第6話 屍者とは何か
前回までのあらすじ: 事件から一夜明け、執行官として正式にバスターズ・オフィスを訪れたノエルは、事務所の所長、ドクターと顔を合わせた。メイベルは昨夜と打って変わって無愛想になり、ノエルを信頼しない態度を取りはじめる。
「では、講義を始めよう」
ドクターが気取った声で開始を告げた。遮光眼鏡に情報を映しだし、立体光学映像投影装置の電源を入れる。
ノエルの正面――ドクターにとっての背後には黒板が設置されている。だが、それが使われることはない。光学映像は宙空に像を結び、立体モデルとなる。
現れたのは脳だった。人間の大脳が、ゆっくりと回転している。
ノエルは学生よろしく椅子に座り、木製の机に向かっている。まさに教室といった様相の部屋の壁際にはメイベルがもたれかかり、先ほど外の露店で買ってきた揚げ物を囓っていた。ドクターの分は立体光学映像投影装置の上に置かれ、装置の放熱で温められていた。
だが、当然というべきなのか、ノエルの分はなかった。
電子顕微鏡、赤外線走査、X線走査、磁気共鳴走査など、あらゆる装置を駆使した即席の検査が終わった後のこと。
現在、ノエルは講義を受けていた。
「ドクター、手短に済ませてよ」
メイベルはつまらなそうだった。ドクターがノエルに構っていることが気に入らないのだろう。
「仕方ないよ、ノエルの記憶が大部分喪われている以上は。どういう経緯で喪失したかはわからないけれど、なぜだか彼のボスは復元してくれなかったようだからね……」
ノエルにはそのボスの顔すらわからなかった。なぜ自分はバスターズ・オフィスに派遣されたのか――それは命じられたからだ。命令に背けば一生目覚めることはないという現実だけが、ノエルを突き動かす全てだった。
だが、命じた者の名前すらわからない。もちろん、そのボスとドクターの間でどのような取引が交わされたのかすら。
「何も知らないのは困る。業務にも支障が出そうだからね。ということで、改めて講義を始める」
「教授ごっこがしたいだけでしょ……」
ドクターはメイベルのぼやきを無視し、
「まずは――」
眼鏡の縁をつまむ。
「屍者の歴史について話そうか」
回転する脳を取り巻くように、年表やら何かの風景写真やら肖像画やらが浮かび上がる。
ドクターが唇を舌で湿らせる。
「今から約四十年前のこと。エデノア神皇国の西端に位置するアンカニー山を切り拓くためのボーリング調査で、未知の始原菌の痕跡が発見された」
顕微鏡で拡大された微生物か何かの画像が表示される。
「クーノギア始原菌と命名されたそれは、地質学や古生物学の観点からみても奇妙な存在だった。地質時代の区分と照らし合わせ、大陸の様々な地域と比較された。結果、クーノギア始原菌の痕跡は大陸中のありとあらゆる時代の地質で広く発見されることになる」
大陸の地図が現れ、クーノギア始原菌の分布と重なり合わさった。
「ここで最初の〝技術革新の谷〟が、エデノア神皇国中央の皇都に位置していたガマハーテ研究室で起こった。すでに死滅し、痕跡としてしか存在していなかったはずのクーノギア始原菌を、ドヌール古生物学教授が培養することに成功した。神皇歴五三二年の冬のことだった」
「技術革新の谷?」
ノエルが聞き返した。ドクターが眼鏡を指で押し上げ、すかさず疑問に答える。
「そう、まさしく谷。それまで一本の線のように連続してきた技術の更新が、いきなり途切れ、一気に飛躍する地点。つまり、開発されたはずの技術が――理論によって体系的に説明できるようになったはずの技術が、なぜだか誰にも説明できない。これまでに三回あったとされ……その三つも学者によって見解が異なるけど……そのいずれにも屍者がなんらかの形で関わっているし、どれも未だに解決されていないというのが一致している」
ドクターはノエルに教えるというよりは、自身に言い聞かせているような調子だった。教科書の文章を読み上げているような無機質さと共に、言葉の節々に熱が感じられた。
ドクターは勝手に白熱しはじめているようだった。
「屍者の技術を独占するための神皇国の情報統制というのが〝技術革新の谷〟の正体の通説だけど……反論として挙げられるのが、屍者の技術を、一国のうちに封じ込めておくことなど不可能に近いというものだね。だが、今まで、いかなる技術大国も軍事企業も、神皇国を除いて屍者の開発には成功していない」
「なぜだ?」
「理由は未だにわかっていない。それを解き明かすことすら、研究者の間では禁忌だと暗黙の了解がなされている」
ドクターが眼鏡をつまみ、映像の表示を切り替えた。いくつかの画像が消え、
