手折られし最強の剣・下
暗殺者は人通りを離れた裏道を行く。そこは薄暗く、汚れたスラムだった。食いつめ者が地べたに寝転び、親すらいないようなガキがそこらを走り回っている。未来ある希望からは程遠き絶望の町並。家々の煙突からは暖炉の煙すら昇ってはいない。それでもドブネズミが道の端を走る。そんなスラムの入り組んだ道を上り下りして進んだ先にザックォのねぐらはあった。ゆっくりと半分だけ戸を開けて、仕掛けられたトラップを解除する。迂闊に扉を開けると、部屋の奥から矢が飛び出す仕掛けだった。ザックォのような者は人の恨みを買いやすい。麻薬王ゴバディの命令で、対抗組織の幹部等を暗殺していた頃は特によく狙われたものだ。だが、ザックォは持ち前の警戒心の高さから生き延びてきた。
誰かが侵入していたならばトラップは発動している。解除が必要だった時点で、ねぐらの中の安全は確保された。ザックォはねぐらに入り、そして再びトラップを設定する。それもまた欠かせない作業。
ザックォは背負い袋をベッドの上に投げ出した。そして中のモノを取り出す。飲み水と乾パン。そして干し肉だった。彼は干し肉を取り出してから部屋の中にあった鳥かごをあける。そこには一羽の鷹がいた。鷹はザックォが主以外で心を許す唯一の存在。その鷹に干し肉を与えた。鷹は獰猛に干し肉へと喰らいついた。
「よぉし、いい子だ。また仕事の話が来た。お前にも手伝ってもらうぞ」
ザックォはそう言うと、鷹を天井にはなった。天井には留まり木があった。そこに鷹が留まる。
この鷹も侵入者に向けた備えの一つ。招かざる者・・・・・・いわば侵入者全てであるが、ねぐらに入ってきた者を襲うように仕込んであった。ザックォが眠る時はこの鷹に警戒させるのだ。
ザックォはテーブルの上のロウソクに人を灯すと、空いていた椅子に腰掛けて、腰のベルトを外してテーブルへ置いた。ベルトには短剣を入れるポケットが幾つか付いていた。ザックォはそのベルトから短剣を一本一本抜いてテーブルの上へと置いていく。そして家の棚から小瓶を一つ取ってきた。それはどす黒い液体が入っていた。致死毒である。その毒をテーブルに並べた短剣に丁寧に塗っていく。そしてベルトのポケットに収めていった。
ザックォは確実に仕事をこなす為に、高価な毒薬を用いる事にしたのだ。こいつでかすり傷を負わせれば確実に殺せる。入手が困難なのと金がかかるのとで、普段はここまではやらない。今日聞いた話から、セヴァンを一撃でしとめなければ危うい相手と見て取って、毒物を使う決心をさせたのだ。短剣に塗った毒をロウソクの明かりで確かめながら丹念に作業を続ける。
暗殺者は毒を塗っていない最後の短剣を手に取った。それを空中に放り投げる。落ちてきた短剣の刃の部分を指でつまんだ。そして壁に向けて投げ放つ。ひゅかっと言う音とともに、壁に掛けてあった木の的に突き刺さる。これが彼の必殺の投擲術。常に空中に一旦放り投げてから投擲する。彼の投擲術は百発百中だ。的を外す事は無い。ザックォは的に刺さった短剣をきこきこと抜き取る。そして椅子に座りなおすと、その短剣にも丁寧に毒を塗りこめた。全てはいつもどおり。準備も万端だ。なんら気にかかることなど無い。あとはセヴァンを見つけ出して、殺して魔剣を奪うだけでいい。
暗殺者は思う。その剣で殺した者を亡霊にして支配できるのであれば、己も一国一城の主になれるのではないかと。野心がまったく無いわけではなかった。若かりし頃は殺人技芸だけでのし上がってやろうと息巻いていた。剣の腕もまったく自信が無いわけではない。あらゆる手段を用いるというだけの話だった。伝説に謳われるという究極の魔剣。興味がないわけではない。しかし、暗殺者はわかっている。己が人の上に立つ器では無い事を。身の程も弁えていたから今まで生き延びてこれたのだ。夢妄想を膨らませるだけに留める。己が世界の覇者になり、全てを統べる物語を。
