惑いの森・下
・・・・・・無音が続く。いったいどれだけの時間が過ぎたであろうか。セヴァンがふと気が付くと、どこからか人の声が聞こえてくる。・・・・・・老人ではない。老人は寝ている。声はどうやら家の外から聞こえてきているようだった。
それは笑い声。女と・・・・・・女の子のような声。
こんな所で女の声か? とセヴァンはいぶかしんだ。明らかに尋常ではない。今は森の奥にいて真夜中なのだから。
「アッハハハ!」「ウッフフフ!」と笑い声が森の中を廻っているようだった。・・・・・・セヴァンは声にどこか懐かしいものを感じていた。そう、聞き覚えのある声だったのだ。
「セヴァン。セヴァン?」「お父さん?」と、女達の声はそうささやいている。明らかにセヴァンを探している。セヴァンはその声の正体に思い当たったようだ。
「・・・・・・・・・・・・!」
セヴァンは起き上がり、家の落とし戸の窓を開けた。そして外の森を見る。
暗い暗い森が広がる。そこに無数のウィル・オー・ウィスプが漂う。明らかにこの世の景色ではない。
森の中を女子供が歩いている。その姿は夜の中にいるはずなのに、なぜかぽわっと薄明かりに照らされたように光って見えていた。セヴァンは相手の姿を視認する。女子供の姿はセヴァンが持っているロケットペンダントの中身である、絵の女と娘と同じ姿だった。
「カイネ、アリッサ・・・・・・?」
セヴァンはポツリと言葉を洩らした。
その瞬間に女子供があたりをきょろきょろとし始めた。「セヴァン、セヴァン。どこなの?」「お父さん、どこにいるの?」と女達は呼びかけている。
セヴァンはふらふらと出口まで歩いて出て行きそうになった。しかしはっとして背中の魔剣の柄に手を伸ばす。そこには鞘に納まった魔剣が確かにあった。
「違う、あそこにいるはずが・・・・・・」
セヴァンは冷静になった。そして相手が幻影である事に気が付く。森の虚ろな霊達の仕業だろう。セヴァンを冥府に連れて行こうとしているのだった。
「セヴァン。おうちに帰りましょう」「お父さん。一緒に帰ろうよ」と、幻影達の声が森に響き渡る。その声は夜のしじまに恐ろしく良く響いて聞こえてきた。
セヴァンは再び壁に背をもたれかけさせて座った。そして目を閉じる。
「カイネ、アリッサ。お前達の姿をまた見れただけで十分だ・・・・・・」
セヴァンはそう言うと外の声を意識から遮断した。
「セヴァン! セヴァン!」「お父さん! どこにいるの? 会いたい・・・・・・」と女と子供の幻影はセヴァンを呼び続けた。幻影の声が黒き森の闇の中へと響き渡る。
それは遠い過去のこと。
ぼろぼろではあるが、掃除や手入れが行き届いた家の中。セヴァンと妻のカイネ、そして娘のアリッサが仲良く談笑していた。
「あなた、ついにやったわね!」
カイネが喜びセヴァンにハグをしている。
「あぁ、ついに俺も聖戦士に認められるんだ! これでお前達にはもっと楽な暮らしをさせてやれる・・・・・・それもこれもすべては聖戦士王、ゼラルド陛下のおかげだ!」
セヴァンもうれしそうにカイネを抱きしめた。
「お父さんもついに聖戦士様になるんだね! じゃあ、王様から一振りの剣を頂くの?」
アリッサもセヴァンとカイネの間に挟まってセヴァンに抱きついた。その娘をセヴァンは抱き寄せる。
「あぁ、叙勲式の際には聖戦士となる者は一本の剣を授かる。それを生涯の忠誠の証として常に携える事となるんだ。だから聖戦士は二振り目の剣を持つ事は無い。大事な大事な剣をもらえるんだよ」
「お父さん、すごおい!」
アリッサはとてもはしゃいでいた。それは我がことのように喜んでいる。
「王からの信頼厚い者は名剣を賜るのでしょう? あなたは何を授かるのかしらね!」
カイネがセヴァンの首に腕を回した。
「俺は伝説の魔剣、ヴォルテクスブレイドを見つけた功績での叙勲となる。その際にはヴォルテクスブレイドそのものを授かる事となっているんだ!」
セヴァンは誇らしげに自分の武勇を語った。
「それでは最上級の聖戦士の座に選ばれたのね! あなたの武功はこの国一番ですもの! 当然よね!」
カイネが誇らしげにセヴァンを見た。
「だが、これからは治癒魔法の勉強もしなければな。自慢の腕力だけでは聖戦士とは認められないからな」
聖戦士達は宗教的洗礼も受ける。そして人々の怪我を癒したり、病気や毒を治したりもするようになるのだ。神官戦士としての色合いが強かった。だが、ラストヴィン王国では特に聖戦士という称号を用いていた。王国付きの兵士の中でも特に優秀な者達に与えられる名誉だった。ラストヴィン王国聖戦士団はとくに武勇で秀でた事で有名であり、最強クラスの戦闘集団としても知られていた。セヴァンはいきなりその最上位にての叙勲となる。異例の大出世だった。
「これからは仕事で忙しくなって、会えない時間が増えてしまうわね・・・・・・」
