第16話 凶徒たちの祝祭
前回までのあらすじ: ノエルとビショップの間には、見通すことのできない因縁が潜んでいる。その確信を胸に臨んだ語らいで、ノエルたちは真相に一歩近づいた。そしてついに、会談の場にスロベルク帝国のミナルト・ズズィ大臣が到着する。ビショップと大臣による、互いの隠された目的のための対話が始まるとき、メイベルもまた、アネモネと呼ばれる爆弾の正体を掴もうとしていた。
神皇国と帝国の権威の一団が、豪奢な両扉の向こうに消えた。扉が固く閉じられた。中の様子はもう見えない。
メイベルはすぐに扉に顔を近づけ、耳を当てた。
「聞こえるのか?」
「……無理ね」
メイベルは明らかに落胆し、向かいの壁にしな垂れかかる。
「ビショップについてわかったことがいくつかある」
メイベルがいつまで経っても気にする素振りすら見せないので、ノエルから口火を切る。
「奴は、俺から記憶を奪った後に名前を与えた。だが、この街に送り込んだわけではないらしい」
「……そう」
メイベルの反応は薄かった。俯むき気味で、垂れ下がった赤髪が表情を隠していた。
「……泣いているのか」
「馬鹿じゃないの。あんたの前で泣くわけないでしょ」
メイベルの強気な紅い眼差しが、ノエルに投げかけられる。
「あんたこそ、ずいぶん反応が薄いじゃない。ビショップが自分の過去を知っている可能性があって、さらに記憶を奪ったことが確実なら、もう少し喜ぶとかしなさいよ」
「喜ぶ……?」
「知りたくなかったの? それなら、もしくは怒るとか」
ノエルは虚空を見つめ、そのときを待ってみる。自分の過去を奪われた意味を、考えてみる。
「な、何よ。急にぼうっとして」
怪訝そうな顔をするメイベルに、ノエルはかぶりを振る。
「――駄目だ。何も感じない」
「呆れた。もう何もしないでちょうだい」
そのとき、メイベルの端末が鳴った。繋げると、音声通信だった。
《……であるから、やはりレキュロス連邦に対しては断固とした姿勢を貫くべきと考えます》
ミナルト・ズズィの声だった。
メイベルは、思わず閉ざされた扉を見る。一体誰が通信を繋げているのか。おそらくビショップだ。
《連邦内で、そちらへの侵略を声高に叫ぶ強硬派が勢力を強めているのは重々承知です。彼らの病理的なまでの暴走は、連邦領土内の鉱産資源の枯渇に端を発しています。もちろん、いかなる理由があろうと侵略が認められはしませんが》
ビショップの応答。レキュロス連邦で内部工作を仕掛けておいて、この言いようである。
《では、都市軍による、神皇国と帝国共同の軍事演習を行うことに、同意していただけますか?》
《――ですが、都市軍を動かすことについては慎重にならざるを得ません。まして、屍者の部隊を運用する際には》
ビショップの声質がいつもと違った。威厳に満ちているというか、重々しさを伴っていた。今までの飄々とした感じはどこにもなかった。
ミナルト・ズズィが食い下がる。
《屍者の軍勢の威力を見せつけることで、連邦を後退させることができるはずです》
《いえ、問題は連邦ではないのですよ》
《……市内で起こっている、例の事件ですね?》
一瞬間が開く。ビショップが頷いたのだろう。
ビショップが応える。
《今の都市軍に、神皇国と帝国の連携が成立するとは思えません。互いが互いの腹の底を探り合い、水面下でいがみ合っている。そして、極めつけが帝国派筆頭であるアンケミア社の研究所の壊滅です》
《わかっています。軍部の兵器開発に参画し、資金を提供している巨大企業の混乱。それに関与したマディソン・モートの追跡に、我々も尽力しています。こちらとあなた方の利害は一致しているはずです》
《それは、どのような点で?》
《そちらは帝国派と本土から掛けられた嫌疑を晴らしたいはずでしょう。こう言っては何ですが、我々には碧海と聖地リヴガルドがある。あなた方が信者たちを敵に回し、天然瓦斯の主要輸入先を潰すような愚は犯さないと信じていますが》