ザックォは毒を塗った短剣をベルトに仕舞いこむ。これで明日の準備は整った。いつもどおりやれば終わる話のだけである。どんな相手でも意識の外側から致命の一撃を受けては、対処できずに死に絶えるであろう。そうすれば今回は慮外にして大金を報酬に受け取れる。そうすればもう暗殺者稼業を続ける必要も無くなるのだ。彼は天井の鷹を見た。彼が友と呼べるのはこの鷹くらいである。鷹を連れて人里離れたところで静かに暮らしたい。そう願っていたのが叶いそうなのだ。いつまでも死線を潜り抜ける生活にも嫌気が差していたところだったのだ。今回の仕事を機に、主には暇乞いを出そうと考えていた。鷹にも干し肉だけでなく、生の獣肉を食わせてやりたかった。そして常に広々とした空を飛ばせてやりたいのだ。唯一の友に対してはどこまでも温情を掛ける非情の暗殺者だった。
暗殺者はベッドに丸めた布団を置いて囮にし、自らはクローゼットの中で眠った。彼はベッドの上で寝た事は無い。それはいつも彼が殺す相手がベッドの上で寝ていたからに他ならない。彼にとってはベッドの上は死ぬ者がいる場所なのだ。寝るときにすら安息の時はこない。全ての裏社会の者達がそうであるように、ザックォにとっても同じだった。
暗殺者は夢を見ない。
そして翌朝。それは相当早い時間帯。暗殺者の朝は早いのだ。目を覚ましたザックォはベルトを腰に巻いた。そして黒いフードを被る。手には皮の手袋をした。毒のナイフを扱う時は必ず手にはめている。
ザックォは口笛を吹いた。鷹が彼の肩に留まる。暗殺者は出入り口の罠を解除し外へ出ると、再び罠を仕掛けなおした。
まだ朝早くなので誰も出歩いてはいない。鷹を連れた暗殺者は足早に目的の宿を目指す。ターゲットが朝早くに出立しようが逃さない為なのだ。
ザックォは目的の宿の前にたどり着く。そして物陰に身を潜めた。彼はセヴァンの似顔絵を鷹に見せる。それが今回の殺す相手だと教え込む。そして彼は肩の鷹を空に放った。鷹は大空へと飛び立つ。これで鷹はセヴァンを見つけると、空で旋回して居場所をザックォに教えるようになるのだ。追跡で大いに役立つ空の狩人だった。これで宿の裏手からセヴァンが出てこようが、見逃す事はなくなる。
暗殺者は万全の体制でセヴァンを待ち構えた。そしてじっと獲物が出てくるのを待ち続ける。
やがて日が昇り、人々が通りを往来するようになってくる。一日が始まり、町が活況になっていく。そこは巨大な町である為、大勢の人々が集まるのだ。荷を運ぶ者も多く行き交い、旅人達もまた集う。
ザックォが辛抱強く待ち続ける中、ようやくセヴァンは姿を現した。宿から出て行くところだった。朝日を受けても尚暗き黒い鎧。そしてたなびく亡国のマント。背負った魔剣は絵ではわからなかったが、実際に危険な輝きを放っている。暗殺者はセヴァンが奪う対象を所持している事をきっちりと確認した。
ザックォの目がギラリと光った。そして後をつけるべく物陰から出て行く。
その時であった。ザックォにドンとぶつかる者が。
「おお、御恵みを。めしいた爺に憐れみを・・・・・・」
目が見えておらぬ老人のようだ。それがザックォにすがりついた。ザックォが人相の悪い男であったのを知っていたらならば、老人もそのような事はしなかったであろう。
「なんだおまえは!」
「かれこれ三日は何も食べておりませぬ。どうかこの憐れな年寄りに御恵みをいただきたく・・・・・・」
老人は藁にもすがるような思いでザックォのフードを掴んだようであった。
「邪魔だ!」
ザックォは老人をドカッと殴りつけた。よろよろとよろめいて倒れる老人。ザックォはそんな老人には目もくれずに先を急ぐ。しかし、セヴァンを見失ったようだ。
暗殺者は舌打ちした。何と言う幸先の悪い出だしであろうか。こんなに間の悪い日は今まで無かった。
ザックォは空を見上げた。鷹が空を旋回している。セヴァンの場所を知らせているのだ。彼は気を取り直して鷹のいる場所を目指した。
暗殺者は足音を殺して先を急いだ。それは彼の癖である。どこを行こうとも足音は出さないように移動する。無闇に走ることも無い。走れば周囲への警戒も疎かになるからだ。人ごみを縫うように移動し先を急ぐ。
