第23話 選びし道
前回までのあらすじ: マディソンとの死闘の中、過去と姉について思いを馳せるメイベル。だが、マディソンから語られた真実は、彼女の記憶を塗り替える恐ろしい事実だった。燃え盛る炎のような意志と憎悪は、矛先をどこへ向けるのか――。
「私は、あなたたちを許せない――」
姉から全てを奪った者たち。自分から姉を奪った者たち。
ミリィ・ブランシェットが目の前ですすり泣いている。懺悔の言葉が呪文のように繰り返し吐き出されていた。
哀れみは感じなかった。許してやろうという気概もなかった。
残っているのは憎しみと、使命感だけ。
それは、奪わなければという使命感だ。
姉への想いは、そのままメイベルの意志となっていた。
扉が開く、軋んだ音がした。
メイベルは、ミリィ・ブランシェットから視線をそちらに移す。
そこには、血と傷に塗れた剣士の姿がある。
ノエル・ルインだった。
「全部わかったわ」
メイベルは声を掛ける。存外に冷たい声音になった。彼女のただならぬ様子に気づいたのか、ノエルが身を固くする。
「あなたが、お姉ちゃんを拷問したこと――」
ノエルの瞳が揺らぐ。
「あなたが元々セインフロド共和国の兵士だったこと――」
メイベルが四肢を骸冑で覆う。
「あなたが、私の仇だってこと」
電撃を放った。一切の躊躇もない閃光が、ノエルへと殺到した。
ノエルが片手を突き出し、閃火を分解した。それでも、眼前まで駆け抜けた雷に、目が眩む。メイベルは本気だった。
ノエルの視界が暗順応を終える前に、メイベルが再び動いている。
赤い残像がかろうじて見えた。颶風となったメイベルが、ノエルへと手刀を放っている。
ノエルは抜き身で上へと弾く。機械義手と刃が凄烈な火花を散らした。
メイベルが右脚を軸に身体を回す。左の鋼鉄がノエルの脇腹に横薙ぎされる。
ノエルはあえて蹴りを受けた。受け止めながら、腕で挟み込んだ。
しかし、メイベルの猛攻は終わらない。もう片方の脚が爆発的な力を生み出し、跳び上がる。身体を捻りながら放たれた鉄の打撃に、ノエルが首を傾げて回避。その瞬間を見逃さず、メイベルが落下の勢いでノエルの拘束から脚を解放。
さらに、屈んだメイベルが、ノエルの鳩尾に鉄拳を突き上げた。
ノエルが咄嗟に後方へと距離を取った。そうしながら、認識を改めていた。
メイベルは、自分を確実に殺そうとしていた。
「俺は、過去を覚えていない――」
メイベルはノエルへと踏み込む。
「だから、自分は悪くないと?」
メイベルの言葉に、ノエルは何も返せない。彼には、過去がない。思い出と呼ぶべき美しい記憶も、消し去りたい忌まわしい記憶も、どちらも存在しない。
メイベルの問いに答えること。それほど難しいことはなかった。
青い光と共に、槍が発射される。ノエルが刀で叩き落とす。メイベルが脚力を生かして疾走。ノエルの周囲で円を描くように移動。
「覚えていなければ、許されるの? 自分がした行いすら、なかったことにできるの?」
メイベルの移動が、突進へと変化した。地面を蹴りつけ、霞むような速度で迫ってくる。
後退することはできない。メイベルの前傾姿勢は、全ての勢いを前へと突き動かしている。すぐに追撃が来るだろう。
「自分は無垢に生まれ変わったのだと、無関係だと、そう言いたいの?」
ノエルは刃を投擲。彼の初めての攻撃は、メイベルの腕にあっさりと弾かれる。
メイベルの殴打。ノエルは大きく身体を低め、横に転がった。
そこに雷撃が来た。ノエルはどうにか体勢を立て直し、手を間に合わせる。
しかし、やってきた衝撃に突き飛ばされた。
メイベルに正面から蹴られたのだと、かろうじて理解できた。
仰向けに倒れる。
誰かの話し声が聞こえた。だが、聞き取ることはできなかった。
全ての意識が急速に遠ざかっていった。これが裁きなのだという確信があった。自分がした行いに対しての。
「すまない――」
空虚な謝罪だった。ノエルは今、身に覚えのない過去を悔いていた。自分が憎まれることをしたのだと――命を奪われて当然のことをしたのだと、自覚した。
メイベルの顔が、曇り硝子の向こうの景色のように見えた。どんな表情を浮かべているのか。わからないし、見たくもなかった。
首に掛けられた手に力がこもったようだ。機械義手の腕だ、窒息させる前に骨ごと全てを砕くだろう。
意識が奪われていくようだ。そして、奪われた。
●
虚ろな目をして天井を見つめるノエルの上に、メイベルが跨がった。
彼の首に両手をかける。呼吸が乱れていた。戦闘の所為ではない。不思議な昂揚と、緊張と、恐ろしさがあった。
深く呼吸をする。
指の先が、腕全体が、呼吸が、喉が震えている。
ノエルは動かない。これをしてしまえば、もう後戻りはできないということが強く意識された。
あと少しの覚悟が必要だった。メイベルには過去がある。過去の重みがわかってしまっている。だからこそ、ノエルと歩んだ短い記憶の重みにも、臆病になっていた。
彼女は、ノエルを理解できない。過去を持たないという状態が、どういうものなのかを。だからといって、許せるわけもなかった。
姉を奪われたことを、なかったことにしたくはなかった。できるはずがなかった。