「話を戻そう。第一の技術革新の谷――クーノギアの培養から十年後、屍者の生命線たる転生繊維が開発された。これが第二の技術革新の谷だというのが大方の見方だね」
転生繊維。昨日、メイベルやマミー――マディソン・モートの口からも聞いていた。だが、ノエルは詳しくは知らなかった。
「転生繊維はクーノギアの構造を模倣してつくられている。それゆえに、クーノギアの特性を引き継いでいる」
ドクターは工場か何かの映像を映し出す。機械が駆動し、コンベアの上を箱に詰められたが何かが運ばれていく。転生繊維の製造過程だろうか。
「一つが、代謝をするということ。転生繊維は栄養を取り込み、増殖する。だが、彼らの代謝はある限られた状況下に限定される。その状況というのが、二つ目の特徴そのものでもある。すなわち、転生繊維が意識を持つという状況下だ」
ドクターの目線が、脳の立体モデルからノエルに移る。
「ノエル、君の意識のことだ。君だけじゃない。メイベルや他の屍者たちの意識も、究極的には転生繊維のみせる幻であり、意識の再現であり、精神活動の延長である」
「……どういうことだ?」
「もう、ドクターもそんなに勿体ぶらなくていいでしょ。要はノエル、あなたの脳に埋め込まれた転生繊維が一度死んだはずのあなたの意識を引き継いでるってこと」
メイベルがしびれを切らして壁際から口を挟む。揚げ物はとっくに食べ終わり、手持ち無沙汰になっていた。
「メイ、今が良いところなんだよ。……講義を続ける。さて、結局のところ、人間の意識や精神というものは、脳内の電気信号の連続でしかないということは周知の事実だ。転生繊維は、その電位変化を感知し、代謝を開始する。いや、正確には電気信号の痕跡というべきだね。現在進行形で信号が流れ続けている生の脳に、転生繊維は植え付けることはできない。肉体が拒絶反応を示すし、そもそも移植はうまくいかない。簡単に剥離するんだ。脳は常に活動し続けているゆえ、転生繊維がそのめまぐるしい電位変化についていけないのが理由と考えられている……」
長かった講義だが、ノエルにも話がだんだんと見えてきていた。
「どうやら、転生繊維の元となったクーノギアは、あくまで共生するのではなく、宿主を支配下に置きたいようなんだ。どのようにして転生繊維を人体に移植する試みが科学者たちの間で始まったかは今となってはわからないけど、とにかく、当時の科学者たちには電気の痕跡を持つ脳が必要だった。転生繊維が喜んで増殖し、支配を広げてくれる環境が。そこで彼らが使用したのが――」
「――屍体の脳、か」
ノエルの呟きに、ドクターが強く頷く。
「生命活動を停止しても、その電流はしばらくの間脳に残留する。脳髄に網目のように広がっている神経。そこを流れる微弱な電流の痕跡を、転生繊維は伝い、増殖した。そして生まれたのが、あたかも精神活動を行っているように見える屍者というわけだ」
転生繊維が生前の記憶や意識を読み取り、再現する。
再現された意識と記憶は、その先のあるはずだった未来へと進みはじめる。
屍体は屍者として、新たな命として蘇ったのではない。転生繊維が屍体が取るであろう行動を予測しているだけ。
それが君たち、屍者だ。
ドクターはそう締めくくった。
「だから、君たちはいろいろと人間と違う部分があるんだ。心臓が動かないというのがその最たるものだね。なにせ、君たちには心臓を動かす理由がない。血液を身体に送る意味がない。身体中に増殖した転生繊維が精神を再現・予測し続ける限り、君たちは死なないんだ。ただし、転生繊維は人間の精神を再現し、その影響で組成すら変質する。血液が流れていないのに君たちの肌は生者と変わらない色だし、腐敗も起こらない。全て転生繊維が人間を――というより生物というものを理解しているから可能なんだ」
ドクターが息を吐いた。
「質問のある生徒はいる?」
「いないわよ」
メイベルが真顔で即答。
「そうか。じゃあ、ここからは屍者の異能、骸冑についてだけど――」
「……日が暮れるわよ」
「いやいや、まだ知っておかなければならないことが沢山ある。骸冑、屍者の記憶操作技術、〝大戦〟、神皇国の歴史、この街の成り立ち……」
話を聞きながら、ノエルは空腹を覚えていた。
――この空腹も、転生繊維の活動なのだ。そういう思いが湧いていた。
だが、記憶の大部分を喪っているらしい自分は、はたして生前の自分とどれぐらい似ているのだろうか。
自分の転生繊維が活動するうちに、喪った記憶を意識の奥底から引っ張り出してくれることが、この先にあるだろうか。
思い出したとき、全てがわかるだろうか。自分がどこからやってきたのか。どこへ向かうというのか。転生繊維ですら予測してくれないこの先の希望を、ノエルは想った。