第25話 夕陽の下の悪鬼たち
前回までのあらすじ: 幾度もの武力衝突と謀略、立ち上がる亡霊の愛憎を経て、ノエルは自分なりの決着を望む。忘れ去ってしまったノエルの過去を追うエンダー・ゴートとの戦い。そこに、未来へ繋がる道はあるのか。どちらが生き残り、どちらが死に絶えるのか――。ついに牙を剥くエンダーとの、最終決戦が始まろうとしていた。
《エンダーは、屋上にいる》
ドクターから通信が入る。ノエルは今まさに、階段を上っていた。最上階のその先へ続く道を。
《彼の姿を、報道用の飛行船が捉えている》
扉は、閉ざされていた。ノエルは刀身を形成し、全ての準備が整っていることを確認した。
ここまで、兵士は一人としていなかった。マディソンも、ドレニアも、メゼンタすらも。
エンダーの計らいだという確信があった。彼が、最高の人生を始めるための舞台を整えたのだ。
過去の断頭台と、未来への玉座。その二つは、等しい存在だった。エンダーにとっても、ノエルにとっても。
因縁の決着は、神々しい夕陽の下だった。日が傾いていることに、ノエルはそこで初めて気づいた。
奇襲はなかった。敵は、あるべき位置に座っていた。
屋上の中央に着陸して動かない飛行船。その屋根から脚を投げ出し、こちらを見ていた。
恐ろしいほどに昏く、しかし獰猛な光を宿す目が、ノエルを捉えた。碧く光り輝く双眸。ただの火炎よりも熱く燃え上がる、青空の色。または、霹靂の色。金の長髪は、夕焼けに同化しそうだった。
「――これで最後だ、ノエル・ルイン」
エンダーが言い、その場で立ち上がる。ノエルを睥睨し、歯をむき出すようにして笑みを浮かべた。
不思議と狂気は感じなかった。むしろ、あるべき姿だと思った。最悪が終わり、最高が始まるこの瞬間を、彼は永遠とも思える間、待ち望んでいたのだろう。
「どちらが未来の盤面を進むに相応しいか。今日、決着がつく。今日が、思い出の日になる。そして、ここから始まっていくのだ」
恍惚とした声音だった。恋をしているかのようでもあった。
エンダーが、地面へと降り立った。ノエルとエンダーの視線が、対等な高さで噛み合う。どちらからでも始められる。そして、どちらからでも終わらせられる。相手の息の根を止めることで。
はたして、エンダーが動いた。
予備動作無しで、猛然と走り出す。ノエルが刃を光らせ、迎え撃った。
ノエルの刃が、円弧を描く。エンダーが踵に力を込め、急停止。衝撃でコンクリが削られ、ノエルの顔面に浴びせられた。
しかしノエルは目を瞑ることすらせずに、エンダーの移動を追う。横薙ぎの斬撃は、エンダーが姿勢を低めることで回避していた。そうしながら、エンダーはそれ以上間合いを詰めてこない。
ノエルの中で違和感が一瞬にして膨れ上がった。すぐさま危機感に昇華される。
ノエルの刀の最適な間合いを、エンダーは駆け抜けていた。ノエルの背後へ回り込むように、しかし距離は詰めずに。
刀の射程を見抜かれている――。エンダーの顔には悪鬼のごとき笑み。
そして、それだけではないことは明らかだった。エンダーの左腕が、鈍色の輝きを放っていた。いつかノエルが奪ったはずの腕。赤光を浴びて輝くのは、金属の光沢ゆえだった。
ノエルが刃を返す。瞬間、閃火と金属音が散った。あまりに早いエンダーの一撃だった。どうにか弾くことができたのは、奇跡的な直感のおかげだった。
エンダーの金属の腕が繰り出された――ノエルはそう思ったが、違った。
エンダーが豪速で距離をとった。その彼の右手には、刀が握られていた。
それは、ノエルの手に握られた業物と全く同じものだった。
「公平に行こうじゃないか、ノエル・ルイン。互いに同じ状況で貴様を殺してこそ、意味がある」
ノエルは、エンダーの骸冑の一端を理解した。自身の両腕を流体鋼で補い、その形状を自在に変えることができるのだ。ときには刀に変え、さらに身体から分離させることで操るのだ。
(擬感骸冑の研究は、そういった知覚強度の低い部位に、骸冑を形成することを促す技術です。それだけでなく、右腕の再生能力を失った屍者に擬感骸冑の技術を施せば、骸冑として右腕を再生させることができるのです)
ミリィの言葉が蘇った。メイベルとドクターがビショップとの面会を果たしたあの日のことだ。
(これは、ミリィに伝えるべきではないな――)
ノエルが踏み込んだ。エンダーも同じように大きく接近。