カイネがさびしそうに呟いた。
「お前達にさびしい思いなどさせるものか! 北に魔物が現われたと聞けばたちどころに討伐し、南にいくさがあったならば即座に戦争を終わらせて、お前達の元へと帰ろう!」
セヴァンは胸を張って言った。それは強がりに近いものであったが、それが彼の家族にかけた意気込みである。仕事はきちんとやる。その上で家族は大事にするとそう宣言しているのだ。
「今日はお祝いしなくちゃ! 腕によりをかけてご馳走を作るわよ!」
カイネが腕まくりをした。
「その前に、だ。今日は絵師を呼んである。いつまでも変わらぬ誓いを前に、みなの姿を納めた絵入りのペンダントを作ろうと思ってな!」
「あら良いわね! それは妙案だわ! そうすればいつでも家族の姿は見られるもの!」
カイネはもろ手を挙げて賛成した。
「お父さん。わたし、おめかししたい!」
無邪気な娘が申し出た。
「あぁ、絵師がくるまでまだ時間がある。そうしなさい」
セヴァンがそう言うと、アリッサはたたたたっと駆け出して部屋まで向かって行った。よほ絵師を撮るのがうれしかったのだろう。
「昨今は不穏な国際情勢の話ばかりだし、どこも魔物の被害がでた話題ばかりで鬱屈していたところに、あなたの伝説の魔剣発見の知らせが舞い込んできた。あなたはいまやこの国の希望ね」
「俺の力でどこまでやれるのかはわからんが、やれるだけの事はやるさ。そしてアリッサには平和な時代をくれてやりたい。道は俺が切り拓く!」
「期待しているわよ、あなた!」
仲良き夫婦の時間。そこに水を差すような呼び鈴の音。どうやら絵師が来たようである。
「カイネ。アリッサを呼んできておくれ。おめかしの手伝いをしてやってさ」
「えぇ、わかったわ」
カイネはアリッサの部屋へと向かって行った。
そしてリビングにて皆で集まり、絵師が下書きを書き始める。被写体は絵師の前でしばらく立っていなければいけなかった。皆でじっと絵師が下書きを書き終わるのを待つ。
家族の絵を描くのはその時代では流行りによるものだった。当然値も張る。だが、セヴァンは高額の料金を払ってでも家族の集合絵が欲しかったのだ。戦地へ赴こうともいつでも家族の姿が見ることができるように。
こうして一枚の絵の下書きが描かれる。後は絵師が完成させるだろう。ロケットペンダントに納めるように依頼もしてあるので、いずれ仕上がって受け取れるはずだ。
「やったあ! はやく絵を見てみたい!」
アリッサはよほど絵師が出来上がるのが楽しみなようだ。画材を仕舞う絵師に纏わり付いている。
「アリッサ、絵師さんの邪魔をしてはダメよ!」
「はーい、お母さん」
そういうとアリッサは自室へと駆け込んでいった。どこまでも元気な子だった。家族団らんの日。記念すべき祝いの日。
「さて、俺はやるべき事がある。ガーラッドのところへ行ってくる。聖戦士の叙勲式の段取りがいかがなものなのかを聞いておかなくてはな。見る機会は何度もあったが、自分が叙勲されるのは初めてだからな」
「友人のガーラッドさんね。あの若さですでに聖戦士様なんですもの。ガーラッドさんもすごいわね!」
「あぁ、俺達同世代の中でもあいつは別格だ! 期待の星と言うのはあのような奴のためにあるような言葉さ」
「あら、あなたも十分期待の星よ! 負けてはいられないんじゃない?」
「そうだな! これからは俺も共に肩を並べて戦えるんだ。あいつばかりに負担を掛けさせるわけにはいかない。国の未来は俺達が守る!」
セヴァンは力瘤を作って見せた。
これは遠き遠き幸せな日々の記憶。過ぎ去った日々の記憶。
ちちちちち。小鳥の鳴き声が聞こえてくる。セヴァンは目を覚ました。
「・・・・・・夢?」
セヴァンは頬を拭った。気が付いたら眠っていたらしい。外を幻影が歩いていても、疲れていたならば眠ってしまうようだった。
セヴァンは落とし戸の窓から外を見る。ウィル・オー・ウィスプは消えていた。森に光が差し込んできている。東から夜明けの光が差しているのだ。あの方角へ向かえばよいと、ドルイドの老人は言っていた。
セヴァンは出発しようとして、最後に老人をちらりと見た。
そこにあるのはぼろぼろのベッドに横たわる朽ちかけた人の躯。
「・・・・・・お節介な亡霊がいたものだな・・・・・・」
人知れず亡くなったのだろう。最後のその瞬間のままの姿でベッドに横たわっているのだ。セヴァンは短く天へと祈りを捧げた。そしてドルイドの家を出る。
昨夜は気が付かなかったが、ドルイドの家は苔むして朽ちかけていた。それでもかろうじて雨風をしのげる程度には原形をとどめていた。森の虚ろな霊がセヴァンを見つけられなかったのは、たしかにまだドルイドマジックの結界が有効だったからだろう。
セヴァンは家に向かって礼をし、そしてその場を立ち去った。




