疫病の村の英雄・上
あるところに山間の小さな村があった。そこは林業と狩りを営む小さな集落で、世の流れからは取り残されたのんびりとした村だった。
秋の始まりの頃。それは山仕事で忙しくなる季節。重大な危機が村を襲った。
「あぁ、あの家の子も病に倒れたぞ!」
「なんとしたことだ! 薬も底をついたようだ」
「神などどこにもいないのではないか!」
村人達は往々にして嘆いた。絶望していた。はやり病が子供らの命を奪っていく。大人たちはなすすべも無く見ているしかできなかった。貧しい村でありきちんとした医者も薬も無い中で、懸命の看病が行われるも幼い命が散っていく。
そんな村の中の一組の親子は住んでいた。とある夕時のこと。テーブルを挟んで父と娘が座って食事を行っている。
「お父さん。仲の良い子が病気で倒れちゃったって・・・・・・」
幼い女の子が父親に語りかける。
「エリル。その家には近づいちゃダメだ」
父親がそう教える。そうする事でしか自分達の身は守れないのだ。
「どうして? お見舞いにも行ってはダメなの?」
幼い子はつぶらな瞳で父親を見つめた。
「ダメなものはダメなんだ。今、この村は伝染病に襲われている。それは恐るべき死神なんだ」
父親は幼子に言い聞かせる。幼子は頷いた。
「うん。わかった。病気の子が良くなりますようにって、神様にお願いしているね」
そう言うと子供は食事を終えて寝室へと向かって行った。
父親は頭を抱える。
「あぁ、なんという事だ。このままではこの村は終わりだ。せめて余所の土地でやっていくだけの金があれば、この村を出て行くものを」
父親は苦悩する。疫病に悩まされている村を出る事ができない事に。貧困。それは貧しい林業の村にいる限りは逃れる事はできない。
どたん。
急に何かが倒れるような音がした。父親は気になって寝室を覗きに行く。そこでは娘が床に倒れていた。
「エリル?」
父親は急いで娘を助け起こすが、娘の体が熱いことに気が付いた。間違いなく伝染病に冒されている。
「おお、なんとしたことだ! 神よ、あなたには慈悲すらないのか!」
父親の嗚咽が木霊する。それは慟哭。魂の叫び。
翌日。村の集会所で人々は集まった。取り仕切るのは長老だった。
「皆のもの。良くぞ集まった。議題は今問題となっている伝染病についてじゃ」
長老が集会所の面々に語りかける。
「うちのエリルもついに伝染病で倒れた」
エリルの父親がそう話す。
「ダリド、お前の一人娘もか・・・・・・。皆も知っておろう。子供ばかりが罹患する伝染病が広がっておる事を」
長老の言葉に集まった皆が頷いた。
「このままではエリルも死んでしまう! なんとかできないのか?」
ダリドは叫ぶ。その言葉に他の者達も続いた。
「近所の子供は既に亡くなった。村長。このままではこの村の未来はない! 何か手立ては!」
「そうだ! このままでは未来の担い手がいなくなってしまう。そうなってはこの村は終わりだ! だれか、薬を買う金を持っている者はいないのか!」
人々ががなり立てる。しかし、誰もがうつむき床を見た。どこの家も貧乏なのはわかりきっていたからだ。そしてポツリポツリと泣き始めるものが出始める。何の手立ても打つ事ができないとわかったからだ。
長老が周りの者をなだめた。
「ぬぅぅぅ。決断のときは来た。ワシらは木材や薪を売って生計を立てておる。大規模な商会を通じてのう。そこの商会に前借りで料金を貰い、その金で薬を買おうぞ。足りない分は今年の冬に必要な我らの薪を我慢すればすぐに用意できよう・・・・・・」
長老の言葉に皆が顔を上げた。
「おぉ、さすが長老! 妙案だ! それならば子供達を救うために薬を買うことができるだろう!」
集会所の面々の顔に希望の光が輝き始めた。切り詰める事で捻出した金と、前借りする事による苦労は発生するが、それで現状は打開可能だからだ。「長老!」「長老!」とコールが起きる。そこで長老が片手を上げた。
「皆のもの。まだ問題は解決しておらんぞ。誰が遠方の街まで薬を買いに行くか。いけるものは名乗りを上げろ!」
長老の呼びかけ、しかしそれに応じるものが中々現われない。なぜなのか。
「長老。最短で遠方の町に行くまでにはあの峠を越えねばならないだろう・・・・・・」
村人の一人が難しい顔をして発言した。
「ううむ。あの盗賊がよく出るならずもの峠を越えねばならん。下手をすれば強盗に襲われて命を落とすやもしれんな」
長老も言葉に詰まった。
皆が再び沈痛な面持ちで床を見つめる。その時、一人の男が名乗り出た。
「私が行こう。行かねばエリルは死んでしまう」
挙手したのは父親のダリドだった。
「おお、ダリドよ。良くぞ名乗り出てくれた!」
長老はもろ手を挙げてダリドを讃えた。
「その代わり、私がいない間の娘の看病は誰か頼む」
ダリドがいなくなれば娘のエリルの看病をする者がいなくなる。それを不安視したようだ。一人の男が挙手する。
「安心しな。お前の娘は俺の女房が看病してやる!」
村人の一人が名乗り出た。話は纏まったようだ。そこで長老が皆に命を下す。
「皆のもの! 冬の為にと蓄えておいた薪を集めてくるがよい! この冬は爪に火を灯してでも乗り切ろうぞ!」
長老の号令で皆が集会所を飛び出していった。後に残ったのは長老とダリドだけだった。
「長老。商会への取次ぎ書を書いてくれ。私では字が書けん。来年の分を前払いで頂きたいと、一筆書いてもらわねば、私は門前払いで送り返されてしまうだろう」
「わかっておる。待っておれ」
字を書ける者は限られている。長老はさっそく前払いを依頼する為の手紙を書き始めた。そして蝋封をしてダリドへと手渡す。
「長老よ。叡智を感謝する!」
ダリドは感謝の言葉を述べた。
「感謝するのは全てが終わってからじゃ。ダリドよ、無事戻ってくるのじゃぞ?」
長老の言葉にダリドは頷き、集会所を飛び出して行った。
村人達の計らいで一台の馬車に大量の薪が積みこまれ始める。それは今この村にある薪全てだった。村のなけなしの蓄え全てが集められる。それもこれも村の未来をになう子供達のために。
薪は馬車一杯に積まれた。これでも売り上げは高が知れている。ないぶんは建築素材に使う木材の売り上げの来年分を前借するのだ。
「ダリド。これをもっておいき」
村の女房達が携帯食料を持って来てくれた。薬を買える街までは往復で最短でも二日を要する。その為の食料だった。馬車の馬の餌も積み込まれている。準備は万端だった。
「ダリド、気をつけて行ってくれよ・・・・・・」
村人達がダリドの出発を見送った。全ての村人の希望を一身に背負ってダリドは村を出る。