第13話 黒い者たちの不敵な微笑み
前回までのあらすじ: 神皇国の皇都・ミュースクスで、最高評議会の権威者たちが動きだす。彼らの見据える先は、屍者連続破壊事件で揺れる異貌都市。アネモネの真実を追求するメイベルと、アネモネに救われた過去を持つドクター。そして、「アネモネ」と呼ばれる謎めいた爆弾を開発していたミリィ。過去が交錯する異貌都市に、黒い僧正が襲来する!
明くる朝、メイベルは規則的な機械音に叩き起こされた。
遮光幕を開けると、ほとんど夜中の闇が広がっている。まだ霞んでいる思考で、考える。少し時間を要した。
「目覚まし時計の設定、間違えたかな……」
未だ枕元で鳴っている機械音を止めようとして――気づいた。音源は枕元の机ではない。
メイベルは右腕を見下ろす。手首に填められた端末兼腕時計が、ひっきりなしに着信を伝えていた。
それから、今の時間を確認して、怒りが湧いてくる。
「もう、こんな時間に誰なの!」
メイベルは端末を操作する。相手はドクターだった。
「何で起きてるのよ……」
渋々通信を繋げた。立体映像は立ち上がらない。音声だけが聞こえてくる。
「何、ドクター? こんな朝だか夜だかわからない時間に……」
《メイベル・シュピーゲルだな?》
「――誰」
メイベルは反射的に四肢に骸冑を形成しそうになった。
男の声はざらついていた。声紋による正体の露呈を防ぐためだった。その奇妙に人工的な声音の中にも、凍てつくような冷酷さと重圧が存在していた。
《確認だ。そちらはメイベル・シュピーゲルだな?》
「そうですけど? あなたの名前は? なぜドクターの番号からかけてきているの?」
様々な事態がメイベルの頭に瞬時によぎった。最悪の事態がいくつか考えられた。
《安心しろ。そちらの所長に何かしたわけではない。これはただの暗号通信。所長の番号に偽造しただけだ。言うまでもなく、こちらは探知されると困るのでね》
おそらく逆探知しようにも、最終的にオフィスに行き着くに違いない。つまり、相手の場所も、相手の正体も特定不可能。
「――何が目的?」
《話が早くて助かるな。今日、バスターズ・オフィスの面々には、市庁舎に来てもらいたい》
「市庁舎に……?」
《詳しくはそこで話をさせてもらう。受付で「僧正」の名を呼び出してくれ》
「僧正ね。時間は?」
《受付が開始したときに着いていればいい》
「……変更はできないの?」
午前中は中央警察署で記憶捜査が行われる。
《変更は許されない。来ないならば、これから先、一生背中に気をつける羽目になる》
「……全員で行かなくては駄目かしら」
《全員で来る必要はない。貴様と所長だけで充分だ》
――この男は、少なくともノエルを知っている。
メイベルはそう考えるべきだと思った。ほんの少し前まで、バスターズ・オフィスには、ノエルも、ミリィもいなかった。にもかかわらず、全員で来る必要はないと言った。ドクターとメイベルだけで充分だと言った。
ドクターとメイベル以外にバスターズ・オフィスが所員を抱えていることを、この男は知っている――。
「……なんで私に通信したの? ドクターに通信すればよかったのでは?」
《貴様なら確実にこの話に食いつくと思ったからだ》
「今のところの私は、できれば行きたくないのだけれど」
《貴様の姉について、こちらが知っていることがあるとしても?》
メイベルは彫像のようにその場で固まり、動かなくなった。
《知りたければ、素直に市庁舎に行くことだな》
通信が切れた。
メイベルは寝具に腰掛け、深く息を吸い込んだ。とっくに眠気は吹き飛んでいた。
空は白み始めている。鳥の鳴き声が窓の外から聞こえてくる。
深く息を吐く。吐息が橙色の熱を帯びていた。
●
「何しているんだ?」
ミリィ・ブランシェットは、はっとした。巨大な水槽の中に浮かぶ生体組織を眺めていた。いつからだろう。どれぐらいこうしていた?
