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第1話 屍体の都

 何かを手にすれば何かを喪う。

 何かを喪えば何かを手にする。

 いつだってそうだった。

 今までずっとそうだった。

 これからもそうだと思っている。

 そうなることを期待している。



 雨が降りそうだった。


 いつものこの季節のこの時間帯なら、金色の斜陽が西の空にかろうじて浮かんでいる頃だ。だが、今日は黒々とした分厚い雲の層が降りてきていて、すでに真夜中のようだった。


 異貌都市の東西を結ぶ中央通りセントラル・ストリートは、垂れ込める闇を路地裏に追いやるべく、(はつ)(らつ)としたネオン光を()いている。煌びやかな露店の看板。高層建築物の壁面に塗りたくられた、企業の商品の喧伝映像。遙か頭上には、立体光学映像を宙空に結ぶ重力式飛行船。そのどれもが、都市に一瞬の眠りすら許すまいとしているかのようだった。


 繁華街は、天気の悪さにもかかわらず賑わいを見せていた。様々な人間が雑踏を形成し、行き交っている。大企業の単調で飾り気のない制服、薄汚れた作業着、ストリート育ちの(しや)(だつ)でやかましい色のシャツ。混交した雑踏の流動は止まらない。この都市が眠ることを忘れているのと同じで、常に動き続ける。


 ここでは何もかもが急速に変わる――そういう標語だか警句だかわからない常套句は、都市のあちこちに光と陰を落としている。


 光あれ。誰がそう願ったのか、今宵、主要道路は眩しいほどの電飾で華やかだ。しかし、本来そこに存在していたはずの陰は激烈なネオン光に潰されている分、路地裏の昏さを色濃いものにしている。


 誰も目に留めない路地に落とされた陰。人の流れは常に光のある方へ向かっていく。陰は目に入れることすら躊躇われる。


 そんな人の流れを逆行し、陰へと寄りつく者がいないかと問われれば、断言することはできない。望むと望まぬにかかわらず、陰に振り分けられる者もいる。

 そして、そういった者たちは、表層の光が強烈であるがために、必然的に強烈な昏さを帯びるようになる。


 たとえば、渾沌とした人々の流れに紛れた、人間ならざる存在。


 異貌都市――またの名を死者の都(ネクロポリス)というこの街では、人とは認められない存在。もっと言えば、人どころか命と尊厳を持っているとすら見なされない存在。彼らは一言で言えば道具だった。人そっくりの相貌を持ちながら、彼らは常に異貌として扱われていた。


 メイベルは、肩まである血のような赤毛をなびかせながら、混雑の合間を縫うようにして歩いていた。誰ともぶつかることなく、まるで風にたなびく旗のように優美に、たゆみなく。


 ときおりネオンに彩られた(よい)の街に目を向けることもあったが、歩みは止まらない。彼女には何よりも優先しなければならない目的があったし、そもそもが沿道に陳列した宝石のような露店の煌めきなど、心底どうでもよかった。

 メイベル自身、そのあまりの娯楽への無頓着さに、自分の情動の一部が欠落しているのではないかと疑うこともあった。同年代の女の子たちが()()()()()()唱える嗜好品や娯楽品、贅沢品、はたまた() といったもの。メイベルにはどれも無縁だった。ただ単に機会がなかったのではなく、メイベルがそういったものに近づこうとしなかった。


 自分が()()()ときに()()()もの――それが何なのか。何個あるのか、なぜそれなのか。わからないことばかりだ。

 喪ったものの一つが、女の子らしさなのだろうか――馬鹿馬鹿しい。誰が、何のために、それを取り除いたというのだ?


