第12話 踊る皇都、進む兵士
前回までのあらすじ: 屍者として復活したミリィ・ブランシェットは、自分の状況を受け入れられず、自暴自棄になっていた。同じく、過去に全てを喪った後に屍者となったメイベルは、少しでも支えになろうとする。そのとき、メイベルの姓がシュピーゲルであることを知ったミリィは、自分の事件にただならぬ因縁が潜んでいることを感じた……。
そして、ついに事件は異貌都市を越え、神皇国の首都で底なしの陰謀が産声を上げる――!
皇都ミュースクスは、最高評議会。
エデノア神皇国の国旗が頭上に掲げられ、その下には擂り鉢状の議場が広がっている。並ぶ議席に揃い踏みする、名だたる碩学の戦士たち。
文官と武官、内閣大臣たち、官僚たち。エデノア陸軍・海軍・空軍を統べる将軍たち、それに連なる上級軍人たち。
疲れ切った顔をした重臣たちの周囲では、秘書官が行き交い、状況と戦局を逐一伝えている。
混迷を極めた議場には、品の欠片もない罵声と、互いを説き伏せるための怒号が飛び交っていた。
「聖地リヴガルドを領有し、各国から巡礼者と厚い信仰を集めるスロベルク帝国を敵に回すことは賢明とは言えません。異貌都市に象徴される友好路線を維持すべきです」
「帝国を敵に回すことなど今に始まったことではない。いざとなれば神皇国側の都市軍を出撃させればいい。亡霊たちの肩慣らしにしてはちょうどいい。もし都市の帝国側が反攻しようものなら、条約を破ったのは向こう側になる」
「屍者を他国に放とうものなら、各国から非難が集中するのは必至。ただでさえ、今もセインフロド共和国の植民によって反政府組織が急進しているというのに。彼らを増長し、また各国からの援助を促すような愚を犯してはならん」
「だったら、何のために屍者は幽閉されている? 飢えた猛獣として解き放つためでしょう?」
「また、スロベルク帝国に対する返答いかんによっては、レキュロス連邦が碧海へ侵略を開始するでしょう。それについてはどうお考えで?」
「些末な問題だ。ここであえて帝国と協力して都市軍の力を見せつけ、帝国に恩を売っておくのもいいだろう」
「否、舌先三寸の連邦が、我々の連携を黙って見ているはずがない。奴らはすでに、何か仕掛けを施してきているはずだ――」
様々な派閥が互いの主張を押し通すことに必死になっている。
議場の奥、一際高い段上には玉座が鎮座している。神皇エスラムタニアⅥ世が座しているが、御簾に隠れてその顔を拝むことはできない。ただ、圧倒的な重圧をもって議場を睥睨しているのが感じられた。
玉座の四段下には、他の重鎮よりも際立って異彩を放つ戦士たちが、横一列に並んで座っている。まるで神皇を守護する騎士のように。席は玉座の左と右側にそれぞれ三つずつ、計六つがあった。
そのうち、この場にいる四人は、全員が黒衣に身を包んでいた。金色の装飾により、厳かな印象を抱かせる。残りの二人の席は空いていた。
四人は、議場を見渡しているようでいて、そうではなかった。彼らは、彼らの手許に隠れて表示された立体光学映像と指向性の音声にのみ意識を傾けていた。
手許には、横一列に座っている四人の顔が、四分割された画面に表示されていた。
《つくづく思うが、神皇国も落ちぶれたな》
KINGがため息をついた。豊かな白い髭を整え、老眼鏡をかけている年老いた男だ。だが、その目に宿る黄金の輝きは、朽ち果てることのない力強さに満ちていた。
《そうですね、会議は踊りすぎですし、その割に進まなすぎです》
KNIGHTが即座に茶化す。金髪碧眼の好青年といった風貌だ。
《PAWNはどう思います、この戦局を》
KNIGHTが話を振る。PAWNと呼ばれた雪のように白い髪をした好きとおつような少女は、背筋を伸ばす。
《あはは、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ》
《はい……やはり、レキュロス連邦は神皇国と帝国の分裂を目論むと考えます。碧海の港湾都市・アザンに攻め込むためには、異貌都市が邪魔になりますので》
PAWNの進言にKINGが腕組みをする。
《問題は、手段だ。どのようにして我々の結束を断ち切り、異貌都市の屍者たちを排する気なのか……もう一度市長を呼び出すか》
《BISHOPはどうお考えですか?》
KNIGHTが、この場にいてまだ言葉を発さない四人目に声をかける。
