高校生になってからは、一度もない気がする。それも、全く絡みのなかった人とだなんて。なんだか凄く緊張する。
吟子は自転車通学。さやかは電車通学。さやかが利用している駅は帰宅ルートの近くだ。歩きだと15分ほど。自転車を押しながら、さやかと一緒に歩く。
赤信号で足が止まる。
「榊さん、ごめんね。気を遣わせちゃって」
さやかの声は普段の調子に戻っていた。
「いや、その……だ、大丈夫、ですか?」
「うーん……。大丈夫か、って言われると、大丈夫じゃない、かな」
何があったのだろうか。詳しく聞こうか迷っているうちに、信号が青になった。
「榊さん、今は本、何を読んでるの?」
「えっ?」
さやかが話を変えてきた。そしてそれは予想外の質問だった。
「えっと……わからないと、思います、けど……」
今読んでいるのは、少し古い小説。書店でフェアをやっていて、タイトルが気になったので買ってみたものだ。ベストセラーというわけでもないし、ドラマの原作でもない。さやかが知っているとは思えない。
「いいから。教えて?」
さやかの笑顔。これはずるい。抗えるわけがない。
「……焼跡の浄財、っていう、少し古い小説です」
「ふむふむ」
さやかはスマートフォンを取り出し、文字を入力しているようだ。
「メモったよ。今度、探してみるね」
さやかが見せてきた画面には『焼跡の浄財 榊さん読んでるやつ』と入力されたメモ画面があった。他にも本のタイトルと思われる単語が並んでいる。吟子が読んだことのある小説もいくつかあった。
「し、白金さん、それ……」
「読みたかったり、気になる本を忘れないようにメモってるの。増えてくばっかりなんだけどね」
読みたい本が増える。その気持ちはわかる。というか、意外だ。
「私さ、読書、好きなんだ。家じゃずっと本読んでるんだよ」
「そ、そうなんですか……」
「意外でしょ?」
思わず頷いてしまう。って、これは失礼だ。慌てて首を横に振る。
「あはは、榊さん、正直だね。無理もないよ。誰にも言ってないし、学校じゃ朝読以外じゃ読んでないしね」
この学校には朝のホームルーム前に10分間の読書の時間が用意されている。通称朝読。
駅前の信号は赤かった。足を止める。
「私さ、榊さんとお話、してみたかったんだ。いつも本を読んでるから、何か面白い小説とか、知らないかなって」
信号が青になったが、さやかは横断歩道を渡ろうとしない。
「榊さん。私と……」
読書という趣味を隠している、さやかの気持ちはわからなくもない。彼女の友人は皆、活動的な人ばかりだ。話が合うような人はいないだろう。
「友達に、なってくれない、かな?」
操られるかのように、首が動いた。頷く方向に。
ちまちまと書いていたお話です。気長にお付き合いいただけると幸いです。