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第22話 真実

前回までのあらすじ: マディソンとドレニア。二体の怪物が、ノエルとメイベルの前に立ち塞がる。互いの存亡をかけた激突が始まる中、メイベルは、過去の亡霊へと思いを馳せていた。その記憶は彼女にとって禁忌であり、安息でもあった。

 (かく)(らん)も、陽動もいらない。ただ、マディソン目掛けるのみ。


 メイベルは、骸冑(アーマー)によって機械化した脚が生み出す(りよ)(りよく)で駆け抜ける。

 そうしながら、腕は青い残光を描き出す。雷撃が発射され、マディソンを食い破らんと奔走した。


 メイベルとマディソンの間に、肉塊が飛び出してくる。もれなく人型だった。形だけでなく、どことなく人間らしさを感じさせる軽やかな動きだった。


 躍り出る人型たちに、電撃が殺到した。彼らがマディソンの盾となっていた。しかし、雷の猛打によって人型は次々とひっくり返る。メイベルは半ば踏みつけるようにして肉塊を跳び越えていった。


「アネモネは妹がいるなんて一言も言ってくれなかったからね、調べるまで君の姓がシュピーゲルであることに気づけなかった」


 マディソンが呟いた。


「なぜアネモネが君の存在を秘密にしたのか――私は、姉が君を無かったものにしたかったからだと考える」


 メイベルが到達した。腕の燐光と共に、槍が放たれる。マディソンが横っ飛びで回避した。

 転がるマディソンに、メイベルが拳を抜き放つ。(かわ)されることを前提としていた。だからこそ、体勢を崩されることなく、マディソンの次なる蹴りに備えることができた。


 横殴りの一撃に、メイベルもまた脚で迎撃した。赤く輝く鋼鉄を素早く回す。その痛撃に、マディソンの脚があらぬ方向に曲がり、ひしゃげる音が鳴った。


「姉はメイベル・シュピーゲルという妹の存在を憎んでいたのではないか。自らの手で母を殺し、兵士に志願する羽目になった直接の原因を……」


 それでも、マディソンは呻きの一つも漏らさなかった。潰れた脚をそのまま地面につけ、悠々と立っていた。痛みを感じていないかのようだった。

 メイベルが次なる一手を仕掛けようと構えたとき、人型たちが押し寄せてきた。すぐさま腕から凄烈な雷光を迸らせた。人型たちをまとめて薙ぎ払っていく。


 沸騰した肉の灼ける匂いが満ちた。その匂いは、メイベルにかつての日々を思い起こさせるものだった。しかし、それらを振り払い、メイベルは進む。


 進むべきだった。進まなければならなかった。


 ノエルを見る。戦車を遮蔽物とし、ドレニアに近づこうとしていた。メイベルもそうしなければならなかった。


 憧れの女性に近づくこと――そのためには、この亡霊を乗り越えなければならなかった。


「わたし、お姉ちゃんみたいになりたいな――」



 何かを手にすれば何かを喪う。

 何かを喪えば何かを手にする。

 いつだってそうだった。

 今までずっとそうだった。

 これからもそうだと思っている。

 そうなることを期待している。


 逃避行の末に辿り着いたのが、この街だった。


 異貌都市。当時はまだ神皇国のみによって統治されていた、屍者(レヴェナント)たちの故郷。


 姉は兵士に志願していた。最も死の危険性が低いとうたわれていた、神皇国を支援する部隊。

 その部隊に所属すれば、家族の生活や地位が保障されるという破格の条件だった。


 数日の検診と、短い座学。少しの訓練。


 その期間中は、姉は帰ってきてくれた。


 しかし、


「――いい、メイ?」


 姉は、戦地に旅立つ前日の夜、少女に言い聞かせた。かつて母を殺したときのように、抱きしめながら。


「しばらく会えないけど、大丈夫。与えられるものは全部与えたつもり。メイは、立派だよ。それに、時間があるときは通信を繋げてあげるから……。だから、泣かないで。あなたは、もうお姉ちゃんよ――」


