最終話(後編) 闇の渦巻く方へ
前回までのあらすじ: 訪れた異貌都市の、束の間の安寧。しかし、陽射しへと踏み出したノエルたちを見下ろす影が一つ。最後に明かされる真実が都市の全景を塗り替え、レヴェナント・レクイエム、ここに終わる。
屋上から、三人を見下ろす影があった。
患者服を着込んだ隻眼の男だった。頬に生々しい火傷の痕がある。
ドレニア・アルクーネは、バンに乗り込んだ三人から目を離した。もはや監視を続ける必要も無かった。これで、全ての駒が、十全にそれぞれの役割を果たしたことになる。
ドレニアは腕の端末を起動し、相手に通信を繋げた。
相手はすぐに出た。
《やあ、グレイ。通信を寄越してくれたってことは、全部を見届けてくれたってことだね?》
ビショップが、ドレニアの顔を見て首を傾げる。
《あれ、もう元の顔に戻っていいんじゃない?》
「……そうでしたね」
ドレニアは眼帯を外した。
彼の、あらゆる人物に変装可能な骸冑が解除され、白髪を後ろに撫でつけた老人が現れた。身長までもが伸び、体つきも変わっていった。
《今回も長い任務だったからね、ついつい変装してることを忘れちゃうんだね? それにしてもお疲れ様。では、報告を聞こうか》
ビショップはにこやかな笑みを浮かべている。
「――全ての駒が、無事責務を全うしました」
グレイが、最後の報告を開始する。
「これで、無事にアネモネは我々の手の内です。メイベル・シュピーゲルには、あなたから爆弾を解体し、アネモネを治療すると通告したそうですが?」
《ああ。私から言った方が信用してくれるかな、と思ってね》
グレイは控えめに苦笑する。おそらく、メイベルは怪しがりつつも、仕方なしとしたのだろう。爆弾を解体するなどという業務を異貌都市のいち事務所が行うわけにはいかないのだから。
「さらに、今回の武装蜂起によって訪れた周辺地域の危機を鑑みて、皇都が都市に直接干渉するきっかけを得られました。市長も帝国派も今のところ押さえつけられています。それに――」
グレイが自信を持って微笑む。
「――帝国派もレキュロス連邦も、今回の騒ぎで終わりです。この先は、屍者たちが戦場を闊歩する時代が、〝大戦〟ぶりに到来します」
《ふむふむ》
「すでに皇都で開発済みの新型屍者が、異貌都市軍の欠員を補います。もちろん、全員神皇国派です……。誰も今回の騒ぎが、全て計画されたものであると気づいておりませんし、まして神皇国が異貌都市の共同統治を終わらせ、手綱を握るものだとは、考えもしないでしょう」
《うんうん。エンダーくんたちが派手に動いてくれたおかげだね》
「はい。エンダー・ゴートは、最後まで自分がノエル・ルインに拷問されたものだと思い込んだままでした」
グレイは、エンダーの経歴を手許に表示した。
「セインフロド共和国には亡霊などという名前の部隊は存在しませんし、ノエル・ルインなどという人物も、どこにも存在しません。ただ、彼らが何者かに拷問されたのは事実ですが。エンダー・ゴートは私たちの駒である『ノエル・ルイン』を予定通り憎悪し、復讐に走ってくれました」
《今の屍者科学の賜物だね。転生繊維に偽の記憶を植え付け、さらにその記憶が植え付けられたものであるということすら忘却する。エンダーくん自身が、自分の過去を改竄され、さらにその事実を忘却していたなんて、皮肉だねぇ》
「そうですね。ドレニア・アルクーネという人物も監獄から脱走したという事実はありません。未だ幽閉されたままです」
《メゼンタくんとミリィ・ブランシェットは?》
「はい。今回の計画の鍵となったのが、その二人でした」
グレイは別のデータを立ち上げる。
「ファントムというウイルス。それは、一人の人間を構成する全てを、幻影として再現するものでした。記憶、過去、性格、行動、見た目。あらゆる情報を含有するプログラム。それを植え付けられた対象者は、プログラムの人物がこの世に存在するかのように感じてしまう。今回のミリィ・ブランシェットとメゼンタ・ゼヴがそれでした」
《ファントムは偽の記憶や思考すらも感染者の無意識下で再現されるからね。もはやミリィ・ブランシェットは存在している――いや、存在していたといってもいいかもしれないね》
「はい。エンダー・ゴートたちは、存在しないメゼンタ・ゼヴにミリィ・ブランシェットの誘拐を命じ、存在しないミリィ・ブランシェットを見事に誘拐しました。つまり、彼女が知っていた起爆コードは偽物でした。エンダー・ゴートには最初からアネモネを起爆する手立てが残っていなかったことになります。そして、ミリィ・ブランシェットは私が解除しておいたアネモネに起爆コードを入力した時点で用済みとなったので、爆発に紛れて消しておきました」
グレイは滔々と続ける。
「そもそもの話、ファントムは、ノエル・ルインを通じて関係者に感染しました。メイベル・シュピーゲルと所長、一部の警官、エンダー・ゴート、マディソン・モート。抗体を持っていた私とあなたには感染しませんでした」
《一応、試験は成功と言える?》
「ええ。実戦への投入も可能な精度です。しかし、今回のようにメゼンタ・ゼヴの姿が感染者に映らなかったりと、改良の余地があります。おそらくは、ミリィ・ブランシェットにデータリソースを割きすぎたかと」
《なるほどね》
グレイは一つ、気になっていたことをたずねる。
「しかし、このままではバスターズ・オフィスの面々がミリィ・ブランシェットの真実に辿り着く恐れがあります。監視装置などからおそらくはすでに判明しているかと。始末しなくて良かったのですか?」
《ふふふ》
ビショップが愉快そうに声を上げた。
《私は、ノエル・ルインに興味を持ってしまった。おもしろいんだよ、彼。なぜ彼は、全ての記憶を奪われていながら戦うことができたんだろうね。何を心の拠り所とし、何を信じて戦っていたのだろうね?》
グレイは答えられず、黙った。
《それは、私にもわからない。だからこそ、それを見てみたくなったんだよ。そこに、人間の可能性が眠っていそうだからね。おもしろいだろう? 君も見てみたいだろう?》
「……あなたは、つくづく末恐ろしい方だ」
グレイは再び苦笑を返す。半ば、自らの上司を畏怖してすらいた。
「では、間もなく皇都に戻ります」
《ああ。お疲れ様》
通信が切れた。
グレイは踵を返し、昇降口へと向かった。
異貌都市の陽射しの下から、冷ややかな陰へと踏み込んでいった。
ご愛読ありがとうございました。
※活動報告にてあとがきを投稿する予定です。