そうして暗殺者が移動する事十数分。ザックォは殺すべきセヴァンを見つけた。それは人々の中に紛れて歩いている。周囲は大勢の人間がいる。完全に仕掛けるタイミングを逸していた。ザックォはまたしても舌打ちした。こうも人が多くては、投擲で仕掛けるには行く手で待ち伏せでもしないと難しいだろう。だが、セヴァンの行き先はわからないので待ち伏せしようが無い。
仕方無しにザックォはセヴァンから距離をとって追跡を行った。仕掛けるタイミングを計るためだ。
やがてすぐにセヴァンはとある建物の中に入って行った。そこは冒険者ギルドである。そこならば出てくるところを待ち構える事は可能である。だがザックォは襲撃を見送る事にした。冒険者ギルドの前で相手を絶命させても、それから魔剣を奪うまでに他の冒険者の横槍が入らないとも限らない。腕の良し悪しがわからない連中がたむろしているギルドで事を起こせば、彼らと交戦になる可能性も出てくるのだ。それは避けたかった。仕方ないのでザックォはセヴァンが出てくるのをひたすらに待ち続けた。辛抱強さは暗殺者にとっては長所だ。軽々に仕掛けるようでは幾度と無くしくじってきた事だろう。だが、ザックォにはそんな浅はかさは無い。絶対に殺せる状況でしか仕掛けるような真似はしないのだ。
一時間ほど待ち続ける。そしてようやくセヴァンが冒険者ギルドから出てくる。セヴァンは再び大勢の人間が行き交う通りへと出ていった。
その日は柄にも無くザックォは苛立っていた。普段は沈着冷静な彼にしては珍しかった。それもこれも、宿から出てきたばかりの時に仕掛けていれば暗殺は終わった話だったのである。盲目の乞食に阻害さえされなければ、とっくに任務は遂行していた事だろう。それを思うと苛立たずにはいられなかったのだ。
セヴァンが先を歩き続ける。その背後をザックォが追う。だが、やがて瞬間的な好機が訪れる。セヴァンとザックォの間に人がいなくなった。その瞬間にザックォは閃いた。この大勢の人間がいる中で仕掛ける暗殺者などない。ならば如何なる手だれの男だろうが、警戒は薄れているはず。仕掛けるならば今この瞬間だと。
ザックォは殺意を込めてベルトから短剣を引き抜く。右手で二本。左手で二本。それを宙に放ってから、それら全ての刃のがわを掴んだ。皮の手袋で毒は問題ない。必殺の間合いで、彼は戦闘体勢に入ったのだ。
だが、ザックォがセヴァンに殺意を向けた瞬間に、不思議な事が起こっていた。セヴァンが背負っていた鞘がぶるぶると震え始めたのだ。それにセヴァンは気がつき、周囲をきょろきょろとし始める。そして後ろを振り返った。
眼が合うセヴァンと、宙に短剣を放り投げた瞬間のザックォ。
ザックォは仰天したが、しかしこの構えから放たれる短剣で殺せぬ者はいない。同時四本の短剣を、暗殺者は一気に投擲した!
セヴァンはマントをひるがえし、二本の短剣を絡めとる。そして一本を手甲で弾き、もう一本を、なんと彼はキャッチした。毒の塗られた刃を手甲で守られた手で掴みとったのだ。
ザックォは信じられない事が起きている事に気が付いた。彼の必殺の投擲を防いだ男が現われたのだ。その一瞬の思考が命取りとなった。
セヴァンは短剣を掴んだ腕を振るった。短剣を投擲したのだ。
恐るべき速さで投擲された短剣。ザックォはその短剣を知覚し、咄嗟に反応しようとしたが体の反応は間に合わなかった。そして、それがザックォの見た最後の光景となった。
セヴァンも投擲は得意技だったのだ。ザックォの死因はセヴァンを真っ向から剣をふるって戦うようなスタイルだと見積もったこと。だから回避体勢を取れなかったのだ。
その頃、何も知らぬゴバディは一冊の書物を読んでいた。それは騎士の国取り物語。彼が子供の頃からあこがれた物語。一本の剣を頼みに国の支配者となる騎士の話。その夢がついに叶うかもしれないと心躍らせていたようだ。
そこに従者の一人が現われた。
「ゴバディ様。ご報告があります。ザックォはセヴァンと交戦し、敗れて死に果てました」
従者の言葉にゴバディは目を見開いた。
「そうか、下がれ」
ゴバディは短くそう命令した。命令に従い従者は部屋を出て行った。ゴバディは書物を机の上に置く。彼は深くため息をついた。
「・・・・・・俺は最強の剣を失った。ザックォ、お前をな」
そして麻薬王はどがっと壁を殴りつけるのだった。