《……BISHOP?》
《おもしろい》
BISHOPがくつくつと笑った。中性的な風貌で、年齢も捉えどころのない人物だった。女性にも見えるし、男性にも見える。少年のようにも、少女のようにも。
《BISHOP?》
《三人とも、おもしろいことが起こった。私は今すぐにここを発つ。後の職務はROOKに任せる》
《彼はここにいないだろう。後でどやされても知らんぞ》
《だったらPAWNに頼む》
《私、ですか……》
《何の話ですか? 何が起こったというんです?》
KNIGHTの問いかけに、BISHOPはすでに腰を浮かせつつ微笑む。
《私が潜り込ませておいた駒が、次の一手に繋げてくれた。おもしろい、実におもしろい》
《まるでわからん》
KINGが唸る。
《舞台は異貌都市だ。帝国を出し抜き、今後の軍部の主導権をこちらが握る。さらに連邦を退ける。最後に例の兵器を手に入れる。この三つを叶える計画を思いついた。そのために、既存の計画にいくつか変更を加えなければならないな》
BISHOPは席を立ち、三人に訝しまれながら議場を後にした。それ以外の重臣たちには気づかれることなく。
豪奢で広大な廊下で、BISHOPは急ぎつつ映像を繋げる。繋がった相手は、白髪を全て後ろに撫でつけた壮年の男だった。
「やあ、グレイ。話は大まかに聞いたよ」
《会談の場所の変更は、すでに向こうに伝えました》
「さすが、仕事が早い。そっちは今、どんな感じ?」
《全て順調です。連邦との接触も無事、完了しました》
「よし、今からそっちに向かう。明日には合流できるはずだ」
《お気を付けて。あなたの存在を快く思わない者たちもいます》
「大丈夫だ。最後に全ての盤面を制圧し、世界を引き継ぐのは私たちだ」
BISHOPは心底愉しそうな、無邪気な笑みを浮かべる。画面越しに、白髪の老人も優美な笑みを浮かべていた。
●
「……ドクター」
「なんだい、メイ」
メイベルが地下からの階段を上がってきた。こちらに背を向けて機械を弄っていたドクターが振り返る。
「もう今日は帰った方がいいんじゃない? 明日は朝から警察に行かなきゃだしさ」
明日は中央警察署で記憶捜査が行われるのだ。
「ミリィも連れて行くの?」
メイベルが不安げに小さな声を出す。ミリィは今、バスターズ・オフィスの地下の空き部屋で寝ている。彼女には帰る家がないのだから、仕方のないことだった。
「何か問題が?」
「転生繊維を活性化させる影響で、本人の記憶が強くフラッシュバックされるんでしょう? ミリィに当時のことを思い出させるのは危険だと思う」
「ああ……そういうことか。ずいぶんミリィに執心しているようだね」
「執心って……。そんな言い方しなくても」
ドクターは腕組みをして宙を仰ぐ。
「どうするかなあ。二人が遭遇した金色の男の正体も早いところ特定すべきだし……」
「だったら、ノエルの過去も解析してもらうべきじゃない?」
「確かにそっちを片付ければ、男の正体もわかるか……。そういえば、ノエルとはうまくやってるの?」
メイベルの目がきつくなり、声が尖る。
「何でそんなこと聞くわけ?」
「え、いや、一応は相棒なんだしさ」
メイベルの剣幕に、ドクターがたじろいだ。
「あの人のこと、やっぱり信用できないわ」
「それは、どうして?」
「……いいから。とにかく、ノエルの記憶捜査をするべきよ。それと、もう一つ。こっちが本題」
メイベルが部屋を見回し、全ての扉が閉まっていることを確認した。
「私の、姉についてなんだけど」
ドクターが頷いた。
「珈琲でも淹れるかい?」
「お願い」
ドクターが用意している間に、メイベルは部屋の隅の椅子を引き寄せて座った。
「さて」
ドクターが二つの陶器の杯に、蒸らした豆を淹れる。芳醇な香りが湯気と共に立ち上り、部屋に満ちた。紙の束や書類に匂いが染みつかないかという心配はとっくにやめている。
「調査は継続してくれてるのよね?」
「もちろん。中央警察も動いてくれている、けど」
「進展は無し、でしょう?」
「うん……」
言葉が途切れたドクターに代わって、メイベルが言う。ここで沈黙を生むわけにはいかなかった。一度黙ってしまえば、切り込むことは困難になるからだ。
「中央警察は本当にお姉ちゃんを捜してくれてるのかしら?」
実際は、捜査など口先だけで行われていないのではないか?
