表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/29

第26話 鍵

前回までのあらすじ: ノエルとエンダーが決着を望み、互いの魂を疾走させる。一方、メイベルはアネモネとの決着、そしてミリィ・ブランシェットとの脱出を図る。残された手立てと時間はあまりにも少ない。それでも都市に安息をもたらすために、爆弾の元へ向かうしかなかった。

「ミリィ、爆弾が起爆する条件は?」


 メイベルが、目を真っ赤に腫らした少女にたずねる。できるだけ穏やかな声音で。先ほどの戦いを見せてしまったため、ミリィはひどく怯えていた。

 不思議と、今は怒りが湧いてこなかった。ミリィに申し訳なかったという気持ちすら湧いてきていた。

 この戦いが終わった後に姉について考えるとき、自分はミリィについてどう思うのだろうか。

 今はわからない。想像もつかない。


「最終的な起爆装置はエンダーが持っていて、彼にはもう暗号(コード)を教えちゃった――」

「なんてこと」


 ミリィが再び泣きそうになる。だが。どうにか堪えようとしていた。彼女わかっているのだ。泣きじゃくるだけではどうにもならない。何も解決しないと。


 メイベルがすぐにドクターに通信を入れる。

 その側で、ミリィもできることを考える。落ち着けと自分に言い聞かせ、深呼吸をする。難しいことは考えなくていい。自分はミリィ・ブランシェット。与えられた側の人間――。


「……安全装置」


 ミリィが呟く。メイベルが通信したまま、すぐに反応した。


「安全装置があるの?」

「多分、ある。アンケミア社の製品――特に大量破壊兵器には、アンケミア社の一部の人間しか知らない暗号が設定されてる。それは、アンケミア社の独断で大量破壊を支配下に置くことで、戦場をコントロールすることを目的としてる」

「それを打ち込めば――」

「止まる、かも。でも、問題は、わたしもその暗号を知らないの。アンケミア社の社長、それか役員幹部なら――」


 メイベルが端末の映像に顔を戻す。


「ドクター、聞いてた? アンケミア社の社長にどうにかして繋げて。お宅の造った爆弾で街が吹き飛ばされそうなのに、()()()()ですかって」

《頑張ってみる……けど。時間がかかるかも。二人はアネモネの側に行ってくれ》

「わかった」


 メイベルが通信を終えた。


「さ、ミリィ。後始末の時間よ」


 ミリィが頷いた。メイベルは、まだ自分を見捨てていない。そのことにまた熱いものが込み上がりそうだった。

 帝国派のミリィと、帝国で生まれ育ったメイベル。信頼は、共通の祖国があるからではない。むしろ、これまでの行いを考えれば、ミリィは憎まれていても文句は言えない。だが今は、その因縁すらも超える状況だった。ここを脱出しなければ、共に一度吹き込まれた命を再度喪うかもしれないかった。


 もはやミリィは帝国も神皇国も憎んでなどいなかった。ただ、メイベルがノエルの過去を許したように、自分も全てを許したかった。


 そうすれば、メイベルに、少しでも近づくことができる気がしたからだ。


「走れるかしら?」

「うん。わたしも屍者になったから」


 ミリィが頷き、メイベルも頷き返す。今はミリィが主導する番だった。不安はいくらでもあった。だが、今も自分たちのために戦っている者がいると思えば、怖さがやわらいだ。



 異貌都市軍基地の外。


 仮設営された天幕の下に、三人が椅子に座っている。机の二台の投影装置に浮かび上がる二つの映像に、二人が見入っている。残りの一人は、別の大型機械の鍵盤を叩いている。


「繋がってくれ……」


 ドクターが焦燥の混じった声で呟く。指が鍵盤をせわしなく叩く。どうにかして社長の回線に入り込もうとしているようだった。


「無駄だと思うよ、ドクター」


 微笑みを崩さず、映像を見つつ、ビショップは言う。


「アンケミア社は証拠の隠滅で大忙し。社長はおそらく、すでに異貌都市から退避しているよ」

「それでも、携帯端末ぐらい持ってるだろう……!」

「すごい執念だ」


 反応の薄いビショップが見つめる先には、上から撮影している基地の屋上が映っている。

 そこでは、今まさに命を散らす死闘が繰り広げられているのだ。


 リポーターの説明と実況が邪魔なので、音声は切ってあった。


「エンダーは、爆弾を起爆させると思うか?」


 ハンクが横のビショップにたずねた。口ぶりからするにどうやら彼は、ビショップの正体に気づいていないようだ。それも無理もない話だったが。


「どうだろうね。彼が自分の力での勝負に(こだわ)る男なら、最後まで男らしく戦うだろうけど。ノエルと、この街の全てを道連れにしようとする可能性も否定できない」


 ビショップが愉快そうに笑みを濃くする。


「こういう極限状態でこそ、人間の真実が試されるね」

「繋がった!」


 ドクターが声を上げた。ハンクとビショップが同時に顔を寄せる。


「そちらは、エルオット・アンケミア社長ですか?」


 ドクターの声に、しばしの間が空き、やがて返答が返ってくる。


「……そうだが」


 重々しい声。面倒くさそうなのがすぐに伝わってきた。


「用件だけ言います。そちらが開発したアネモネの安全装置。その暗号(コード)を教えていただきたい!」


 嘆息。ドクターは苛立ちを抑え、向こうのさらなる言葉を待った。


「……では、こちらも答えだけを言おう。何があっても教えるわけにはいかん。考えてもみろ。アネモネの暗号(コード)が貴様のような得体の知れない存在に漏れ、そこから他製品の暗号(コード)までもが解読されてしまえば、我が社は終わりだ」