 メイベルは思い耽るあまり、前からやってくる制服とぶつかりそうになった。制服がじろっとこちらを見下ろした。視線はメイベルの格好に注がれる。


「どこに目ぇついてんだ、屍体野郎――」


 そう呟き、通り過ぎていった。メイベルは慣れたものだと短く嘆息した。


 空を仰ぐ。最初の一滴が地上で砕けるのは時間の問題のように思われる。


(――雨は嫌い)


 こんな天気の日は、メイベルに過去を思い出させる。愉快ではない過去。存在しているがいつもは忘れているその記憶。曇天や雨は、過去という名の亡霊を彼女の許に強く引き寄せる。


 不思議なことに、思い出すのは決まって炎や焦げ臭さだ。頬を打つ冷たい雨粒が、むせ返るような熱気を連想させる理由を、メイベルは知らなかった。


 ――過去を忘れるな。いつもそこにあるということを、意識しろ。


 そう告げられているようだった。

 メイベルは静かに息を吐き、思考を振り払った。よくない兆候だった。湿気を含んだ大気の下、雨が降りそうな大通りを、自分は歩いている。風が熱い。吐息が橙色に色づいて見えた。身体が熱を帯びていた。

 自分の身体を見下ろす。全身が泡立っていた。赤黒く変色した(のう)(ほう)が破れ、(よど)んだ血液が流れ出す。


 そして――痛みが来た。あるはずのない全身の傷口に、鋭い獣の爪をねじ込まれるような感覚。灼熱の激痛が、メイベルの意識を瞬く間に気化させる。全身の(ただ)れを逆撫でする。


 自分が今、何をしているのか。それすらわからなくなっていた。メイベルは、自分が悲鳴を上げているものだと思った。悲鳴を上げなければ耐えられていない。それほどまでの痛みだった。五感の全てが痛みに持っていかれていた。何も見えない。ただし、目を瞑っているわけでも、視界が涙でぼやけているわけでもない。網膜で結ばれた像を、大脳が認識できていない。そういう表現が正しかった。炎の爆ぜる音と、悲鳴。鼻に入り込んでくる煙の悪臭。全身を包む熱気。それが今のメイベルの世界の全てだった。


(お姉ちゃん――)


 メイベルは助けを請うたりはしなかった。ただ〝お姉ちゃん〟という単語を頭の中で繰り返した。そうすれば痛みが治まるのだと思っているわけではない。そうしなければならない気持ちになるのだ。

 痛みだけが近くにある。忘れてはならない面影は、遠くへ行く。


 そのとき、ジジッ、と短く掠れた音が、耳元で鳴った。それを聞き逃さなかったのは幸運だった。


《メイ、大丈夫?》


 (ごう)(ごう)と踊り狂う火炎の音に、体内通信の声も呑み込まれそうだ。

 朦朧とした意識で、メイベルは耳元の声に答えた。すべきことははっきりしていた。心も穏やかで、凪いでいた。


《ドクター、薬を――》


 口を開けば、誤って絶叫を通信相手に届けそうになった。


《了解》


 ドクターのいるオフィスから体内の無線機に信号が送られる。すぐさま鎮静剤が調合(ブレンド)、血液中に混じり、分泌が開始された。ドクターがメイベルの容態に気づいたのも、体内に埋め込まれた通信機と各種計測装置が()()の情報をオフィスに送信し続けているからだった。

 ドクターの対処は適切かつ迅速だった。メイベルの身体の痛みが引いていく。泡立っていた赤黒い皮膚が白く薄らいでいく。

 同時に五感が取り戻される。ネオンの輝き、雑踏の音、風が肌を撫でる感じ、湿気、平衡感覚。


 メイベルは歩き続けていた。路地に倒れ込んでいるなんてこともなかった。いつの間にかアーケード街に入っていた。


 心臓が強く(はく)(どう)している。そのパルスが、一度は喪われたはずの命が身体に押し戻されたことを主張していた。

 自分が蘇ったときに喪ったもの――それが何なのか。何個あるのか、なぜそれなのか。何もわからない。ただ、何かを喪ったという感覚だけが残っていた。


 お姉ちゃん。それは、メイベルが蘇ったときに喪われたのではない。お姉ちゃんは、それよりもずっと前に死んでいた。

 だとすれば、自分は何も喪っていないのではないか。そんな恐ろしい妄想が頭をよぎった。あのとき、自分は何も喪うことができなかったのではないかと。姉が()()()()()を喪ったのに。


