惑いの森・上
暗いくらい森の中。人里離れた森の奥。深緑色の葉が多い茂る黒き森をセヴァンが駆け抜ける。彼は先を急いでいた。二日もあれば踏破できると高を括っていた森であったが、かれこれ四日は道に迷っていた。このままでは携帯食料が尽きてしまう。だが、彼はどちらに向かえば先に進めるのか見当も付かなくなっていた。
いつもの様に無言ではあるが、それでも内心は穏やかでは無いだろう。その日も夕暮れだというのに先を急いでいた。夜間行軍は道に迷う。野営をするのが基本であるが、そんな悠長に構えていられなかったのか、セヴァンはひたすら歩き続けていた。どうやら元々暗い森だったので、日が暮れてきていることに気が付かなかったようだ。
であるからして、あたりがどっぷり日も暮れた頃になって、ようやく夜を越す準備ができていない事に気がついたようだ。
ぐわーっぐわーっと謎の鳴き声が聞こえてきた時に、セヴァンは冷静になった。周りを見渡してもどこへ進んだものかわからない。完全に道に迷っていたことばかりに気を取られていた。
「・・・・・・・・・・・・ちっ」
彼は短く舌打ちした。今から野営の準備を始めても整わないだろう。すべては直感があと少しで森を出られると告げていたからこうなったのだ。だが、あてにならなかった直感に頼った結果、悪い事態を引き起こした。
セヴァンは寝床に良さそうな場所を探す。出来れば乾いた木のうろのようなところが良かった。・・・・・・と、真っ暗森の中に明かりが見え始めた。それはゆらりゆらりと揺れている
セヴァンはすぐさま相手の正体を看破した。ウィル・オー・ウィスプである。あれに惑わされてはますます森の踏破が困難となるだろう。
「・・・・・・・・・・・・」
セヴァンは今いる森がたやすく抜けられない森であることを理解した。足りなかったのは踏み込む側の覚悟だったようである。だが、そんな事をいまさら言っても仕方が無い。
セヴァンは暗い森の中を歩き進む。
と、またしても明かりが見えた。だが、それはゆらゆらとは揺れない。赤い炎で作られた明かりだ。色合いがウィル・オー・ウィスプの光とは違うどこか温かみのあるものだった。
こんなところで野営をしている者がいるのだろうか? セヴァンはいぶかしみながらも明かりの方角を目指す。今の希望はその明かりだけなのである。
その光源は木で作られた一軒家だった。こんなところに人が住んでいるのであろうか? だが、確かに家は存在するのだ。セヴァンはドアをノックした。
「旅の者である。森で道に迷いここにたどり着いた。一晩身を寄せさせていただけないだろうか?」
セヴァンは家の主に一晩過ごさせてくれるように頼み込んだ。やがて、ぎぎぎと言う音とともにドアが開かれた。出てきたのは一人の老人男性だった。
「これはこれはよく来なさった。さぁ、あがられよ」
笑顔の老人は気前よくセヴァンを迎え入れてくれた。セヴァンが家に上がると、中は所狭しと薬草やキノコの入った瓶が置いてある部屋であることに気が付いた。一見すると森で暮らす普通の老人である。
「ご老人。お一人でこんな森の奥にお住まいなのか?」
セヴァンは柄に無く相手を詮索した。
「ほっほっほ。森には何でもあるぞい。生きていくには困らん。あぁ、話し相手に事欠くくらいであろうかな」
老人はそう言うと笑った。
「・・・・・・・・・・・・」
セヴァンは通された椅子へと座る。
「お若いの。なにかお困りのようであるな」
セヴァンの目の前に座った老人はいきなりそう切り出した。セヴァンは道に迷っているのだから確かに困っているであろう。
「森を抜けられないで困っている」
すでに森で道に迷ったとは伝えたつもりだったセヴァンは、今一度そう伝えた。
「あぁあぁ。確かにそれも困りごとであろうな。森がざわめいておる。榛の木の王が荒れ狂っておるわ。手下である森の虚ろな霊達に命じて、通りがかる者を迷わせておるようじゃ。どうやらおぬしの背負った剣の瘴気に当てられて、喉から手が出るほどに欲しておるようであるな。それにしても見事な神剣である」
老人の言葉にセヴァンの眉がピクリと動いた。
「・・・・・・森を抜けるにはどうすればいい?」
「ふむ、それはな。夜明けとともに出発なさると良い。日が出て明るくなっている方角へと歩き続ければ森を抜けられよう」
「・・・・・・・・・・・・」
セヴァンは黙って頷いた。この森で暮らしている者ならば確かな知恵なのだろう。
「しかし、困りごとはそれだけではあるまい。お主は人生の道にも迷っておるのでは無いかね?」
「それはどういうことだ?」
セヴァンは相手の真意を測りかねて尋ねた。
「わしには見えるぞい。おぬしが近い将来大きな決断を迫られる事を。その時にはおぬしはもっとも憎き相手を憐れむ事になるだろう」
「その人を煙に巻くような物言い。さてはあんたまじない師か」
セヴァンはしかめっ面して相手を見た。彼は魔法使いや呪術師といった類の人間とは気が合わなかった。
