第9話 不可解な暴挙
前回までのあらすじ: 天才少女ミリィ・ブランシェットは、自身が開発した〈アネモネ〉と呼ばれる爆弾が、都市軍の帝国派閥である〈ダンス・マカブル〉に配備されることを報される。直後、研究所所長は絶命し、体内から異形の怪物が現れる。地獄と化した研究所で、ミリィは救援の通信を送る。その送り先こそ、バスターズ・オフィスのドクターだった。
夜の化粧が剥がれた南区は、平凡な街の姿を見せる。
酒場、娼館、賭博場が延々と続く北区から、鉄橋を渡る。すると、そこにもう華やかさはない。ありふれた建物がありふれた模様を描いているだけだ。
「……懸念事項があるのだけれど」
運転席で、メイベルがハンドルを切りながら呟いた。視線は前方の景色を見据えたままだ。
ノエルは助手席で彼女の次の言葉を待った。だが、いつまで経っても口から紡がれることはなかった。
「……言わなくていいのか?」
「本当は言いたくないのよ」
「命取りになるかもしれないぞ――主に俺が」
「だったらせいせいするわ……って、そうじゃなくて」
メイベルは苦々しげにかぶりを振る。
「南区がどういう区画か知ってる?」
そこで、ノエルは今朝の講義を思い出す。ドクターが教えてくれた知識を。
「……帝国派が多く住んでいるな」
ノエルがあっさりと行き着いた示唆に、メイベルは黙っていた。
つまり、助けを求める通信――それは、屍者連続破壊事件と関わりがあるのではないか?
「だが、帝国派の屍者が多く破壊されているとわかっているなら、警察もここらの巡回を厳しくしているはずだ」
《そうとも言えないんだな、これが》
ドクターから音声通信が入る。
《昨日の事件は東区の中央通りで起こった。今までの事件現場を分析しても、規則性のようなものは見られなかったし、神皇国派が多く暮らす西区でも事件は起こっていた。そして、南区は比較的屍者労働者が少ないという統計が市のデータベースにはある。むしろそこは警戒が少ない方だろう》
「ドクター、発信源と発信者の情報は特定できたの?」
すでにヴァンは南区の中央に近づいている。正確に発信源が特定できなければ動くこともままならない。
「たった今わかった。情報を転送するけど……これは……」
ドクターが言いよどむ。直後、カーナビに目的地が設定された。
メイベルが驚愕の声を上げる。
「アンケミア社……!」
「その企業は?」
「神皇国と帝国の共同で組織された異貌都市軍に、莫大な資金と兵器を提供する軍事企業で――」
メイベルはヴァンを停めた。住宅地の只中だった。
「――この街の帝国派の筆頭」
ヴァンから降りると、すぐに目についた。
白亜の城塞が。
●
周囲の住宅から明らかに浮き出た巨体。白くのっぺりとしている。周囲を高い鉄柵で囲まれていて、監獄のようだとすら思う。
住宅街からは何も感じ取れない。人通りは普通で、緊迫した雰囲気も何もない。それがかえって不気味だった。誰もがこの白い城を当然のように受け入れていることが。
といっても、この鉄柵の向こう、要塞の中で何かが起こっていることを知っているからこそ、異物のように感じられるのだろう。
《発信源はその建物――アンケミア社の第一屍者技術開発研究所の一階のどこかだ》
ドクターが建物の内部の見取り図を転送してくる。その地図が合法的に入手されたのかはわからない。研究所の内部がそう簡単に手に入るとは思えなかった。
「静かだな」
「ええ、中で何かが起こったとは思えないほど……」
ノエルはメイベルの横顔を盗み見る。じっと建物を見上げている。不安そうな感じは今のところなかった。
「いけるな、メイベル?」
「心配してくれているのかしら?」
こちらを向いたメイベルの瞳に二つの炎が宿る。
「だったら余計なお世話よ」
ノエルが頷く。
《突入だ、ノエル、メイ。中で何が起こったのかを調査し、発信者及び救助を必要とする者を救出しろ。場合によっては骸冑を使え》
ドクターが二人を鼓舞する。
《有用であれ。中央警察署を先回りする勢いで、この都市に貢献しろ》
同時に、ノエルの脳裏に声が響く。
――亡霊たれ、ノエル・ルイン。亡霊としての責務を果たすのだ。
二人はそびえる鉄柵を躍り越え、敷地へ着地。
「狙撃手とかいないわよね?」
メイベルが走りながら聞いてくる。
「大丈夫だ」
「中の様子はわかるわけ?」
ノエルは五感を研ぎ澄ます。だが、
「駄目だ。この建物には開いている扉や窓がほとんどない」
メイベルが建物を見上げる。確かに、窓が異様に少ない。要塞や監獄のような印象を受けたのはそれが理由か。
玄関へ辿り着く。同時に、メイベルの腕が骸冑に覆われ始める。
現れたのは機械義手だったが、前回、ダンヴィルと交戦した際とは様子が違った。
羽虫の羽音のような微細な駆動音が聞こえる。腕は赤色に発光していた。指はそれぞれの腕に三本しかなく、クレーンアームのようだった。
次いで、メイベルの頭部が兜に覆われる。メイベルは籠った声で、
「この状態の私と握手しようなんて思っちゃ駄目よ。骨まで削り取られるから」
腕を鋼鉄の扉に向かって突き出す。
鮮烈な火花が散った。義手を扉に当てただけにしか見えなかった。にもかかわらず、扉は溶断され始めていた。溶岩のような光が雫となって垂れる。