 メイベルは視線だけを周囲に巡らせた。不審そうな目はない。誰もこちらを見向きもしない。幻肢痛(ファントム・ペイン)に襲われたが、どうやらうまくやり過ごせたようだ。


 メイベルのような小柄な屍者(レヴェナント)は、大勢の行き交う街中で目立つような真似をすれば、何をされるかわからない。本来、陰なる者は、光さざめく大通りをうろついてはならないのだ。陰なる者を守ってくれるのは陰しかないのだ。


 目的地が見えてきた。


 赤い警報灯が回転し、周囲を規則的に照らしている。規制線のテープが張り巡らされ、制服を着た警察官たちが現場を封鎖している。繁華街に根を張った異物。歩行者は(いち)(べつ)するものの、興味を失い通り過ぎていく。


 メイベルは現場に近づいていった。


《ドクター、現場に到着した。……それで、もう一人は?》


 ややあって、ドクターが返事をする。


《えーと、そっちに向かってる途中みたいだね》

《どういうことなの? 勤務初日に遅刻って、あり得ない》


 メイベルが憮然と言う。現場に到着したら言おうと思っていたことだ。ドクターが苦笑した。


《ごめんよ、メイ。なにせ、()は異貌都市にやってきて初日なんだ。道に迷うこともあるさ》


 メイベルはひとり、眉をひそめた。


《今日、この街に来たってこと?》

《うん……》

《この街で屍者になった、というわけではない?》

《うん……。その、彼はちょっと特別な事情でね……》


 メイベルはドクターの珍しい歯切れの悪さを不審に思いながら、思い当たったことを口にする。


《もしかして、〝大戦〟生まれ?》

《ええと……》

《何を隠してるの? 本当は違うの? またお得意の根回し?》

《……どうしたのメイ? 今日はやけにぷりぷりしてるけど》


 メイベルは短く息を吐き、冷静さを心がける。


《実を言うと、最初から気に入らなかったの。ここ最近、ドクターは私に何も言わずに彼の手続きをしてたよね。危なそうな通信とかデータのやりとり、検索履歴の消去、盗聴・盗撮の探査。ドクターはばれてないと思ってるのかもしれないけどね。あと、態度もずっとよそよそしかったし》


 ドクターは咄嗟に何も言えず、二人の間に一瞬、沈黙が降りた。

 メイベルは固まった時間を融かすようにわざとらしくため息をつく。


《それで? 彼はどういう人なの?》

《……わからないんだ》


 は? と声が漏れた。


《ぼくは何も知らされていないんだ。オフィスに配属されることも、彼の移送も、ぼくは関与していない。身辺のデータも、全てぼくには公開されていない》

《どういうこと? ドクターがスカウトしたわけじゃないの?》

《うん》

《じゃあ、誰が》

《それは……言えない》


 メイベルが喋り出す前に、ドクターが続けた。


《仮にその名前を言ったとしても、どうせ偽名だから意味がない。もちろんその人の身元を洗い出すことも試したけど、何も出なかった》


 メイベルは薄ら寒いものを背筋に覚えた。


《ますますダメだよ。そんな人のいいようにオフィスを使われたら》


 そのとき、メイベルの前に、男が立ち塞がった。

 屈強で巨大な男だった。全身が厚い筋骨でできていて、制服が窮屈そうだ。顎には無精髭。目つきは鋭く、威圧的だ。

 メイベルは返事を待たずに通信を切り上げた。

 男の目線がメイベルの顔を見据え、彼女の胸元に落ちた。


「――メイベル・シュピーゲルか?」


 メイベルもまた、男の胸元を見た。ただし、彼女は逆に巨漢を見上げる形になったが。

 ポケットに縫い止められた名前に、紋章が意味する階級をくっつけて男を呼ぶ。


「そうです、ハンク・ランドルフ警部補」

「ふん……」


 ハンクは細まった目でメイベルを見る。値踏みするかのように。


「もう一人来ると聞いていたのだが……どこにいる?」

「遅れているそうです、申し訳ありません」


 メイベルは頭を下げる。半ば殴り飛ばされることも覚悟して歯を食いしばりながら。

 お姉ちゃんもこういうことを積み重ねていたのだと思えば、苦ではない。まして、あの耐えがたい幻肢痛(ファントム・ペイン)に比べれば、こんなものは一瞬の怒号、一瞬の尻拭い、一瞬の痛みだ。