「さよう。この森のドルイドをしておる。だからかのう。人より少しばかり運命の流れが読めるのは」
そう言うと老人は「ほっほっほ!」と笑った。
「だとしたら残念だったな。俺がもっとも憎い相手に哀れみをかけることなど無い。今も昔も地獄へ落ちろとしか思っちゃいない!」
珍しくセヴァンが感情をあらわにした。それは怒り、殺意、憎悪、敵意。黒き感情の噴出であった。
「運命と言うのは案外わからぬものじゃぞ。おぬしらはもうじき救われることじゃろう」
「・・・・・・・・・・・・」
セヴァンは黙った。もう無表情に戻っているので、彼の心情もわからない。だが、老人の言葉に何の言葉も挟まなかったのは、老人の言葉に何かしら思うところがあったからなのかもしれない。
その時、森の木々たちがざわざわといいはじめた。風も無いのに木々が揺れる音だけが聞こえる。
「榛の木の王は未だにおぬしを探しておるな。だが安心召されよ。この家はドルイドマジックで結界が張っておる。森の霊達にはお主を見つけられまい」
「・・・・・・・・・・・・」
セヴァンは黙った。老人一人がここで生きていけているという事は、結界は信じても大丈夫なのだろう。ならばここで一晩過ごすのは最善のようだ。森の中で一晩過ごそうとしていたならば、なにが起こったものかわからないだろう。
「この森は冥府に近い。外で一晩明かそうとしていたならば、たちどころに亡者どもに連れ去られていただろう」
セヴァンの心を見透かしたように老人は答えた。
「・・・・・・・・・・・・」
セヴァンは何も言わなかった。そして老人も無言になる。木々がざわめく音ばかりが聞こえてくる。
「時に老人。なぜにこの剣を神剣と呼んだ? どうみても呪われた魔剣の類にしかみえないだろうに」
セヴァンが唐突に口を開く。
「ほっほっほ。歳を取るといろいろなものが見えてくるようになるものじゃ。物事や者、物の本質などをな」
「老人はラストヴィン王国の魔剣伝説を知らないだろう。禍成す魔剣ヴォルテクスブレイドと呼ばれる剣だ。ご大層に神剣などと呼ばれるようなご立派なものじゃない」
「知らぬな。どんな伝承があろうが、それは間違いなく神剣の類じゃ。人の世には伝わっておらぬのか。神を斬れば神を殺し、魔王を斬れば魔王を殺す。倒した相手の魂を剣身に封じ、転生する事さえ許さぬ罰神剣。それがその剣の真の姿じゃろうて」
「だとしたら見込み違いと言う奴だ。抜けばたちまち嵐を呼ぶ、持ち主をさえ不幸にする呪われた魔剣だ。こいつに比べれば、ひりだされたクソのほうがましってもんだ」
セヴァンの言葉を聞いて老人が笑い出した。
「ほっほっほ! たしかに伝承ではそのような凶悪な魔剣として知られておるじゃろう。じゃが、その伝承のせいであまたの人間をも斬り殺し、その亡者達の怨念を纏うようになっただけに過ぎぬ。その剣本来の姿とは違うぞ。戦乱で用いてよい剣ではなかったのじゃからな。人間達が使い方を誤ったのじゃ」
「剣とは敵を切り伏せる為のものだ。そこにどんな使い方の間違いなんてものがあるのか」
「あるぞ。退魔剣と対人剣は違う。それは魔を殺すべき神剣。それなのにあまたの人間の血をすすらせおって」
「・・・・・・・・・・・・」
セヴァンは何も言い返さなかった。確かに彼の祖国ではヴォルテクスブレイドが戦争で用いられた話が残っている。ご大層な剣を戦争の道具にしたのは人間なのかもしれなかった。
「剣とは道具に過ぎぬ。それをどう使ったかで語られ残る伝承は異なろう。じゃが予言しておいてやろう。その剣は魔剣としての姿を捨てて真の姿を取り戻すと。その時におぬしの目的も叶うじゃろう」
「・・・・・・何かを知っているような口ぶりだが、気に食わないな。一体あんたになにがわかるっていうんだ」
セヴァンは苛立ちを表明した。セヴァンはこの老人の相手をしていると、妙にいらだつのを感じている。
「たまには人の役に立つ事もさせておくれ。森の賢者などと持て囃されてはおったが、いいところ偏屈爺の扱いだったのが実際のところだったものでなぁ。どうしても若者達にお節介を焼きたくなるのじゃよ」
「・・・・・・・・・」
再びセヴァンは無言になった。ただの偏屈爺が相手ならば、人を惑わそうとするかのような物言いで相手を言いくるめようとしてくるところもわかる。だが、老人が言葉で指し示しているのはセヴァンの生涯の核心に近い場所だった。むやみにずけずけと土足で上がられた気がして、セヴァンは気分を害していた。
そして御互いが無言のままに時が過ぎる。気が付けば、外の木々のざわめきは消えていた。
「わしはもうそろそろ安らかに眠るとしよう。外が静かになったと思うじゃろう? 森の虚ろな霊達が何かを企んでおる。気をつけなされ。家を出なければ奴らには見つからんじゃろうて。日の出まで待たれよ」
そう言うと老人はベッドへと潜っていった。もう眠ってしまうようだ。セヴァンも話し相手がいなくなり、床に座って壁に背をもたれかけさせて休もうとした。