しばし沈黙が続く。メイベルははじめ、通信が切られたのかと思った。だが、どうやらそうではない。
《……申し上げにくいのですが、私個人は、あなた方帝国を疑っているのですよ》
《どういうことですか》
ミナルト・ズズィは断固とした口調になる。
そして、ビショップが切り込む。
《あなた方帝国の中に、都市の帝国派屍者を破壊して回る黒幕がいるのではないか、ということですよ》
《――馬鹿な》
ミナルト・ズズィが愕然と呻いた。
――俺たちは帝国を憂う。神皇国に服従する帝国に、未来はない。今まで俺たちが終わらせてきた帝国派の屍者たち、そして操られた者たちは、必要不可欠かつ尊い犠牲だったのだ。彼らも帝国のためだったのだから、本望だろう。
ノエルとメイベルは、研究所にいた金髪の男を思い出す。ノエルが過去に殺したという男の言葉を。
《一体なんのために》
ミナルト・ズズィの口調に怒気が混じっている。しかしビショップは動じない。
《私たちが帝国派の屍者を破壊している――ということにしたい者たちがいるということですよ。激烈に神皇国を憎む帝国派か、ただ渾沌を創り出したい凶徒か。私にはある程度見当がついていますがね》
《何ですと》
ミナルト・ズズィはビショップに圧されていた。ビショップの発想の飛躍と思わせぶりな言葉に、威勢と理智を奪われているようだった。
《ズズィ大臣……私に任せてくれませんか? 私たちとしましても、事件の容疑者扱いは本意ではありません。そして、連邦の侵略も然り。加えて、異貌都市の混乱も避けたい。これら全ての問題を一挙に解決する秘策を使いたいのですが、そのためには、そちらの協力が不可欠となります》
《――その秘策を使うのは、そちらの提示する条件を我々が呑めた場合のみ、ということですな?》
《私たちが望むのは、そちらが開発したとある兵器を、こちらに引き渡してもらうことです》
一瞬、間が空いた。
《兵器、ですか》
《ええ。拡張自我式流動粒子炸裂爆弾のことです》
メイベルの全身が総毛立った。全神経を耳に集中させる。
《何ですか、それは。我々は知らない》
《ああ。こう呼ぶべきですか――アネモネ、と》
《――我々は》
《アンケミア社が極秘裏に開発していた大量破壊兵器ですよ。変性意識状態の生きた屍者に外部から特殊な電磁パルスを加えることで、骸冑に無際限の重水素と負ミューオンを生み出し、核融合を起こす。異貌都市全域どころか、周辺の郡部にすら破滅の嵐をもたらす最悪の兵器が、異貌都市に存在しています》
ビショップのたたみ掛けに、ミナルト・ズズィは息も絶え絶えといった様子で言葉を返す。
《我々が所持しているという証拠は……》
《ミリィ・ブランシェット》
ビショップが最後の審判を告げる。有無を言わさずに断定する。
《アンケミア社に拾われた孤児にして、十六歳の天才科学者。帝国派からは『祖国の陰なる女神』と呼ばれている少女が、開発を主導しました。そして、アネモネは過激な帝国派によって構成された〈死の舞踏〉に、秘密裏に配備されました。ことは全て帝国派によって為されました》
メイベルの息が止まる。ノエルですら驚愕に固まっていた。今しがた明かされたわけのわからない事実に、猛烈な思考を巡らせていた。
《だったらそれは、帝国派の暴走です。我々帝国本土は関与していない》
《でしたら、協力をお願いします。帝国本土が一切関与していないという潔白を証明するためにも》
大きなため息。それは、明らかに震えていた。
《……双方が双方に向ける疑いを晴らすことで、初めて手を取り合えると?》
《そうです》
《……アネモネをそちらに引き渡した場合、屍者連続破壊事件は収束するのですか? それとも、アネモネという武力を帝国派から奪うことで、軍事力の増強を図ろうと――》
《アネモネと事件は深く繋がっています。おそらく、全ての黒幕もまたアネモネを狙っている。先日のアンケミア社への襲撃は、管理者権限の起爆コードを盗み出すためのものだったのでしょう》
《ならば黒幕は、すでに起爆コードを入手しているのでは?》
