陸の上の人魚姫・上
人間達の住処の大都会。そこは海からはほど遠く。大陸の中でも大分中央に位置する国。その中の奥底にある牢屋の中で女は歌う。
「ラララーラーラー♪」
女は美しい藍色の髪と瞳をしていた。その清廉な美貌から魅惑の歌声が発せられる。
牢屋の番をしていた男がうっとりした目で女を見つめる。そして牢屋にすがり寄った。
「おお、なんと美しい歌声! お前の為なら自分は何でも投げ出そう!」
男は陶酔したような表情で女を見つめた。その男の頬に女が牢屋越しに手を添えてなぞる。女は男にこびるような表情をした。そして語りかける。
「なら、お願いがあるの・・・・・・私をここから出して?」
女はそういうと妖艶にほほ笑んだ。男は子供のようにうんうんと頷く。そして男は牢屋の外へと武器を持って駆け出していった。
「くそっ、これで三人目だぞ!」
商人と思われるいでたちの男がイラつきながらそう言い放った。そばに仕える傷だらけの顔のはげ男が困ったような表情をした。
「旦那ぁ。並みの抗魔力ではあの女の見張りすら務まりゃしませんぜ」
はげた男がもみ手をしながらこびへつらう。
「どいつもこいつもあの女の歌声にやられちまう。足を生やした人魚なんざ格好の商品なんだ。売り飛ばせるまで見張りの一つも務まるやつぁおらんのか! 次から次と気が触れて女を逃がそうとしやがる!」
奴隷商人の頭は「ええい!」と側のテーブルを蹴り上げた。
「そうは言いましても、ならず者崩れの俺達ではあの女の歌声の魔力に抗えませんぜ。猿轡をしようにも変身能力があるからすぐに外されちまいやすし・・・・・・傷物にも出来ませんから無茶な扱いは出来ませんって!」
「そこを何とかして見せんか! そうだ。ならば冒険者ギルドでそこそこ腕の立つ奴を雇ってこい。あぁ、奴隷商なのは伏せておけ。まっとうな奴はそれで避ける。伏せた上で聞かれなければそのまま契約書にサインさせろ。一旦契約をすれば、後は詳細をきちんと聞いておかなかった冒険者側の問題に過ぎなくなるからな。そうすればやつらも多少の事は目を瞑る」
奴隷商人は「ぐっふっふ」と笑った。
「御安い御用で。では二人ばかり雇ってまいりやす」
はげ頭はへこへこしながら退室して行った。
「ぐっふっふ。あの美貌と歌声ならば、さぞや好事家に良い値段で売れる事だろう。なんなら買い手があの歌声にやられちまって女を取り逃がそうが、そこをワシらがまたとっ捕まえて他へ売り渡せば何度でも儲けられる・・・・・・これは良い金づるを見つけたワイ!」
奴隷商人はあくどい笑顔でニコニコ笑うのだった。
悪人達がほほ笑み、善人達が苦しそうな表情であえぐ世界。そこに神などいないのだ。
冒険者ギルドには様々な者達が集まる。ひよっこから腕利きまでごまんとだ。そこから腕の立つやつを雇うにはそれなりの目利きが必要だった。
「さぁーて、我らは商品の番をする者たちを求めている。大事な商品を扱うので腕の立つやつが必要だ。我こそはと思う者は名乗り出るが良い!」
奴隷商の使いであるはげ男は冒険者を集った。それは珍しい行為でもなんでもない。ギルドに話を通しておけば誰でも出来る。書面ではまずい記録が残るため、奴隷商の使いは口頭で募集をかけているのだ。後で何か問題があっても、言った言わないの話に持ち込める。
しばらくして何人かの冒険者達が集まった。何人かは腕が立つであろう冒険者達だ。・・・・・・その中には黒い鎧の男がいた。やばそうな魔剣を背負っている。通りすがる者は誰しもが彼の背中の魔剣に目をとめた。
奴隷商の使いは集まった者達を値踏みする。そして黒い鎧を着た男を見たとき、何かやばそうな奴がいるなと即座に感じ取った。背中のマントの国章はラストヴィン王国のもの。ならばあの名の通った聖戦士の一人なのだろうと予測する。何より背中の魔剣の気配がすごい。どす黒いオーラを立ち上らせているのだ。その場にいる誰しもがこいつは間違いなく凄腕だろうと思うのだった。