ミリィは振り返る。昏い目をした黒い男がこちらを見下ろしている。その目に見つめられた瞬間、ミリィは無意識に身体がすくむのを感じた。
「ドクターとは仲良くやれそうか」
ノエルがミリィの横に立ち、水槽を見つめる。特におもしろいものなどないはずなのに。返事をしなければいつまでもそうしていそうな雰囲気があった。
「……はい」
「そうか。ドクターの専門は屍者記憶制御学だ。確か君は行動制御学の天才だったな」
「何で知ってるんです?」
「君の幽閉されていた第一屍者技術開発研究所の捜査が行われている。そこのデータだ。アンケミアは企業秘密だとして猛烈な非難を警察に浴びせているが……」
「幽閉じゃ、ないです」
「ああ……すまない」
ノエルは水槽から離れた。
「私のこと、どこまで調べましたか?」
ミリィは怯えを無視してたずねる。いずれ聞かなければならないことだった。いつか、自分の研究はメイベル・シュピーゲルにも露呈するだろう。
そのときは、ここにいられないだろう。
ノエルが腕の端末を操作し、立体光学映像を立ち上げる。
「君の研究については調べさせてもらった」
ミリィは両拳を握りしめていた。膝が震えそうになるのを堪えた。この期に及んで、まだ居場所を喪いたくないと思っている自分に憎悪すら覚えた。
「三年前に擬感骸冑を開発したという話だったが……それは何だ?」
ミリィは教えてやることにする。今なら何でも喋る気になっていた。
「流体電気が流れる転生繊維の回路を、最大限拡張する技術です」
「流体電気?」
ノエルが首を傾げる。ミリィが驚きに目を丸くする。声が少し跳ねた。
「知らないんですか? 屍者の表皮を流れる特異な電気信号ですよ。ノエルさんは、屍者なんですよね?」
「俺にはそういう知識がない」
「流体電気は脳活動によるわずかな電位変化で無限の配列をあらわします。その配列規則によって空気中の粒子は自在に変質するんです」
「……つまり骸冑は、流体電気と粒子が反応したもの、なのか」
「そういうことです。流体電気は転生繊維と融合した脳系統の活動によって生まれ、屍者の表皮にのみ流れるのです」
「皮膚を覆うから鎧なんて呼ばれるのか……」
ミリィはいつもの癖で白熱するのを自覚していた。大きな黒板にまで歩いていき、白いチョークを手に取る。
「流体電気は屍者の『意思』そのものとも考えられています」
ミリィは簡略して人間の身体を書く。
「理由は二つ。一つ目が、屍者は骸冑を形成したいと思ったときに流体電気を身体に流すことができるから。そして二つ目が」
ミリィは指で擦って人体の右腕を消した。
「流体電気は、普段強く意識・知覚しない人体の部位には流れないから。口腔や目の粘膜に、流体電気は流れないということです。つまり、流体電気は屍者の意識と密接にかかわっていると考えられます」
「なるほど……」
ミリィはノエルを振り返る。
「擬感骸冑の研究は、そういった知覚強度の低い部位に、骸冑を形成することを促す技術です。それだけでなく、右腕の再生能力を失った屍者に擬感骸冑の技術を施せば、骸冑として右腕を再生させることができるのです」
ミリィは我を忘れて語っていたことに気づき、顔を赤らめる。
「すみません、理解できましたか?」
「大体は」
そこで、ノエルの口元が歪んだ。ミリィはあり得ない者を目にしたように、思わず「え」と声を出していた。
「やはりドクターとは気が合いそうだな」
ノエルは薄く笑っていた。
「そ、そうですか?」
「ああ。その調子なら、負けん気のメイベルの戦意すら削ぐドクターの熱弁を、黙らせることができるかもしれないな」
ミリィがどう反応したものかと思案したそのとき、ノエルの端末が鳴った。
●
市庁舎の三階。ノエルとミリィをオフィスに置いて、ドクターとメイベルは長い廊下を歩いていた。二人の先を行くのは、案内係だった。
ドクターはこんな時でも薄汚れた白衣姿だった。受付では不審がられた。
「……心配だわ」
思わず呟きが漏れる。
「何が?」
メイベルはドクターの無頓着さに呆れと怒りを抱く。
「ノエルとあなたに、よ」
「ノエルがどうかした?」
「……あの男をミリィと二人きりにしたらまずいでしょ」
「……一体、君とノエルの間に何があったの?」
「私は……ただあの人を信用してないだけ」
それっきり、メイベルは思考からノエルを追い出す。今はこの先に待ち受ける予定にのみ集中するべきだった。
お姉ちゃんの何かがわかる。そのことに期待している自分と、恐れを抱いている自分が混在していた。
姉はどこに消えたのか。それがわかってしまえば、自分を保つことができなくなるかもしれない。そんな予感がしていた。
それでも、進むしかない。真実を知るために。
「ドクターはこの呼び出しを、どう考えてるの?」
メイベルは声を低めて聞く。ドクターの表情も一転して真剣味を帯びる。
「まず、市庁舎に呼び出した理由だけど、きっと向こうは、こちらに危害を加える気はありませんという意思表示をするためだと思うよ。まさか市庁舎で騒ぎを起こすわけにはいかないだろうし。ただ、そうなると心当たりが少なくなる」
「というと?」
「はじめ、ぼくはアンケミア社の呼び出しかと考えた。君とノエルが研究所に通報があったとはいえ、無断で入り込んだことについて、尋問と口止めがあるのかと。でも、だったらなおさら市庁舎に呼び出すわけはないし」
「なるほど……」
メイベルは感心した。意外にも、ドクターは彼女なりに考えているようだった。
そこで、二人の会話は途切れた。
「こちらです」
案内係が扉の横に立つ。扉をノックし、中に声をかけた。
「話してみるしかないよ。どうせ退路は断たれてる」
ドクターが楽観的な声を出すが、それが彼女なりの励ましであると、今のメイベルなら見抜くことができた。
扉が開かれる。
二人は、意を決して一室へと足を踏み入れた。
ただの応接室だった。そこに、すでに二人の人間がいた。
一人は大きなソファに身体を預けている。その斜め後ろに、白髪の老人が立っている。まるで主人と召使いのような関係に見える。
「やあやあ、来てくれてありがとう」
ソファにゆったりと腰掛ける黒衣の人物が、朗らかに言った。
何もかもが判然としない人物だ。性別も、年齢も。不可思議な魔力でも加わっているかのようだった。だまし絵のように、男性と女性、どちらにも見えるのだ。
「どうぞ、腰掛けてくれ」
ドクターとメイベルは何も言えずに向かいのソファへと移動した。言葉が出てこない。この人物が放つ異彩の空気に気圧されていた。
「私のことはビショップと呼んでくれ」
ビショップは背中をソファから離し、こちらに身を乗り出してくる。心底愉しそうににこやかな笑みを浮かべ、
「まあ、まずは本題に入る前に、おもしろくない世間話でもしようか」
不穏な提案をするのだった。




