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第11話 混線した繋がり

前回までのあらすじ: 俺は貴様に全てを奪われた――。過去を喪失したノエルを前に、激昂する獅子のごとき男。マディソン・モートが放つ異形の怪物たちが、ノエルとメイベルに襲いかかる。そして明らかになるマディソンのかつての恋人、アネモネ・シュピーゲルの存在。過去の亡霊たちと危機を辛くも退けた面々は、一人の少女の再生に立ち会う。

 ミリィ・ブランシェットは夢を見ているのだと思った。

 泥沼のような(こん)(だく)した意識の中で、いくつかの思考が浮かび、泡のように弾けて消える。


 不思議なことに、穏やかな気持ちだった。与えられてきた全てを喪った――奪われた後に残ったのは、奇妙なほどの安息だった。理不尽な結末にもかかわらず、怒りはどこにもなかった。


 ミリィは音を聞いた。ひどく規則的で無機質な音だ。彼女にはすぐにその正体がわかった。心電図モニターに心拍の間隔が計測され、生命兆候が表示されている場面が思い浮かんだ。ついでに、無数の管に繋がれ、横たえられた自分も。そういう患者や被検体の姿は、今まで飽きるほど見てきた。


(――屍者化はまだ無理よ。彼女の体力で耐えられるわけがない)


 誰かの声が聞こえてくる。声質が不鮮明だった、というよりはミリィの微睡んだ思考では、言葉を理解するまで至らない。


(――でも、それしかない。今すぐだ。今すぐに屍者化手術を始めるべきだ。もしかしたらマディソン・モートに〝種〟を植え付けられているかもしれない。それを取り除くためにも……)

(――どうして屍者化すれば〝種〟を取り除けるんだ?)

(――あの生命体の組成の解析が終わったんだ。一言で言って、あれは転生繊維(リブート・ファイバー)が自律した塊だ。だからこそ、あれが増殖を開始する前に〝種〟の苗床を奪わなければ。今のこの子の変性意識状態なら、移植した繊維の成長も速い。うまくいけば〝種〟を根絶してくれる)


 ミリィのぼやけた視界に変化が生じた。複数人の影が、自分を上から覗き込んできている。


(――成功率はどれぐらいだ?)

(――およそ四八・二三六一)

(――半分以下じゃないの! 絶対に駄目!)


 どうやらこの場には自分を除けば三人がいて、何かを争って口論しているようだった。


(――納得してくれ、メイ。中央警察署からも要請されているんだ。()(かつ)が早い方が記憶の抽出も正確にできる)

(――メイベル、他に方法があるのか?)


 しばらく沈黙が流れた。やがて、


(――屍者になってしまったら、後戻りできないのよ。もう二度と生者として扱われない。彼女を屍者にしてしまっていいのか、私にはわからないわ)

(――生者としては扱われないかもしれないけど、この子も生きたいと思っているはずだよ)


 正直、今のミリィは何も求めていなかった。生きていたいとすら思っていなかった。なぜなら、自分が今、生きているのかすらわからなかったから。そして、生きる理由がわからなかったから。


(――私たちは、恨まれると思うわ)

(――なぜだ? 俺たちは市民を救出したはずだ。これこそが俺たちの存在理由ではないのか?)

(――この先ずっと、苦しい思いをしながら、被差別対象である屍者として振る舞わなければならなくなるのよ)

(――死ぬよりは()()だろう)

(――死が救済になる人もいるのよ――)


 それっきり、ミリィは声を聞かなかった。聞けなくなったのかもしれない。意識は再び水面下に沈み込み、全ての出来事は曇り(がら)()の向こう側だった。



 次の意識の浮上は急激だった。覚醒は一瞬だった。

 ミリィは目を開く。白い光が降り注ぎ、視界を暖かく染め上げる。


 ミリィは呻き、上体を起こそうとした。だが、その前に背もたれが動き、自動的に身体が起き上がった。

 ミリィの視界に、四人の顔が飛び込んでくる。


 一番近くにいるのは、電子眼鏡を着けた、きつい口紅の女。白衣を着ていて、咄嗟に親近感が湧いた。だが、その汚れっぷりに一瞬で不快な印象を抱いた。


 その彼女の横に、赤髪の少女。瞳も燃えるようだ。肌は独特なまでにのっぺりとしていて、一瞬でわかった。屍者だ。転生繊維(リブート・ファイバー)が腐敗と血色を補完する影響で、皮膚はとても滑らかだった。


