第7話 故郷の構造
前回までのあらすじ: バスターズ・オフィスで屍者の起源と原理についての講義を受けたノエル。ようやく業務が始まり、まずは昨夜拘束したジョージ・ダンヴィルについての報告が行われる。
「……状況の整理をするわよ」
メイベルは不承不承といった感じで腕の端末を操作している。
オフィスのもう一つの教室で、三人は円卓を囲んでいた。
この四階建てのオフィスは、かつて学生塾だったらしい。だが、不況で閉鎖された後、ドクターに買い取られたという経緯だった。
ドクターの、法律を意にも介さない大改造により、あらゆる電子干渉装置、医療器具が床に据え付けられている。
どうやら地下もあるらしく、そこで騒音の出るような実験を行うほか、もしもの場合に備えて地下水道に繋がる隠し通路もあるらしい。
今、ドクターは喋り疲れたようで、椅子に深くもたれかかり、俯いている。遮光眼鏡のせいで寝ているのかどうかは窺い知れない。
ドクターの数時間に及ぶ講義が終わり、三人はようやく業務を開始していた。初めに、舞い込んできた依頼と、解決した依頼の確認をするのが日々のルーティンだという。
「まったく、なんで私が……」
メイベルがぶつぶつと呟いている。本来はドクターがやっているのだろうか。こんな所長と一緒に仕事をするなんて、彼女も大変そうだ、とノエルは思った。自分もまた、ドクターと同じくらいには彼女を苛立たせる原因となっているかもしれないということには全く思い至らなかった。
「えーと、まず、昨日確保・拘束したジョージ・ダンヴィルだけど……」
そこで、メイベルの動きが止まった。目を見開き、
「今日未明、中央警察署の拘禁所で死亡……?」
呆然と呟いた。
「なに?」
ノエルが思わず聞き返した。
メイベルが慌てて宙空を指でスクロールし、何度も目を文字列の上で行き来させる。
「ドクター? これ、本当なの?」
返事はない。ドクターは船をこぎ続けている。隣に座っているノエルが、メイベルの代わりに頭をはたいた。
「ふご……」
拍子に遮光眼鏡が円卓の上に落下し、ドクターの寝ぼけ眼があらわになる。
「ドクター、ジョージ・ダンヴィルが獄中死したらしい。何か聞いていたのではないか?」
ドクターが目をしばたいた。
「……初耳だ」
三人はの間に沈黙が降り積もる。
そのとき、どこからかビープ音が鳴った。緊急の呼び出し音だ。
ドクターが自分の端末を怪訝そうに見つめ、操作した。そして、目を丸くした。
「中央警察署からだ……」
「聞かせて」
メイベルが即座に身を乗り出す。ドクターが通信に出た。
「……もしもし?」
《バスターズ・オフィスのヴィクトリア所長だな? こちらは中央警察署のハンク・ランドルフだ》
厳めしい声が教室に響いた。映像ではなく、音声だけの通信だった。引き結ばれた口、その下の無精髭、険しい目つき、巨大なシルエットが思い浮かぶ。
「たった今見たよ。ジョージ・ダンヴィルに何があったの?」
ハンクの背後では喧噪がさざめいていた。多くの人が行き交う気配があった。中央警察署も対応に追われているのだろう。
《いいか、長く通信はできない。要点だけ言おう。ジョージ・ダンヴィルは機能停止した。ただし、そちらの執行官の所為ではない。ダンヴィルは一時、意識を取り戻していた。だが、未明に容態が急変したのだ》
画像データが送られてきた。ノエルとメイベルも食い入るように見つめる。
独房の監視カメラを抜き出したものだった。画質は粗かったが、何が起こっているのかはすぐにわかった。
赤い肉塊。昨夜見たグロテスクな物体が、独房内を埋め尽くしていた。ダンヴィルの姿は影もかたちもない。肉塊は壁を伝い、すでに天井にまで達しようとしていた。
《こいつだ。報告にあった肉塊がジョージ・ダンヴィルの体内から出現し、瞬く間に部屋中に広がった。まだ尋問も行われていなかった》
