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最終話(前編) 陽射しの照らす方へ

19時以降に後編を投稿します。


前回までのあらすじ: ノエル・ルインは、去っていった日々を思い出す。激動そのものの、裏切りと愛と憎悪が吹き荒れた日々を。何を手に入れ、何を(うしな)ったのか。ノエルの胸に去来するものは何なのか。そして、最後に微笑みを浮かべている者は誰なのか。選んだ道。それが正しいものなのか。わからないなりにも、ノエル・ルインは、一歩を踏み出そうとしていた。

 異貌都市軍基地を中心にした帝国派の武装蜂起は、神皇国派の屍者兵士たちの手で鎮圧された。

 レキュロス連邦の領土拡大。その悲願達成のための布石は、都市軍に混乱を起こし、出兵を先送りにするというだけでよかった。そういう意味では、連邦の目論見は、帝国派の武装蜂起が始まった時点で達成されていたことになる。


 だが、連邦が碧海と港湾都市アザンを手に入れることは、ついぞなかった。

 スロベルク帝国軍だけの力ではなかった。砂漠地帯に適応している連邦軍をジハルダ砂漠へと後退させたのは、円卓軍だという報道だった。


 神皇国軍中枢特殊部隊。そして、ビショップが最高司令官を務める精鋭部隊だ。

 連邦の動向を知っていなければ、部隊を先に配備することなど不可能だった。ビショップは、初めから全てを知っていたのだ。連邦が進撃を開始することすら、計略の内だったのだ。


 では、結局、ビショップは何がしたかったのか?

 ビショップは、最終的に何を手に入れたのか?


 ノエルは思いを巡らせる。それについて考えるためには、一連の騒動を取り巻いた関係者について推測する必要があった。


 まず、エンダー・ゴート率いる〈死の舞踏(ダンス・マカブル)〉がアンケミア社の助力で組織され、屍者連続破壊事件を起こした。

 アンケミア社の当初の目的。それは、異貌都市軍内での帝国の発言力を強めること。そう推測することはできた。そうならば、アネモネが〈死の舞踏(ダンス・マカブル)〉に配備されたのもうなずける。


 だが、〈死の舞踏(ダンス・マカブル)〉は暴走した。レキュロス連邦に接触し、帝国に裁きと革新をもたらそうとした。全ては、都市軍に渾沌をもたらすための一連の事件であり、事前準備だった。

 ノエルは、そこでビショップと帝国の重臣――ミナルト・ズズィの会談を思い出す。


(私たちが望むのは、そちらが開発したとある兵器を、こちらに引き渡してもらうことです)


 アネモネ。ビショップは、たった一つの爆弾のためだけに、都市を危険に晒したのだろうか?

 そこで、ノエルの思考は逸れた。


 手許の端末が、報道を映しだしている。


 異貌都市の武装蜂起とその(てん)(まつ)、そしてそれに便()()()()レキュロス連邦の侵略行為。それについて、各国が見解を発表していた。


 ある国は、屍者(レヴェナント)という武力の危険性をしきりに訴えていた。

 ある国は、レキュロス連邦への経済制裁について言及していた。

 ある国は、異貌都市に参画する帝国の権力の失墜と、形骸化を危惧する声を上げていた。


 何が真実なのか。何が真実だったのか。何が真実になるのか。

 今はまだ、何もわからなかった。


 ノエルは今、屋上にいた。基地が拝める病院の屋上だ。


「ノエル、もう出歩いていいの?」


 ドクターの姿が、昇降口から現れた。陽射しにのまばゆさに遮光眼鏡を起動し、近づいてくる。


「ああ。医者から許可されている」

「また追い出されたんでしょ。全く、異貌都市の英雄にも冷たいなぁ」


 都市軍基地の屋上で死闘を繰り広げ、中継にも捉えられたノエルについては、情報が秘匿されていた。きっとハンクやビショップの根回し、工作があったのだろうと思った。


「それで、解析が完了したんだけど」


 ドクターの声が上ずっていた。緊張を孕んでいた。


「どうだった?」


 ドクターが遮光眼鏡を片手で押し上げる。


「まずはその目で見てもらおうか」


 ドクターが眼鏡の縁をつまみ、映像を宙空に映し出す。


「これが、回収したエンダーとマディソンの脳髄を解析した結果わかった、彼らが見ていた視界なんだけど」


 ノエルは映像を眺め、


「……確かに映ってるな」

「ああ。それで、今度は基地の監視装置の映像。エンダーたちが見ていた部屋の記録なんだけど……」


 ノエルがゆっくりと目を見開く。


「……映ってない」


 ビショップが重々しく頷く。


「そうなんだ。他の装置も確かめている最中だけど、今のところどこにも映ってない」


 ノエルが、認めがたい可能性を呟く。


「ミリィ・ブランシェットは、存在していなかった……?」


 エンダーたちの視界にのみ映り込んでいた少女。確かに、ノエルもメイベルもドクターも会っていた。だが、肝心の監視装置の世界に、彼女はいなかった。

 エンダーもマディソンも、監視装置の世界では、何もない空間に向かって話しかけていたのだ。


 燦々と照りつける陽光の下にもかかわらず、薄ら寒さがあった。粘つくような悪寒がした。


「奇妙なことに、事務所に保管していたミリィ・ブランシェットのデータすら、残っていなかった。もう、彼女を追う手立ては残っていない……。一応、ハンクから要請されてるし、君にも記憶捜査を行ってみたいんだけど、いいかな?」