 赤髪の少女の後ろには、背の高い男。黒い長髪に、昏い目をしている。首から下も黒い衣で覆われていた。顔色からでしか窺えないが、こちらもまた屍者だと思われる。


 そして、部屋の端で壁にもたれている男。警察の機動服を着ている巨漢だ。顎髭を弄りながら、こちらを鋭い目で(へい)(げい)している。


 宙に視線を(さま)()わせるミリィに、白衣の女が一言目を発する。


「――お目覚め、だね?」


 ミリィはとりあえず頷いておく。

 部屋を見回す。生体情報を計測する各種機器が据え付けられていて、無数の配線を吐き出している。

 だが、肝心の心拍を計測する音が聞こえなかった。


「まあ、その」


 女が膝を伸ばして立ち上がる。


「状況確認と、自己紹介は同時に行おう。その方がわかりやすいだろう」

「手短に頼む」


 警察の男の言葉に、女がため息をつく。


「ハンク、事件の被害者にそれはないでしょ? ……そうだな、じゃあ君が――ミリィ・ブランシェット君が巻き込まれた事件について話そう」

「私の名前」


 ミリィがぼそりと呟く。女がきょとんとする。


「どこで知ったんですか?」

「え? ああ、君の着ていた白衣のポケットに電子認証カードが入っていたから。そこに名前も書いてあったよ」

「ここはどこですか」

「ここは……西区はロムカ通りのバスターズ・オフィスさ。本来なら病院に搬送されるのだけれど、ちょっと事情があってね……」


 それで、ミリィは大体の事情を察した。

 女が続ける。


「事情というのは、つまり事件だ。(ちまた)で屍者連続破壊事件が起こっているのは周知だと思うけど、君の巻き込まれた事件も、それになんらかの関わりがあると思われる」


 事件。ミリィは世間を知らない。ゆえに事件の存在すら知らなかったが、円滑に説明を聞くために今は黙っておく。


「僕たち、バスターズ・オフィスは警察と提携し、それを解決することで合意に至った。そこで、まずはミリィ君と、こっちの執行官二人――ノエルとメイに、記憶捜査を適用させてもらう。……という事情があって……」

「私、屍者(レヴェナント)になったんですか?」


 ミリィの声が震えた。彼女自身は、なぜ声が震えたのかわからなかった。彼女は今、極めて冷静な状態のはずだった。だが、声はそれを裏切った。

 女が口を固く結んだ。それから、そろそろと言葉を吐き出す。


「……いずれは受け入れていかないと」


 勝手な言い草だと思った。そもそも、警察の捜査に役立てるために自分を屍者にしたくせに、あたかも自分の落ち度でそうなったのだと言うような言葉に。


 記憶捜査は、脳髄を覆う転生繊維(リブート・ファイバー)を駆け巡る電流のパターンから過去の記憶を映像や音声として抽出し、物的証拠とする捜査方法だ。転生繊維(リブート・ファイバー)が海馬を覆っている必要があるため、屍者にしか適用されない手法だった。


 ミリィはとっくに全てを理解していた。自分は救われたのではない。生かされたのだと。警察とこの事務所の利権のために。

 そう思い至った瞬間、全てがどうでもよくなるのを感じていた。


「私、あなたたちに協力できません」

「な――」


 電子眼鏡の奥で、茶色の瞳が見開かれる。彼女の横で、赤髪の少女――メイというらしい――がため息をついた。さもありなんという感じで。黒髪のノエルは不気味なまでの無反応だった。


「さ、些細なことでもいいんだ。君の属していた企業についてとか」

「嫌です。守秘義務が課せられているので」

「守秘義務……? 君のいた施設は――」

「全員死にましたか?」


 ミリィは自分の歯止めが利かなくなっているのを感じていた。だが、止めようもなかった。


「死んだんでしょう? あの気持ち悪い肉塊に身体を食い破られて」

「捜査に協力することが、死んでいった仲間たちのためにもなる――」

「もうよせ、ドクター」


 ミリィに詰め寄らんとしたドクターの肩を、ノエルが掴んだ。ドクターが脱力し、椅子にへたり込んだ。


「……すまない」

「メイベル、この子の治療はお前がやるべきだ」


 ノエルがこちらを見下ろす。ミリィは怒りを覚えた。自分の治療を他人任せにする態度と、微動だにしない無表情に。きつく睨み据えたとき、


「強硬な帝国派には、俺たちの言葉は響かないだろう」


 ノエルはミリィを見据え続けている。ミリィは目を逸らせなくなった。


「屍者は嫌いか?」

「……私にとってはただの研究対象です」

「その研究対象に、自分がなった気分は?」

「別に……」

「ならば、エデノア神皇国のことは?」


 ミリィは何も言えなくなった。言葉を失っていた。自分の本質をぴたりと言い当てられたような気がして。


「俺は神皇国の屍者だ。記憶をほとんど喪っているから、自分にそんな自覚はないが。そんな俺を頼りたくなったり、話したりする気になったら教えてくれ。……メイベル、頼めるか?」


 メイベルは強く頷く。


「任せて。大丈夫よ、ミリィ。あなたを見捨てたりはしない」


 ノエルとドクターが部屋の入り口に消えていった。ランドルフ警部補もそれに続いた。

 後には、メイベルとミリィが残された。


「私たちも行きましょう、ミリィ」

「……どこに行くんですか?」


 メイベルが自信ありげな顔をする。


「バスターズ・オフィスを紹介してあげるわ。機械好きのあなたなら、きっと気に入ると思うのだけれど」

「機械好き?」


 ミリィとメイベルは同時に不思議そうな顔をした。


「あなた、アンケミア社でいろんな兵器とかを開発してたんでしょう? すごいわ、大学教授かぶれのドクターよりずっと」


 メイベルはくすくすと笑う。


 瞬間、ミリィの脳裏で何かが重なった。

 赤髪の少女の、もう一つの顔。いや、違う。他人のそら似か。


 確信を持てないまま、ミリィは問いを発する。


「――あの、メイベルさんの姓って……?」

「私の姓? メイベルって呼んでくれていいのよ?」


 ミリィはなんとなく笑っておく。


「一応聞いておきたくて」

「シュピーゲルよ。帝国の言葉で〝鏡〟っていう意味」


 ミリィの笑みがそのまま凍りつく。


 ――拡張自我式流動粒子炸裂爆弾。かつてミリィが開発を先導し、都市軍に配備が決まった兵器。暗号名(コードネーム)はアネモネ。


 そして――アネモネ・シュピーゲル。


 この偶然が何を意味しているのか、ミリィにはまだわからなかった。

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