「今日集まってもらったのは他でもない。俺の雇い主の商人からの依頼で来た。これが通商ギルドの証明書である」
奴隷商の使いは冒険者にまともな商人であると信じこませるために、通商ギルドの証明書を出して見せたのだ。
冒険者達が頷いた。とりあえず依頼主の身分は確認できた格好だからだ。
「我こそはと思う者は名を上げられよ。しかるべきものに我々は依頼しよう!」
奴隷商の使いの呼びかけで冒険者達が進み出る。それには件の黒い鎧の男の姿もあった。奴隷商の使いは目ぼしい者に目を留めていく。
「よし、お前と・・・・・・お前に来てもらおう」
奴隷商の使いは中年で年季の入った冒険者と、黒い鎧の男を指差した。二人が残って他の冒険者達は散らばっていく。
中年の冒険者が名乗り出る。
「はじめまして。わたくしはフルネス。精霊魔術を得意とする者です」
奴隷商の使いは頷いた。
「あぁ、身なりでそうだと思った。お前、名は?」
奴隷商の使いは黒い鎧の男に名を尋ねる。
「・・・・・・セヴァンだ。戦士をやっている」
セヴァンは短くそう答えた。聞かれたこと以外はしゃべるつもりはないようである。二人は冒険者ギルドを通した契約書にサインを済ませる。そして一通は冒険者ギルドへ、もう一通は奴隷商人の使いが手にした。奴隷商の使いはほくそ笑む。
「お前達には早速商品の見張りをやってもらう。ついて来てくれ」
一同は冒険者ギルドを出て、奴隷商のアジトへと向かった。そこで奴隷商の頭が一行を出迎える。それは善良なる市民の顔をして現われた。
「ようこそ、私の店へ! 商品の取引が終わるまでの付き合いだがよろしく頼む。なぁに、多少腕の立つ冒険者なら務まる簡単な仕事だ」
「旦那、要望どおりの者達を連れてまいりましたぜ」
「あぁ、すぐに持ち場へ案内しろ」
奴隷商の使いであるはげ男は頷き、セヴァンとフルネスを連れて地下へと向かった。その後姿を奴隷商がちらりと見る。黒いオーラを放つ魔剣が並ならぬ雰囲気を漂わせていたので眉をひそめたのだった。
「ここがお前達の持ち場だ」
はげ男が地下牢を案内する。灯りも乏しく陰気な牢屋が立ち並ぶ、そこには無数の奴隷達がいた。
「おっと、これはよもやの奴隷商人でしたとは・・・・・・」
フルネスが流石に渋い表情をした。セヴァンも顔をしかめる。
「おや? 扱っている商品については特に何も聞かれなかったなぁ?」
と言うはげ男の言葉を聞いたフルネスは唸った。
「むむむ。荷の中身については聞かないのが冒険者のセオリーとはいえ、これは流石に・・・・・・」
フルネスは抗議した。セヴァンは特に何も言わず、成り行きを見ている。
「おやおやぁ? 契約書にはサインをされたのだから、契約不履行という事かね?」
はげ男はニヤニヤしながらそう言った。その様子を見てフルネスもセヴァンも、これが初めから仕組まれていた流れである事に気が付く。
「・・・・・・チッ」
セヴァンは舌打ちして壁に背をもたれかせさせた。特に不服は言わないようだ。
「・・・・・・わかりました。今回限りでございますよ?」
「わかってくれればいい。お前達の主な仕事は奥の牢屋にいる女の見張りだ。こいつの歌声は魔力を持っている。気をつけて見張るがいい」
そういうとはげ男は去っていった。
後に残された二人は仕方なく牢屋を見張っている。フルネスがため息をついた。
「やれやれ、とんでもない事になりましたな、ご同業」
フルネスがセヴァンに語りかける。セヴァンは肩をすくめるばかりだった。その時、牢屋の奥から女の声が聞こえてくる。
「あらあらぁ、また誰かいらっしゃったのかしら?」
牢屋に似つかわしくない澄んだ声。その声にフルネスは気が付いた。
「お嬢さん。何者かは知りませんが、魔力のこもった声がしますね?」
フルネスは警戒して構えている。
「あら、あなたはわかるのね。ラララー♪ ラララー♪ ラララーラーラー♪」
藍色の髪をした女が歌声を上げた。キィィィンと突き抜けるような声が牢屋に響く。途端に他の牢屋に入れられている奴隷達がうっとりした表情になった。