ノエルが刃を上へと繰り出す。半円を描きつつ、銀の軌跡が風を唸らせる。エンダーは大きく仰け反ってこれを躱す。
上へ突き上げた刀身を、下へと振り下ろす。落雷のような一撃が、エンダーの頭部から股間までを一直線に切り裂こうとした。エンダーは背後へと身体全体を回転させる。一瞬だけ両手をアスファルトにつけている瞬間が生まれた。
ノエルは逃さず、さらに切り込む。再度上へと突き上げられる凶具に、エンダーは適切に対処する。
エンダーの蹴りが、ノエルの一閃を弾き返した。ノエルは驚愕しつつも、すぐに頭で情報を更新した。エンダーは、脚すらも流体鋼で覆っているのだ。
しかし、その武器を与えるきっかけとなったのは、拷問を行った過去のノエル自身だった。
過去の行いに対する報いが、今、ノエルに追いついていた。猛烈な殺意として。
エンダーは翻りつつ起き上がる。瞬間、刃が空中に放たれた。
鋼は、低空を水平に回転して迫る。ノエルはすぐさま跳躍し、回避。
エンダーが一瞬の隙を狙った。かつてノエルとメイベルがドレニア相手に取った作戦のように――宙空にいる相手は重力に縛られ、身動きができないという法則を利用した。
だが、あまりに段違いの反射神経だった。ノエルは刃を跳んで躱すだけだ。それはただの一瞬で、しかもノエル自身最低限の高さのみを跳んでいた。にもかかわらず、エンダーはそこを逃さなかった。
身体が宙空にある間は、身体を支える地面がなく、また力を加えづらい。
エンダーが猛烈な突進を開始。神速とでも言うべき速度に、金髪が尾を引く。
ノエルが咄嗟に刀を前に出す。
エンダーの突きが繰り出される。あらゆる無駄を省き、身体に穴を空けるためだけの一撃。
未だノエルの脚は地面につかない。移り変わる視界に、ノエルは全神経を集中させた。迫り来る銀の煌めきを捕捉し、自身の刃を楯とする。
はたして、凄絶な火花が視界を染め上げた。だが、ノエルの身体は押されていた。エンダーの刃の峰を力点に、ノエルに恐るべき重圧が加えられた。
そこで、ようやく脚が地面についた。だが、全てが遅れていた。ノエルは姿勢を維持できず、ただエンダーの刃の切っ先に突き転がされた。
ノエルは足掻くように転がりながら、エンダーの動きに目を凝らす。今度はエンダーが跳ぶ番だった。その彼の足の裏に、鋭い短剣の列が生え揃っているのが見えた。
ノエルの身体が鉄柵に到達。背中からぶつかり、肺から空気が抜けていった。激痛を堪え、すぐに手を地面につき、脚で蹴る。
だが、やはり遅い。エンダーの全体重が、ノエルの背中にのしかかった。
同時に、針の列が突き刺さった。ノエルの横っ飛びが押さえつけられ、身動きできなくなる。
ノエルが上半身を捻り、刃で半弧を描く。上に乗るエンダーは難なく対応。同じ銀の軌跡で弾く。
そして、エンダーの雷が落とされる。
しかし、ノエルは両手で刃を受けに行く。さしものエンダーが驚愕に目を剥いた。エンダーの刃が、ノエルの両手で止まった。というより、止められていた。あれほど強靱だった刃が。見ると、鋼が溶け出していた。
ノエルの骸冑が、エンダーの骸冑で造られた刀身を分解したのだ。エンダーはそれを理解しつつも、愕然とせざるを得なかった。
ノエルは、この好機を逃さない。受けた両手からとめどなく血が溢れている。それをエンダーに振るい、古典的な目眩ましとする。
同時に刃を再び繰り出す。エンダーは目を瞑りつつも、ノエルの動きを理解し、後ろへと跳んだ。
エンダーの凶悪な足裏の針が抜ける。ノエルは苦痛に吐き気を催しながら、体勢を立て直した。
「やるな、ノエル・ルイン。さすがは亡霊を率いる男」
「どういう意味だ?」
「そのままだの意味よ。貴様が所属していたセインフロド共和国の拷問部隊の名前。それが亡霊だ」
エンダーはその場から一歩も動かず、ノエルに声を掛ける。
「そういえば、貴様はファントムという単語を聞いたことがあったか?」
「あるとも。頭の中で誰かが責務を果たせと呟いている。俺を亡霊と呼んでな」
「――まあいい。結局はビショップのはったりだ」
エンダーが刀を握っていない左手を空へ掲げる。
「貴様もようやく骸冑を使ったな。では、そろそろ趣向を変えていこう」
その手が、どろどろとマグマのように溶け出していた。
今日から完結予定の木曜日まで、毎日投稿となります。よろしくお願いします。