「構わない」


 アネモネが安置されていたプール。そこで、メイベルの目の前で様子をおかしくしたミリィ。直後、基地の屋上ではエンダーが装置のボタンを押し込んだ。


 爆発したのは、アネモネではなかったという。プールの通路は火薬庫として使われていて、その爆薬が爆ぜたという話だった。


 メイベルは爆風に吹き飛ばされた。だが、すぐに立ち直り、ミリィの姿を捜した。


 結局、メイベルは彼女を見つけられなかった。爆発を受けたというわけでもなさそうだった。彼女の身体はどこにもなかった。


 ミリィ・ブランシェットは、忽然と消失したのである。


 ノエルが病床で昏睡している間、メイベルは混乱し、取り乱していたという。


「メイベルはどこにいる?」

「――下で待ってるよ。もうだいぶ落ち着いたみたい。ただ、少し優しくやってほしい。今回の決着は、メイには少し辛いものだからね――」


 二人は昇降口へ向かって歩きだす。



 退院の手続きなど要らないだろう。

 医者も看護師も、ノエルのことなど忘れているはずだ。


 日常は穏やかなどではない。めまぐるしく吹き荒れ、刻々と様相を変わる嵐だ。そのことすら、誰もが忘れているだけで。


 異貌都市の常套句――ここでは何もかもが急速に変わる。初めからそう示されているのだ。


「不死身ね」


 メイベルが、ノエルの彫像のような無表情を見つめて言った。


「この世に不死は存在しないらしい」

「それは――ドレニアの受け売りかしら?」

「そうかもな」

「あの男もよくわからなかったわ。〈エトランジェ〉――メゼンタ・ゼヴも現れなかったし」

「その二人の行方についても、監視装置の解析を進めているよ」


 と、ドクター。

 ノエルの目には、メイベルはいつも通りのように見えた。三人は外に向かって歩きだす。


「そういえば、一つ、なぞなぞに答えてもらいたくて」


 病院から出たところで、メイベルはこちらを振り返った。


「なぞなぞ?」

「そう。問題です、私のお姉ちゃん――アネモネが、かつて同じ部隊に所属していたエンダーやマディソンに、私のことを教えていなかったのなぜでしょう?」


 ノエルは、マディソンと初めて邂逅したときのことを反芻する。


(――メイベル? 聞いたことのない名だ)


 そういえば、そうだ。あのときマディソンは彼女の正体に気づいていなかった。

 ノエルはしばし立ち止まり、考え込む。


「――これは、私なりの答えになるんだけど」


 と、メイベルは前置きした。


「きっと、お姉ちゃんは私に同じ道を歩んでほしくなかったんだと思う。私はいつも、お姉ちゃんの背中を追っていた。お姉ちゃんになりたかった。でも、お姉ちゃんは自分なりの道を進めばいいって、そう思ってたのよ」


 道――それは、過去から今を経て未来へと伸びる、辿るべき軌跡。

 メイベルが獲得し、多くの者がついぞ手にできなかったもの。


 痛みが胸に広がった。

 ただの幻肢痛(ファントム・ペイン)だった。エンダーに貫かれた左胸がうずいていた。


 ノエルは、陽光と春風に包まれながら、戦いの日々を思い返す。愛と憎しみが乱れながら交錯した、あの日々を。


 マディソンは、理想の世界の実現のために、多くの者が多くのものを喪う道を望んだ。

 エンダーは、多くのものを奪い返すために、ノエル一人に全てを喪わせようとした。


 荒ぶる魂を鎮める歌のために。彼らは、己の愛憎を振り切るために、そうしなければならなかった。

 そして、二人は、一度はその身に吹き戻された命すら喪い、亡霊に還った。


 それこそが、彼らの辿り着いた道だった。

 代わりに、ノエルの胸に残ったのは、痛みだった。


 ノエル・ルインは、かつて夢を見なかった。だが、今は、きっと違う。

 エンダーたちの生き様は、ノエルの記憶に確かに刻まれていた。

 二度と忘れられぬ過去として。


 去っていった者たちの顔が思い浮かぶ。ノエルたちが何も知らぬ間に葬った者、策謀に巻き込まれて喪われた者、名も知らぬ間に死んでいった者たち。


 そして、ミリィ・ブランシェットという記憶。


「……何してるの、ノエル?」


 立ち止まったままだったノエルは、我に返る。メイベルとドクターはすでに歩きだしていた。


「考え事だ」


 メイベルが半眼になる。初めて出会ったあの夜にノエルを見つめた眼差しだった。


「まさか、事務所を辞めるだなんて考えてないでしょうね?」


 ノエルは目を見開く。


「考えてないが」

「そう、それなら良かった。あなたはとんだ疫病神だけど、もはやいなきゃ困るんだから」


 ノエルは理解した。自分は何も覚えていない。記憶すら持っていなかった。だが、他者と関わることで――この街で戦うことで、過去が生まれた。

 それは、メイベルにしても、ドクターにしても同じことだったのだ。ノエルという存在は、二人の胸に、記憶に、確かに刻み込まれていたのだ。


 かつての自分がした行い。それは消えない。思い出せないだけで、足を引っ張る亡霊としていつも存在している。

 だが、過去は塗り替えていくことができる。ノエル自身が過去を持ったことで初めて学んだことだった。


 今はそれだけで充分だろう。


 ノエルは歩きだす。恥ずかしかったのか、すぐさま前に向き直ったメイベルを追うように。

 一歩が、踏み出された。


 そして歩みは、たゆみなく続いていった。

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