「……屍者の捜索が後回しにされやすいのもある、と思う」
「そうじゃなくて」
メイベルはコーヒーを啜り、唇を湿らせた。
「何か圧力をかけられてるんじゃないかってこと」
「……どうしてそう思うんだい?」
メイベルは思案するように目を伏せる。一度よく考える。だが、やはり口にすべきだと思った。遠慮している場合ではないのだと。
「ミリィが、私の姓に反応を示していたわ」
「ミリィが? シュピーゲルに反応を?」
「ええ。怖がってるみたいだった」
メイベルの疑念の理由は、それしかなかった。だが、ミリィの動揺した顔が、メイベルに確信させたのだ。
そして、マディソン・モート。
アネモネ・シュピーゲルの元恋人にして、彼女の屍者化を担当した技術者。今では木乃伊と化し、異形の繊維生物たちを使役する殺戮者。
繊維生物の生殖。アンケミア社研究所で交戦した怪物は、より生物らしい姿に近づいていたように思える。
どのように繋がるのかはわからない。だが、姉がこの事件の離れた点を繋げている。そういう確信はあった。
「……だったら、ミリィにも記憶捜査をするべきじゃない?」
「それは――」
メイベルは自覚する。ミリィに、かつての自分を重ね合わせていることを。
爆炎によって、居場所と、肉体と、精神と、いのちと、尊厳と、そして姉を喪った自分。
そして、今まさに全てを喪ったばかりのミリィ。
ミリィはまだ本当の意味で痛みを知らない。だが、これから知ることになるのだ。喪う痛みを。
それは逃れようのない運命のように思えた。どんな人間も、今回ミリィが体験した悪夢に対して反応しないでいられるはずがないのだから。
今のミリィは、心を閉ざすことで痛みを感じることを遠ざけている。だが、それも限界が来るはずだ。
「――まだしなくていい。しちゃ駄目」
「いいのかい? 姉に何があったのかもわかるかもしれないよ?」
メイベルは立ち上がり、黒い液体を飲み干す。
「ただし、ノエルの記憶捜査は絶対すること。今日は帰る。おやすみなさい」
メイベルは杯を流しに置いて、部屋を出ていった。
ドクターは一人部屋に残され、ため息をついた。電子眼鏡を遮光眼鏡に切り替える。
縁をつまむと、画像が一枚浮かび上がる。
「ぼくは……メイ、君のお姉さんに救われたんだ」
その画像には、長い赤髪をした迷彩服の女性と、茶髪の少女が肩を組んで映っている。
戦場でドクターが出会った英雄。
〝大戦〟中、帝国が神皇国に支援として派遣した部隊。彼らが前線で命を散らし、死体となって基地に帰ってくる。だが、それで終わりではない。彼らは屍者に改造された再び戦場へ向かった。帝国の許可など存在せず、神皇国の独断だった。
その派遣部隊に、英雄はいた。
セインフロド共和国の急襲で破壊された街。ドクターはそこで暮らしていた少女だった。瓦礫の下で数日にもわたって動けずにいたドクターを、彼女――アネモネ・シュピーゲルは救い出したのだ。
ドクターがメイベルを引き取り、屍者として復活させたのは、アネモネのためでもあった。
もはやドクターは、アネモネが生きているとは思っていなかった。
アネモネの生存を祈っていないわけではなかったが。それよりも、彼女は、アネモネが残したものを守っていきたいと思っていた。
アネモネが残したもの――つまり、メイベル・シュピーゲルを。
「でも、ぼくじゃ難しいかな」
ぼくじゃ、アネモネの代わりにはなれない。
ドクターの思考はそこで途切れた。眠気がやってきていた。カフェインですら抗えない睡魔が。
ミリィの施術でここ数日はほとんど寝ていなかったのだ。無理もない。
ドクターはどうにか机に移動した。そして、眼鏡の表示を切り、額に載せた。
半ば気絶するように、意識を飛ばした。次に起きたときには、机に移動したことすら忘れている。