「証拠と証言の隠滅……」
《ああ。ルイン執行官とシュピーゲル執行官が遭遇した〈マミー〉の仕業と考えられる。これから我々は屍者連続破壊事件の本部で〈マミー〉を最重要捜査対象とする。実際にその目で〈マミー〉を見た二人には、記憶捜査に協力してもらいたい》
「あの……」
メイベルがおずおずと声を出す。
「だったら〈マミー〉確保の捜査に、私を加えてください。お願いします」
ドクターが意外そうな目でメイベルを見た。
《……どうしてだ?》
やや間があってハンクがたずねた。メイベルが逡巡したように目を泳がせた。
「ええと、私は実際に〈マミー〉と遭遇しているので、ある程度対策を立てられます」
《しかし、交戦したわけではないのだろう?》
「それは、そうですけど……」
メイベルの声が尻すぼみになった。
《警察でお前たちの記憶を解析してしまえば、他の事務所の執行官にデータをインストールして捜査させることもできる。何もお前たちが捜査に加わる必要はないのだが》
「……私が、昨夜ダンヴィルを確保した後に体調を崩したことを気にしているのですか」
《捜査は万全を期すべきだ。無闇な犠牲は増やしたくない》
ハンクは揺るぎなく言った。
《春先から始まった屍者連続破壊事件――これまでに十七体の屍者が破壊された。それを追った執行官も六体が返り討ちに遭った……》
ハンクの言葉が続く。メイベルは唇を噛んで聞いていた。
《犯行に及んだのはいずれも屍者で、数は今回のを入れて十三体。その共通点は今のところわかっていない。確保・拘束しようとしても、彼らは自壊を選ぶのだ。お前たちが十三体目にして対象を初めて生け捕りにしたが、結局、独房内で機能停止……。それでも、一つわかっていることを挙げるとするならば》
ハンクから再びデータが転送されてくる。被害に遭った十七体の屍者の一覧が表示される。
《破壊された十七体の屍者は、全員がいわゆる帝国派と関わりを持っていたか、または実際に名乗っていたということだ》
帝国派――それは異貌都市において隣国・スロベルク帝国の権威拡大を目指す勢力だ。しかしこれといった明確なまとまりはなく、主義主張の一つであるともいえる。
異貌都市はエデノア神皇国領内にあるものの、その統治は神皇国とスロベルク帝国の共同事業である。
共同統治の目的は、大衆には二国の交流と平和のためであると説明されている。
だが、神皇国と帝国の仲は、決して良好とはいえない。
そもそもが、エデノア神皇国は帝国から多くの領土と共に独立したという経緯を持ち、過去幾度となく小競り合いを起こしてきた。
だが、神皇国が屍者の開発に成功し、十年前に東のセインフロド共和国陣営を相手取って巻き起こした〝大戦〟で勝利すると、神皇国は共和国を植民地支配し、強大な力を持つようになった。
かくして、帝国は神皇国の侵略を恐れるようになった。屍者という兵器の凶悪さが世界中に知れ渡ったからだ。そして同時に、諸外国の間で熾烈な屍者開発競争が開始された。もちろんそこにスロベルク帝国も加わった。神皇国の独擅場を許すわけにはいかなかったのだ。
だが、結局、屍者の開発に成功した国は他に現れなかった。ノエルが講義を受けた〝技術革新の谷〟である。
それから、神皇国と帝国の間でどのような密約が交わされたかはわからない。奇妙なことに、神皇国は侵略を選ばなかった。
むしろその逆で、神皇国は屍者の故郷をスロベルク帝国との友好の場に指定し、帝国の穏やかな侵入を許した。
帝国にとっては願ってもないことだったはずだ。屍者の故郷ならば屍者の開発が堂々と行える上、神皇国から技術を盗むことも可能かもしれないからだ。
帝国にはそういう思惑があった。神皇国を出し抜くべく、雌伏の時を過ごすことにしたのだ。