「なるほど。あなたはそれで人を操るのですね? しかし残念でした。わたくし、その手の魔物との交戦経験もありましてね。ある程度は耐性もあるので効きはしませんよ?」
フルネスは女の歌声に平然としていた。
「なら、そっちの黒い鎧の方はどうかしら? ラララーラーラー♪」
女の歌声が響く。しかし、壁に背をもたれかけているセヴァンの様子に変化はない。
「・・・・・・無駄だ」
セヴァンが一言そう呟いた。
「・・・・・・そう。抗魔力の強い人間を雇ったというわけね」
女は残念そうな表情をした。そして歌声で誑かすのは諦める。
「そういうことです。あまり気乗りしない仕事ですが、請けたからにはきっちり行いますのであしからず。このご同業も同じ意向のようですし」
フルネスはちらりとセヴァンを見た。特に動きはない。見張りとしての仕事をするつもりなのだろう。
女が牢屋越しに寄ってフルネスに懇願する。
「ねぇ、お願い。私は海に帰りたいの。私は人魚だったけれど人間の男に恋をして、人間の姿で陸に上がったところを捕らえられてしまったの。もし海に帰れたら、何かしらの恩返しはするわ。海の底に沈んだ商船の財宝などがあるから」
女は同情を誘いつつ、金目の物で気を引こうとしている。
「残念ですが、わたくしどもは仕事で請けておりますので。交渉事は諦めてくださいな」
フルネスはやんわりと断った。
それを見て女が涙を流しだす。
「このままでは私はどこか遠くへ売られてしまうわ・・・・・・そうしたら何をされるか・・・・・・」
「貧しい家の親が、わが子を奴隷商人に売り渡す事もあるのが人間の社会。この国では亜人などに至っては捕らえて奴隷売買するのが禁じられているわけでも無い。運がなかったと思って諦めなさいな。あぁ、わたくしとしてはそういう者達に対して同情を禁じえないところはありますが、今回は事情が事情ですのであしからず」
御涙ちょうだいもフルネスには通じなかった。女は泣き続ける。流石にフルネスも相手にするのも気が引けたのだろう。セヴァンと同じように壁に背を預けた。
「さて、セヴァン殿。あなたの話とゆきますか。セヴァン殿のその背中の国章、今は亡きラストヴィン王国の物ですな。そしてその鎧。漆黒に塗られておりますが、わたくしの記憶では間違いなくそれは聖戦士達の身につけていた鎧」
「・・・・・・・・・」
セヴァンは目を閉じて何も言葉を返さない。答えるつもりはないようであった。
「まぁ、何かしら事情はあるのでしょう。それよりも問題なのは、その背中の魔剣ですよ。まず、その鞘。わたくしの記憶が正しければ、その鞘はかの国の聖戦士王が持っていた聖剣の鞘に他ならないのでは? わたくし、かなり依然にラストヴィン王国へ行った事があるので、その時に見たんですよ。聖戦士王の聖剣を」
フルネスの指摘にセヴァンが目を開いて相手を見た。
「・・・・・・・・・」
しかし、セヴァンは口を結び開かないままだった。
「伝説の聖剣の鞘。素晴らしい神気さえも感じさせる神々しいアーティファクト。それは良いでしょう。あなたが持っているのも何かしらの理由があってものとしか思いません。そこに納まっているのが聖剣ならば。しかし、その鞘の中身はどう見ても聖剣のそれではない。かなりおぞましき魔力を感じる。それは一体・・・・・・」
フルネスが言葉を続けた。しかし、その言葉が続くほどにセヴァンの表情は硬くなっていく。
「色々詳しいようだな。しかし、詮索はやめてもらおうか。この剣については気にするな。抜くつもりも無い」
セヴァンはそれだけ告げると再び目を閉じた。
「そうですか・・・・・・これは独り言なのですが、ラストヴィン王国には究極の魔剣の伝承もありましたな。持ち主を不幸にする魔剣であるとか・・・・・・。だからわたくしも深入りするつもりはございません」
それだけ告げると、フルネスもそのまま壁に背を預けて目を閉じるのだった。
牢屋には女の歌声に浮かされて酔いしれている奴隷達の嬌声と、すすり泣く女の声だけが響いた。