《アネモネの起爆コードは、ごくわずかな人物の記憶の中と、遺伝子の中にのみ存在しています。襲撃者たちは施設のどこかに保管されていると考えていたようなので、おそらく見つけられていないはずです》
《そうですか……》
ミナルト・ズズィは安堵の息をつく。
《……わかりました、サイロ議長に伝えましょう。我々が関与していないという証拠があれば、軍事演習を行えるのならば》
《こちらも、都市軍を洗い直します。〈死の舞踏〉の動向には、特に目を光らせて――》
《その必要はない》
ビショップを遮ったのは、ミナルト・ズズィの言葉ではなかった。だが、ノエルとメイベルには聞き覚えがあった。最悪の印象として、記憶されていた。
《だ、誰だ!》
ミナルト・ズズィの悲鳴。扉の方からも聞こえた。
《俺か? 貴様らの話に上っていただろうが。なあ、ビショップ?》
《そうか――〈死の舞踏〉か》
くつくつと笑い声が聞こえる。
《そうだ。俺はエンダー・ゴート。〈死の舞踏〉の部隊長だ》
ノエルはすでに動いている。流体刀を起動し、長大な刀身を形成。同時に、扉を一撃で蹴り破る。
一室へと転がり込む。
「そうか、貴様もいるのか、ノエル・ルイン!」
エンダーの声は、歓喜しているかのようだった。
碧く輝く瞳。金色に結われた長髪。二度目の邂逅だった。
ノエルが刀を構える。ミナルト・ズズィは腰を抜かして椅子から転げ落ちている。ビショップですら腰を浮かせている。
そして、この場にもう一人いた。その男は、隻眼だった。黒い眼帯を右目に着け、酷薄な笑みを浮かべてエンダーの隣に立っている。深い青の背広を着込んでいて、悠然とした紳士に見えなくもない。
「こいつが気になるか?」
エンダーが背広の肩を叩く。
「〈死の舞踏〉の切り裂き魔、ドレニア・アルクーネだ」
そのとき、メイベルが部屋に飛び込んできた。同時に、右腕の義手が青い残像を残す。金属の槍が豪速で発射される。
瞬間、刹那の間、エンダーとアルクーネの周囲で何かが煌めいた。
かと思えば、槍が宙空でぴたりと静止した。
「なっ――」
メイベルが言葉を失う。発射された槍は、音も勢いも失い、卓の上の虚空で動かない。
「惜しかったな。ドレニアは至高の暗殺者だ。貴様たちは、この厳かな会談の場にこの男が現れたことの意味を考えるのだな」
エンダーが悪夢の始まりを告げる。
「全てを切り刻め、ドレニア・アルクーネ!」
ノエルが空間に揺らめくものを感じ取った。
「全員、頭を下げろ!」
ノエルはメイベルを突き飛ばすようにして部屋から転がり出た。
風が吹き荒ぶ音がした。いや、風が切り刻まれる音だった。
ビショップが椅子を蹴り飛ばして床へと這いつくばる。ミナルト・ズズィも床に尻餅をついていた。
卓の上の杯や皿や植物やらの破片が、一気に飛散した。壁が汚されると同時に、無数の線が一挙に刻まれた。まるで鉤爪のような傷痕が。
そして、卓が横倒しになった。というよりは、いくつかの物体に分断されてゆっくりと崩れ去った。
「――糸か」
ノエルは理解する。
極細の糸鋸を部屋に張り巡らせ、それを高速で動かすことで、あらゆる物体を易々と切断するのだ。光っていたのは、その糸だった。メイベルの発射した槍を静止させたのも、蜘蛛の巣のように張り巡らせることでクッションとして受け止め、威力を減衰させたのだろう。ということは、切断だけでなく、その強度を生かす使い方もあると考えるべきだった。
「ドレニア、俺たちの目的は後でいい。ミリィ・ブランシェットも手に入れられそうだしな。まずはそのための時間稼ぎだ。存分に力を振るえ」
「――仰せのままに」
ドレニアが歩きだす。身体をぶるぶると震わせたまま動けずにいるミナルト・ズズィと、ビショップを素通りした。隻眼が、ノエルとメイベルを見つめている。
「ミリィ、ドクターに連絡を入れてくれ」
ノエルが近づいてくる敵を見据えたまま告げる。
「ミリィと、ドクターが危ない。こいつらは俺たちをここに留めさせ、その間にミリィを奪うつもりだ」