そういう経緯からか、異貌都市に住まうスロベルク人は集団意識が強く、同胞と神皇国人とでは接し方が変わる。
そして自然と生まれたのが、帝国派だった。
もちろん、その対局である神皇国派も存在している。こちらはスロベルク人を異邦人として扱う節が言動に垣間見え、そのことがより帝国派を強硬な態度にさせていた。
つまり、この都市は四つに分裂しているのだ。生者と屍者。そして、エデノアとスロベルクに。
異貌都市にはスロベルク人の屍者もいる。屍者は基本的に都市から出ることができない。屍者運用基本法にそう定められているのだ。ゆえに、スロベルク系の屍者は、祖国に戻ることができない。だからこそ、彼らは同じ帝国出身の者同士で固まりやすく、従って帝国派になりやすいのだ。
《……〈マミー〉が一連の屍者破壊事件に関わっているとして、なぜ帝国派の屍者だけを破壊するのか。まだわかっていない……が、わかっていることもある。このまま屍者が破壊され続ければ、帝国派が黙っていないということだ。最悪の場合は暴動が起こるし、神皇国と帝国の関係の緊張にも繋がる。帝国はこう思うだろう。神皇国は、我々が屍者を領内に密輸しようとしていると疑っているのではないか? だから神皇国は我々側の屍者を破壊しているのではないか? ……と》
「よく考えてらっしゃるなあ、警部補は」
ドクターが呑気にも感嘆していた。
《シュピーゲル執行官。君の出身は確かスロベルク帝国だったな?》
メイベルが痛いところを突かれたように顔を歪め、身体をすくませた。
《この捜査は、我々中央警察署と神皇国派の事務所に任せてほしい。神皇国側がすすんでこの危機を解消すれば、帝国派も矛を収めるはずだ。神皇国の潔白の証明のためにも、帝国育ちの屍者は今回ばかりは静観していてほしい》
真っ当な意見にメイベルは何も言えなくなっていた。そして、
「……わかりました」
ぽつりと呟いた。
そこから、ドクターとハンクがいくつかやりとりを交わし、通信は終わった。
「……何か他に理由があるのかい、メイ?」
ドクターが伸びをしながら聞いた。
「……別に」
メイベルは心ここにあらずといった様子ですげなく返す。
ドクターは気まずげに眼鏡に文字列を点けたり消したりし、端末を意味もなく触った。
そのとき、再びビープ音が鳴った。
「今度は何だ?」
またしてもドクターにかかってきていた。応答すると、映像が立ち上がった。
乱れた映像だった。雑音が響く。その中に、悲鳴のようなものが混じっているのをノエルは聞いた。
「……誰?」
ドクターが呼びかけた。
《――す――て》
声が聞こえた。雑音が邪魔だ。
「なに?」
《――たすけて、おねがい》
「ドクター、発信源を特定しろ」
ノエルが迅速に指示した。瞬時に理解したドクターが空中の鍵盤を叩きはじめる。
五秒とかからずに、通信相手の居場所が判明する。
「場所は――南区の郊外。住宅街だ」
「行けるか、メイベル?」
ノエルが立ち上がった。メイベルも立ち上がる。
「ええ、大丈夫よ。あなたこそ、せいぜい足を引っ張らないことね」
メイベルはすでに気を取り直していた。軽口を言いつつ、気丈な瞳は真剣そのものだ。
「昨日、俺のことを認めてくれたような記憶があるのだが」
「……認めてるわ、相棒」
応接室を抜け、玄関へ急ぐ。
ノエルが首だけをメイベルに回した。
「今、なんと?」
「急ぐわよ!」
メイベルが車庫へと走り出す。ドクターの遠隔操作なのか、シャッターがひとりでに上がっていく。
現れたヴァンの運転席にメイベル、助手席にノエルが滑り込む。
ヴァンが発進し、異貌都市を疾走していった。
――この事件が全ての引き金となり、異貌都市は破滅の危機を迎えることになる。
だが、今の二人には知るよしもない。
そして、気づいたときには後戻りができなくなっているのだ。
一度引かれたトリガーは、なかったことにはできないのだ。