呼吸は一向に整わない。むしろ乱れていった。心臓が早鐘を打ち、吐き気が込み上がってきていた。
「私の計画の話をしよう」
マディソンが、側にやってきていた。
「私は、アネモネのような犠牲者がこれ以上生まれない世界をつくりたいのだ。そのために、完全な繊維生物を培養し、繁栄させる。転生繊維で肉体を構成された彼らは人間となんら変わらない活動を行う。彼ら――もとい屍者たちも、人権を手に入れる時代が来るのだ。そのためには、拡張自我式流動粒子炸裂爆弾の素体となったアネモネを取り戻し、彼女の昏睡した意識を利用しなければならない」
「――どういう、こと」
メイベルは息も絶え絶えでたずねる。
「アネモネは現在、非常に希少な存在なのだ。通常の屍者は転生繊維が脳髄の電流パターンを読み取る影響で、ほぼ確実に目を覚ます。そして、今では自我を喪失することはないとされている。だが、彼女はそうではなかった」
メイベルは、動かなくなった姉の姿を思い出す。
「あまりに強い精神的な刺激を受けると、電流の痕跡が脳髄に強く残ることがある。それが拷問の記憶だった。転生繊維がその痕跡を読み取ってしまうことで、行動制御に支障をきたすというわけだ。当時、屍者科学の黎明期には、その解決方法がなかった。アネモネは、未開の技術の犠牲者だったのだ。そして、アンケミア社と私は彼女の特異な意識状態に価値を見出した」
マディソンの言葉は滔々と続く。
「アンケミア社は、外部から電磁パルスを加えて強制的に強力な咒紋を発動させる爆弾として利用しようとした。だが私は、手段は同じだが、別の目的のために彼女を利用する。つまり、彼女の肉体に肉種を植え付け、繊維生物たちの苗床とし、加える電磁パルスのパターンによって繊維に『人間』を学習させるのだ。そうすることで、完全な繊維生物が生まれ、彼らの繁栄が始まるのだ」
「もうやめて……!」
その声が、メイベルとマディソンの間に割って入った。
ミリィ・ブランシェットだった。絶叫に近い声だった。
床に這いつくばり、気力を失っていたはずだった。だが、彼女は今、顔を上げ、涙を流していた。
「わたし、が、わるかったから! 彼を殺すなら、わたしを殺して!」
ミリィは動くことができない。アネモネを爆弾に変えた少女を見たメイベルの内に、何かが湧いて出てきていた。
「誰か……お姉ちゃんを目覚めさせられるの?」
メイベルの問いに答える者はいなかった。ただ泣きじゃくる声だけが聞こえる。マディソンですら、沈黙を保っていた。
「――できないんだったら、邪魔しないで!」
メイベルもまた叫ぶ。そして、ノエルを見下ろし、
(わたし、お姉ちゃんみたいになりたいな――)
彼が未だ意識を失っていることを確認した。
(ごめんね、メイ。もう一回、やり直そう。私の全部を、あげるから――)
覚悟が決まった。ミリィが何か叫んでいるが、聞かなかった。
「さあ、アネモネの妹よ。これ以上姉のような犠牲を増やさないために、全てを終わらせるんだ」
マディソンが自分を見下ろしているのがわかった。その瞬間を待っていた。悲願の達成に、一歩近づく瞬間を。
そして、最後に、目を閉じ、
(すまない――)
喪ったものと、喪われなかったもののために、
(わたし、お姉ちゃんみたいになりたいな――)
雷撃を、放った。
マディソンが驚愕に目を開いた。
包帯の下に稲妻が駆け巡り、全身を掻き毟るようにした。マディソンは低い呻きを漏らし、後ろに倒れかかった。それを何とか堪え、震える脚で立ち続ける。
全身から白煙を上げながら、マディソンは汚泥のような声を放つ。
「メイベル、貴様――」
メイベルが素早く立ち上がり、腕を繰り出している。
マディソンもまた拳を突き出す。しかし、明らかに動作が緩慢で、正常ではないようだった。メイベルの鉄拳に打たれ、吹き飛んだ。
メイベルが再び青い稲光を放とうとする。マディソンはすでに逃げに入っていた。片脚を重く引きずりながら、出口へと向かう。
メイベルはそれを追わなかった。追う必要がなかったのだ。
「私は、お姉ちゃんのような強い女性になりたいんだ。お姉ちゃんのような犠牲者を生み出さないため? 笑わせる。あの人は犠牲者じゃない。勝手に哀れまないで!」
マディソンが振り返って何か言おうとした。だが、青く光り輝くメイベルの腕を見て、転がるように消えていった。
メイベルはそれを見届けた。自分の過去は消えていない。思い出も、忌まわしい因縁も。解消はあり得ないのだ。このような決着のつけ方では。
だがそれでもいいと、今は思えた。炎は未だ消えていない。だが、心の中の姉の姿は燃え尽きてなどいなかった。むしろメイベルの意志を熱く滾らせてくれていた。
(お姉ちゃんなら、こうしたのかな。わたし、お姉ちゃんに近づけてるのかな――)
今はまだ、それすらわからない。
だが、正しい道への一歩を進んだという確かな感覚があった。
今は、それだけでよかった。
メイベルは腕の骸冑を解除する。素肌で、ノエルの頬を勢いを付けて殴りつけた。
ノエルが咳き込み、霞んだ目を開く。
「ノエル、起きて。あんたも過去にけりを付けにいくんでしょ」