高周波振動発生装置が取り付けられた義手だった。常人の眼では認識できないほどの高速で指先が振動し、義手そのものよりも硬い物体を熱と運動で容易く削り、溶断する。高周波振動を発生させるための電力はメイベル自身の生体電流を増幅することでまかなうため、触れたものを無際限に削るドリルといった感じだ。
メイベルが手を扉から離す。鉄壁はすでに灼熱で発光し、周囲は黒ずんでいる。
極めつけに、メイベルの脚が変化する。
「ノエル、私の身体を後ろから支えて」
突然の命令にノエルは戸惑いつつも、メイベルの腰に手を添えてやる。途端にメイベルの肩が跳ね、身じろぎする。
「ちょ、ちょっと、どこ触ってるの!」
「他にどこを触れと……?」
メイベルが片脚の裏側を扉に向ける。
「――いくわよ――」
メイベルの脚を覆っていた白い人工筋肉が伸縮する。爆発的なエネルギーが生み出され、ばん、と銃を撃ったかのような轟音が鳴り渡る。同時に、ノエルの全身に、前方から嵐のような衝撃が襲いかかり、歯を食いしばって吹き飛ばされないように耐えた。
それはメイベルの人工筋肉が躍動する音だった。撃ち出された脚が扉をぶち破った。鋼鉄がひしゃげる堪らない音が響いた。
「どう? 中の様子は?」
ノエルが破られた入り口の先に意識を研ぎ澄ます。
「一階に生命反応多数。だが、ほとんど動いていない」
「……どういうこと?」
「全員が気絶しているか怪我で動けないか、それとも待ち伏せしているかだ。血の匂いもする。多くの人間の血液だ。時間はまだ経っていない」
「私たちの行動はバレているし、中は手遅れと考えた方がよさそうね……ところで」
メイベルの声が低められる。
「……いつまで触ってるつもり?」
メイベルの冷えた声に、ノエルが腰から手を離す。
《戯れてる場合じゃないよ、二人とも。くれぐれも慎重にね》
ノエルが先行する。入ってすぐに見つかった。死体の山が。
子供靴や服、ボールが血まみれで芝生の上に転がっている。身体はほとんど原型がなく、いずれもいくつかに引きちぎられ、分断されていた。そこからは生命反応は確認できない。
ノエルは最大限に意識を広げ、ホールを奥へと進む。メイベルが後ろを守る。
ソファには座ったまま上半身を失った死体。エレベーターの前で直立して絶命した死体。書物を片手に伸びをした状態で固まった死体。
ふと、ノエルが立ち止まり、
「……悪い予感は的中だ」
呟く。
彼の視線の先には、見覚えのある物体が蠢いている。
巨大な魚が床の上を這っていた。内臓を裏返したような身体。鱗のようなものはどこにもなく、目は昆虫の複眼だった。
「マディソン・モートはどこに……」
ノエルの視線の先で、魚が動きだす。目が合ったという感覚はなかった。複眼ゆえに相手の視線がわからなかった。だが、明らかにこちらを認識している。
魚は巧みにこちらへ滑ってくる。
ノエルが流体刀を起動。鋼がしなり、硬化制御で刀身を形成。
跳ねた魚に輝く抜き身を繰り出す。空中の魚は止まれない。刃はいとも簡単に肉体に入っていく。
ノエルは慣性のまま突っ込んでくる魚を屈んで躱しつつ、尾の先まで切り抜けた。
ただの肉塊になった魚を、メイベルは見下ろす。
「……最悪の化け物ね」
「前回の塊とはどうやら違うな。こいつは明らかに生き物らしい姿だし、活発に動いていた……」
ノエルが呟く。
「……いや、ジョージ・ダンヴィルの肉塊と同じもの、あるいはそれ以上のものと考えることもできるのか。マディソン・モートが肉塊を屍者に植え付け、操り、屍者連続破壊事件を起こしていたと仮定すると……」
ノエルの中で、最悪なシナリオと最悪な予感が一挙に膨れ上がり、現実味を増した。
「……マディソン・モートの計画とも辻褄が合う。合ってしまう」
「どういうこと? わかるように説明して」
「完全な繊維生物だ。マディソン・モートがどのようにしてこの怪物を生み出しているかはわからないが、奴は屍者に〝種〟のようなものを寄生させ、事件を起こさせると共に〝種〟に学習させているんだ」
「学習って……まさか」
メイベルの顔から血の気が引いていった。ノエルが忌々しそうに言葉を引き継ぐ。
「生物というものを、だ」
そのとき、何かを叩く乾いた音がした。
ノエルは背後を振り返り、刀を構える。メイベルも腕を電磁加速義手に変質させる。
「さすがだ。私の望む景色に辿り着くとは。君たちも私の理念に共感してくれているのかね?」
マディソン・モートが拍手をしていた。包帯にくまなく覆われた異貌が立っていた。
「繊維生物――今しがた斬り伏せられた私の子分の生殖にも遺伝情報は不可欠だ。……昔々、生物にはつがいというものがなかった。いわゆる無性生殖が主流だった。私の手にかかれば、単に生殖させるだけなら造作も無いのだが、野望を達成するには有性生殖が必要なのでね」
「なぜ事件を起こす必要がある? 帝国派の屍者だけを破壊させる理由は?」
「教えてやろう」
別の声がホールに響いた。直後、マディソン・モートの隣に、何者かが降り立った。
長躯の男だった。金糸のような髪を後ろで束ねている。浅黒い肌に、碧い双眸がぎらついている。
髪色と同じ金色の外套がはためいていた。
新たに現れた男は、酷薄な笑みを浮かべる。
「それがスロベルク帝国のためになるからだ」