 姉が消えてから、少女は気づく。


 姉を表すものが、家のどこにも残っていないことに。

 つまり、姉の私物が一つも見つけられなかった。


 もはやかつての朽ち果てた一室ではなかった。小綺麗に整えられている。窓からは陽射しが入ってくる。夜は明かりを点けても点滅しないし、水道からは透明な水が出てくる。


 にもかかわらず、この満たされない想いは何なのだろうか。


 毎月の仕送りと、毎夜の通信。


 月日だけが流れていった。


 変転。


 姉が帰ってきた。


 物言わぬようになった状態で。


 敵に拷問されたらしかった。それで、精神を喪失したらしかった。


 軍人が言っていることに、メイベルは耳を傾ける。そうでもしなければ、今にも死んでしまいそうだった。


 少女が思い出したのは、母の姿だった。母が病院にいた頃を(ほう)彿(ふつ)とさせたのだ。虚ろな目で、身じろぎの一つもせず、呼吸をしているだけ。

 姉の身体は傷一つ無かった。そのことについてたずねたとき、初めて姉が屍者になっていたことを知った。


 少女は、何をすれば姉の目を覚まさせることができるだろうかと考えた。


 そこで、少女は気づいた。


 自分にも何も残っていないということに。


 何かを手にすれば何かを喪う。

 何かを喪えば何かを手にする。

 そう思っていた。


 だが、姉がくれたものを――少女が手にしたものを、少女は返すことすらできなかった。姉を喪ったとき、何も手にするものはなかった。


 姉は全てを少女に与え、やがて全てを喪った。

 少女は何もしてやることができていなかった。



 (きよう)(りよう)に足を着けた直後、ノエルは通信を入れていた。


「メイベル、今からドレニアを潰す。落下物に気をつけておけ」


 言い終えるやいなや、ノエルは走り出す。無数の糸鋸が下から駆け上がってきていた。鉄骨や鉄パイプや鋼板が切断されていく。


 ノエルもまた、同じことをしていた。後ろの床を次々と切り落としていった。

 そうしながら、


「――メイベル?」


 応答がないことに気づく。

 階下で鳴り渡る轟音に掻き消されているわけではなかった。音声波形は跳ねることもなく、そもそもメイベル自身の反応が遠ざかっていた。


「ドクター、メイベルは大丈夫なのか!」


 ドクターに通信を繋げ直すと、


《え……どういうこと? 二人は別行動しているわけじゃないの?》

「違う! メイベルが応答しない!」


 ノエルが通路を切断し、ドレニアの頭上から落下させる。


《メイの場所を送る! すぐに追って!》

「わかった――」


 ノエルが高速で忍び寄る殺意に気づき、すぐさま隣の(はり)に飛び移る。

 不可視の凶具は虚空へと消えていった。


 体勢を立て直しつつ、敵を視認。


 この世の終わりのような轟音が、階下で薄れていく。

 ノエルと同じ目線の高さに、影が降り立っていた。


「この程度で死ぬわけにはいくまい!」


 切断魔ドレニア・アルクーネの姿が、通路に(たたず)んでいた。


「……不死身か」

「天井に巻き付けておいた糸を伝って上っただけだ。この世に不死など存在しない!」


 再び空間が眩くなる。


(ここでは分が悪い……)


 ノエルは周囲を確認する。(はり)という限られた足場の上では、糸を回避することが至難の業となる。他へ飛び移ろうにも、空中に留まる瞬間を狙われれば一巻の終わりだ。


 かといって、さらに上の足場へ上るのも危険だった。ドレニアの糸があれば、通路を無視して上へ回り込むことができてしまうからだ。


 それに、メイベルを追わなければならなかった。


 そのとき、爆裂が起こった。


 目も眩むような光が放出。場所は、ノエルとドレニアの頭上だった。離れている二者をくまなく覆い尽くせるほどの爆発だった。橙色の(はな)(びら)が開き、黒煙を噴き出しながら膨れ上がっていった。


 鼓膜を震わせる炸裂の音と爆風が押し寄せる。


 そして、遙か頭上から大量の瓦礫が降り注いでくる。火炎の尾を引く流星群のように。


(何だ――!)


