吾輩は『ねこ』なのである。 8
吾輩は『ねこ』である。
そう、『ねこ』なのである。
舎弟がいて、オナゴがいて、オババがいる。そんな生活が、我輩にとっては悪くないと思っていたりする。
だが、満足はしていない。
理由は三つある。
一つは、主の姿が見えないことへの不安。
一つは、主の姿が見えないことで感じるオナゴの覇気のない姿。
そして、もう一つは・・・
「そんな事も出来んのか!?」
昨日一昨日はいなかったはずの男の姿。吾輩は、あの男が嫌いだ。苦手ではない。単刀直入に大嫌いだ。あの男が差し出す飯は食う気にもならんし、あの男とともに過ごすのなら豆腐の角に頭をぶつける方が幾分かマシというものだ。
して、豆腐とはどういったものかは吾輩にはわからぬがな。
「いつまでこの家にいるつもりだ!?」
男が口を開けば必ずと言って良いほどに怒号が轟く。今まで何度か顔を合わせたことがあったが、何が気に障るのか、最悪の剣幕で睨まれてから吾輩はあまり関わらないようにしている。
更に困ったことに、オナゴやオババはその大音量の声に対して怒る時もあれば笑っている時もある。
なぜ、あんな大音量の声を聞いて人間三匹で笑っているのか。吾輩からしてみれば理解に苦しむ。
「あの男を連れてくれば良いだろう!」
吾輩は今まで通り、同じ部屋の同じ窓から外を眺めていた。今回は、舎弟も隣で一緒に同じ景色を眺めている。
舎弟よ。あのような男とともに過ごしている日々を送るのも、さぞ大変であろう。
今はあの男に近づくよりも、ここで窓の外をじっくりと眺めている方が落ち着けるだろうて。
舎弟とともにしっぽをゆっくりと揺らす。人が前を行き来する姿を見ているが、やはり主の姿は見当たらない。
今日も、主の姿は現れぬのか・・・?
そう吾輩の中で不安の種が芽を出し葉を出し始めている中で、ふと思った。
舎弟にはこの状態の方が良いだろうと伝えた手前、よもや、こういった観察をしない方が、我輩にとっては良い事なのかもしれない。
こんな事をしているから、吾輩は不安を強くしていき、そしてストレスとなっていくのかもしれない。
吾輩は、主の事を諦めた方が良いのか―――
我輩にとって、究極の選択を迫られているような気がした。
次第に視界がゆっくりと下に落ちていく。
自分の二本の前足がしっかりと揃えられているつま先を見つめていると、三度男の怒号が聞こえてきた。
苦労のあまり、舎弟を見つめる。相手は、またかといったような雰囲気を出しながら、目を合わせると、鼻先をぺろりとひとなめしてから自分の腕に顎を乗せ始めた。
オナゴとオババがいない空間は少しだけ気が落ち着くのも正直な話だが、それ以上に胃に穴が空きそうな不安と怒りがこみ上げてきている。
いかんいかん、吾輩は寛大なのだ。
この程度では動じぬぞ。
少しでも別の方に意識を集中しようと、舎弟の毛を繕ってやることにしよう。毛の方向に沿って、舎弟の頬の毛を舐めてやる。随分と柔らかい毛質だ。吾輩のは固いから、自分でやっていると時にピリピリしたりするのだ。
舎弟よ。その毛質、吾輩にも少し分けてはくれぬか。今なら晩飯の粒を二粒だけ進ずるぞ。
すると、吾輩の行為を感じたからか、射程は鼻先をゆっくりと吾輩の目の前に差し出してきた。突然の行為に驚きを見せてしまったが、吾輩もしっかりと鼻先をくっつけると、舎弟は再び横になるや、無防備に腹を見せ始めた。
次はここをやれ、ということか。
やれやれ、困った舎弟を持つと、吾輩も苦労するな。
しかし、この苦労の思いは今は決して悪くはない。
果たして、この感情を抱かせるように動いているのか、単純に我輩に命令をしているのかは定かではないが、さすがは我が舎弟だ。
感心するぞ―――
しばらく舎弟の世話を終えると、再び外を眺めた。人の行き来は変わらず、車の量もさほど変化はない。
主の姿なぞ、もはや言うのも野暮というものだ。
・・・やはり、決心した方が良いのやもしれんな。
主よ。吾輩は今ここに宣言するぞ。
あと陽が四回沈むまでに戻ってくるのだ。そして、我輩を連れ戻しに来るのだ。そうしなければ、吾輩は諦め、オナゴ達が住むこの家で過ごしていくぞ。
主よ。吾輩の事を思っているのなら、一刻も早くここに帰ってくるのだ。
ゆっくりと流れる雲の動きを、目を細めながら眺めていると、舎弟の頭が吾輩の足先に触れた気がした。ふと見れば、我輩を誘っているような動きを見せている。
やれやれ、さっきまでグルーミングしていたのに、今度は一緒に遊べとな?
さすがの吾輩も、それほど暇ではないぞ。
そう思いながら下げていた視線を元に戻すと、一匹の猫が小さな庭の前を横切ろうとし、そして目の前で止まっては吾輩と目が合った。
綺麗なサバトラ模様で、優雅に動くその姿は、吾輩の目線を一点に集中させた。
その猫がこちらに近づいて来ると、吾輩の臭いを確認しようと必死に窓に鼻先を付けている。吾輩も、無意識のうちに鼻先を付けていた。
臭いは当然しないが、何故か幸せな気分を感じる。そんな吾輩が次にとっていた行動は、窓に顎をこすりつけていた。
しかし、相手の猫はそんな我輩を見るとすぐにその場をあとにするのだった。
次回公開は19日0時になります。