 ドクターが歯噛みする。ハンクが顔をしかめる。ビショップは飄々としている。人間の欲望と下劣さを突きつけられているようだった。


「異貌都市の命運がかかっています! 六十万人の市民の命が!」

「私にはもはや関係のないことだ」

「あなたたちが生み出したエンダー・ゴート、マディソン・モートの仕業なんですよ!」

「はて、何のことやら。そんな名前に聞き覚えはないな」


 地鳴りのような笑い声が聞こえてくる。怒りのあまり、ドクターが拳を振り上げる。ハンクがそれを掴んで止めた。


「用件はそれだけか? では、失礼するよ。瀕死の街を救うべく、せいぜい頑張りたまえ」


 通信が切れた。


「くそっ!」


 ドクターが堪えきれず、ハンクを振り切って拳を机に叩きつけた。

 瞬間、ドクターの端末が、再び光を放った。顔を上げたドクターの眼前に、文字列が浮かび上がっていた。


 ――phantom。



 塩素の匂い。

 輝く水面。


 メイベルとミリィの前に、見上げるほどの(たる)が横倒しの状態で鎮座していた。


 そこはプールだった。薄暗い照明の下、水面が光りながら揺らめいてた。向こう岸がかろうじて見渡せる程度の明るさしかない。


 爆弾は、訓練用の巨大プールの通路に安置されていた。


 ミリィは、エンダーに起爆の手順を教えるために一度ここへ来ていた。場所が変わっていないかが心配だったが、杞憂だったようだ。


 だが、ミリィは近づいてみて気づいた。

 位置が、少しだけずれている。誰かが動かした形跡があった。


(一体誰が――)


 ミリィの心配をよそに、メイベルが通信を繋げる。


「ドクター、爆弾の目の前に来たわ。そっちはどう?」

《いいかい、これを打ち込んでくれ。()()(もと)に近いけど……》


 送られてきた文字列。それは、phantom。


「駄目元ってどういうこと?」


 メイベルが聞き返した。だが、ミリィはすでに動いていた。爆弾の周囲を回り、鍵盤を探した。


《社長の協力は得られなかったんだけど、通話を着られた直後にこの文字列が誰かから送られてきたんだ。これが暗号だなんて、あり得ないかもしれない。でも、もうこれにかけるしかない》


 ミリィが円筒の上へよじ登る。あった。鍵盤が。

 七文字の入力を一瞬で終える。すると、新たに無数の文字列と、立体の幾何学図形、グラフが浮かび上がった。二重の仕掛けだった。兵器の安全装置がたった七文字で起動するわけがないのだ。


 だが、ミリィからすればこの程度の多体問題など、呼吸をするよりも簡単だった。五秒とかからずに答えの入力が終わり、躊躇うことなく送信ボタンを押す。


 だが、


「あれ……?」


 ミリィの答えは受け付けられなかった。

 まさかと思い、答えを見直す。だが、間違えているはずもなかった。


 そこで、ミリィは、操作画面に浮かび上がっていた注意書きに気づいた。


《このリクエストは、すでに承認されています》

「え――?」


 そこで、ミリィは恐ろしい事実に思い至った。

 全ての真実がわかってしまった。真相を何重にも覆っていた闇が、全て(ほど)けていった。


 ――phantom。


 ――エンダーの言っていたウイルス――。


「そっか――」


 ――自分は、このために生きていたんだ。生かされていたんだ。


「どうしたの、ミリィ!」


 メイベルが、爆弾の上で動かなくなったミリィに向かって叫ぶ。

 ミリィがようやく振り返ったとき、彼女はすがすがしいほどの笑顔だった。


「メイベルさん、短い間だったけど、今までありがとう。ノエルさんと、ドクターにも伝えておいて」


 メイベルが困惑の表情を浮かべる。


「何を言ってるの?」

「あのとき、助けてくれたこと、本当にありがとう。お姉ちゃんのことを知って、それでも私を殺さないでいてくれて、ありがとう――」


 ミリィの視界が静止していく。全ての運動が緩やかになる。メイベルの声も引き延ばされる。


 一瞬にして、メイベルは自分の人生の全光景を追憶し、


「――そして、ごめんなさい」


 亡霊に還った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