 ただし、顔も知らないパートナーのことを抜きにすればの話だが。


 警部補、とハンクに声がかかった。ハンクはメイベルに何か言おうとしたが、結局何も言わずに、駆け寄ってきた部下の方を振り返った。


「路地の包囲は完了しました。ですが、地下水道が残っています」

「ご苦労。人手は足りそうか?」

「時間がかかりそうです。連日の()()()()で別部署からも応援が来ていますが、なにせ地下は複雑なので……」


 そこで、部下がメイベルの姿に気づいた。目に敵意の光が宿った。


「警部補。そっちは……」

「バスターズ・オフィスから派遣されました、メイベル・シュピーゲル執行官です」


 メイベルが再び頭を下げる。


「へえ。こんな餓鬼に捜査を任せるんですね。中央警察署も堕ちたな……」

「知ってるか? 今時のお人形ちゃん(ダツチワイフ)は戦争できるんだぜ?」


 メイベルに気づいた捜査員の一人が背後から即座に茶化した。


「お前に屍体姦(ネクロフィリア)の趣味があったとはな」


 ()()た笑い声の応酬。メイベルは心を無にすることで耐えた。

 この街で生まれた技術が、やがてこの街に憎まれるようになった。 かつて〝大戦〟で敵国に甚大な被害をもたらした蘇りの技術が、今では危険視されている。行き場を喪った屍体たちの最後の拠り所は、もはや決して歓迎されない彼らが生まれた場所だった。むしろそこしかなかったのだ。屍体たちは悪辣な歴史そのものであった。それゆえ、一カ所に集めて蓋をするためにこの都市に来ることを強制された。

 そして今、この都市は分断されている。屍者と生者に。過去の禁忌と栄光に。光と陰に。


「お前ら、戻れ」


 ハンクがうんざりしたように手を振って、部下を黙らせた。部下たちは肩をすくめ、表情を消しているメイベルを見て、にやりと嗤った。だが、それっきり口を開くことはなかった。


「ありがとうございました」


 部下たちが立ち去ってから、メイベルはお礼を言った。心から感謝していた。何かと屍者執行官に事件を奪われがちな警察は、屍者たちを快く思わないものだ。


 だが、ハンクはぶっきらぼうに言う。


「なんてことはない。人の形をしたものが侮辱されている光景は、気分のいいものではないからな」


 きっと、それは彼なりの優しさなのだろう。


「だが、もう時間がない。もう一人の到着を待たずして対象の確保に動いてもらわにゃならん」

「……わかりました」


 メイベルがドクターに報告の通信を入れようとしたとき、近くの路肩に車が滑り込み、停まった。


 車といっても、とても車高の低い車だ。台車と言った方がいいかもしれない。運転席や後部座席は存在せず、平べったく大きな箱が、四輪の上に載っているのみだ。

 その箱の上部がスライドし、開いた。ぷしゅうと空気の抜ける音と同時に、箱の中にいた影がむくりと上体を起こした。


 降りてきたのは、まさしく影だった。全身が黒かった。闇夜と同化するようだった。五指から足の爪先まで余すことなく鎧われていて、甲虫のような光沢を放っている。

 しかし、露出した顔は陶器のような白さだった。髪は長く、艶やかだ。

 その前髪の隙間から覗く双眸は、昏い光を宿していた。まさに死人のような眼差しが、ハンクとメイベルを見つめた。


 黒い男が、口を開いた。


「ノエルだ。ノエル・ルイン。今日からバスターズ・オフィスの執行官、メイベル・シュピーゲルのパートナーとして活動する」

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