 誰がこれを引き起こしたのか。それを考えるのは後だった。ドレニアについて考えるのさえ。

 この好機を逃してはならない。


 すぐさま床に飛び降り、連鎖的な爆砕を躱していく。ノエルが切り落とした鉄骨、戦車や飛行船の残骸にすら、戦火が注がれる。


 (まつた)き炎が吹き荒れる倉庫地帯から飛び出した。すぐさま端末を確認。地図を映し出す。


 ――メイベルを追わなければ。

 休み暇はない。ノエルは火傷と裂傷にひりつく身体に鞭打ち、走り出す。



 マディソン・モートの声が、虚ろに響き渡る。


(ノエル・ルインだ――)


 メイベルの目の前には、少女がいる。


 かつての自分の姿。物言わぬようになった姉を目の当たりにし、どうしてよいかわからなくなっていた自分。

 姉と共に衰弱していくのもありだと思っていた。この小綺麗な部屋の隅で、ゆっくり死んでいくのも。


 母が少女の胸から去り、姉も去ろうとしていた。そして、自分の価値すら、なくなってしまいそうだった。


 何度も話しかけた。何度も姉の側で、独りで泣いてみた。そうすれば、起き上がって、優しく抱きしめてくれるのではないかと思っていた。淡く、浅はかな希望だった。


 そして、その日がやってきた。


 雨の日。かつて母が消えた日と同じような天気。


 その日も、メイベルは姉の側で気を失った。このところ、寝具で眠ったことがなかった。気がつけば泣き疲れるあまり眠ると言ってもよかった。


 焦げ臭さと熱さに目が醒めれば、辺りは火の海だった。あらゆるものが赤く盛っていた。熱風に火の粉が乗って、肌を掠めていく。炎が弾ける音と、黒煙。咳が止まらなかった。


 そして、涙が零れた。


 目に煙が入ったからではなかった。この世の理不尽に対する悲嘆が結晶化したものだった。今だけは――最期くらいは、命一杯嘆こうと思った。もはやそれしかできそうになかったから。


 姉はこんな状況でも何も言わない。ただ苦しげな呼吸をする姉に寄り添い、泣きじゃくった。


 希望も、心も、身体も、絶望ですらも焼き尽くされた後。


 メイベル・シュピーゲルは、何の因果か、屍者として蘇った。


 かつて母親が喪った四肢に、機械を発露させることのできる骸冑(アーマー)を手に入れて。


 メイベルの目の前には、少女がいる。


 彼女の名前はミリィ・ブランシェット。銀糸のような髪をした、やつれた少女だ。


(最初に姉を殺した者の名を、ノエル・ルインという。今でこそ彼は記憶を喪って、あたかも神皇国の屍者のように振る舞っている。だが、実際は違う。彼は生前、セインフロド共和国の兵士だった)


 目の前のミリィは怯えていたし、泣いていた。


(ノエル・ルインたちは、アネモネと、私と、エンダーの所属していた部隊を襲った。(くう)(てい)部隊の爆撃には、屍者ですら(かな)わない。吹き飛ばされたアネモネとエンダーが拷問された。私だけが炸裂を免れ、逃げ延びた)


 メイベルの心は冷えきっていた。冷たい荒野のようだった。


「彼女だ」


 メイベルの隣で、マディソンがミリィを指して言う。


「ミリィ・ブランシェット。彼女がアンケミア社で拡張自我式流動粒子炸裂爆弾の開発を主導した。アネモネが素体として選ばれたのは、彼女の骸冑(アーマー)が大量破壊にうってつけのものだったからだ。それゆえに、君たちの家は焼かれ、アネモネは運び出された。つまり、二度目にアネモネを殺したのはアンケミア社と、ミリィ・ブランシェットだ」


 ついに真実に辿り着いた。だが、メイベルの気分が晴れることはなかった。むしろ黒い(おり)が腹の底に溜まり、今では溢れかえりそうになっている。


「私の相棒が姉の精神を壊し、私が助けた子が姉を爆弾に変えた――」


 突然、悟った。自分と姉は喪ったのではなく、奪われたのだと。


 気づいた瞬間、憎悪の炎が脳裏にちらつき始めた。もはや全身を灼くような幻肢痛(ファントム・ペイン)はなかった。ただ、自分たちから何もかもを取り上げた悪魔(デーモン)たちに報い、取り戻したいという想いが、熱く滾った。


 その劫火の向かう先は、とっくに決まっていたのだ。

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