吾輩は『ねこ』なのである。 7
数日が過ぎた。
主は、あの時に顔を見せてからは吾輩の前に現れてはくれない。
この数日間、吾輩を強く親しんでくれたのは、今でも吾輩のしっぽで戯れている舎弟のみだ。仰向けになりながらも実に楽しそうだ。何度かオババのもとへ行けと舎弟に伝えたはずなのだが、どうやらオババがする猫じゃらしよりも吾輩のしっぽの方が本能がうずくらしい。
まったく、困った舎弟だ。
どれ、吾輩がお前の毛並みを整えてやろう。
しかし、しっぽを引っ込め舎弟の傍まで歩もうと思ったら、向こうから猛ダッシュで走り去っていった。
取り残された吾輩の愛情が。まるでフラれたような吾輩の感情が。
・・・イライラしてはならん。
相手は小童の舎弟なのだ。
吾輩は寛大なのだ。この程度では動じぬ。
だが、この虚無感は、主への思いだけでは無さそうだ。
その気持ちを紛らわそうと、ゆっくりと腰を上げては主が出て行った壁の前で座った。
今日も、主は戻っては来ないのか。
吾輩があの時に感じた主の表情は、まやかしだったというのか。
吾輩は、今日も待っているぞ。
さあ、今こそこの壁を開けるのだ主よ。
「またこんなところにいて」
しかし、待ち続けている吾輩の邪魔をする声が背後から聞こえた。
オナゴの声だ。
今回で何度目だろうか。吾輩がここにいると、必ずと言っていい程オナゴが現れる。
そして、連れていかれる。
主よ。
いつ戻ってくるのだ。
そう思いながらも、オナゴに連れていかれる。
リビングに連れていかれ、ゆっくりと四つ足を付けられると、オナゴは吾輩の目線に合わせるように顔を落としてきた。
吾輩はわかる。
こういう時のオナゴの次の行動は、何かを語りかけてくるのだ。
それが何なのかまでがわからないのが残念ではあるが、聞くだけのことはできる。
オナゴよ。吾輩は主の事が気になって仕方がないが、聞くだけは聞いてやるぞ。
「ねえ、聞いて」
目をゆっくりと閉じ、ゆっくりと開く。
「前、旦那が来たでしょ? 私は直接相手にしたわけじゃないけど、お母さんが言ってたの。反省しているようだったって」
指を一本吾輩の鼻先に近づけてきた。これは、頬擦りをしてくれという事だな。
吾輩は、全てお見通しなのだ。
試しに指一本に向けて念入りに頬ずりをすると、オナゴは小さく微笑んでくれている。
そら見たことか、と。自分の鼻先をぺろりと舐めながら自慢の眼差しを送ると、オナゴは三本指で吾輩の顎をゆっくりと引っ掻くように撫でてくれた。
「帰った方が良い?」
あぁ、気持ちが良いぞ。もう少し早くても構わぬ。
「あなたは、どっちが良い?」
まずい。あまりの気持ちよさに、普段鳴らさない喉が・・・
「私か、あの人か。それとも、二人とも一緒が良い?」
オナゴは、今でも吾輩に語り掛けてくるが、吾輩はというと・・・
「気持ちいいんだ?」
クスッと笑うオナゴも気に留めず喉を鳴らしていた。気持ちが良いのだ、仕方あるまい。
「どっちがいいのかな」
オナゴよ、また指の動かし方が上手くなったのではないか?
吾輩をここまで恍惚にさせてしまうとは、罪深いぞ。
あぁ、そこだ。そこを重点的に撫でるのだ。
「いつ来るか分からないし、それまでにって思うと、余計に悩むよね」
オナゴは、吾輩の許可を出してもいないのに、顎を撫でるのをやめ、頭をゆっくりと撫で始めた。
「どちらにしても、あなたはちゃんと返すから、もう少し待っててね」
オナゴよ、頭はよい。顎を撫でるのだ。
「あなたをここに送ったのも、あの人にじっくりと考えてもらいたいから。じゃないと、あの勝手な行動から何されるか・・・」
頭を撫でるのをやめ、今度は背中をゆっくりと撫で始めるオナゴ。その目には、うっすらと涙が溜まっていた。
それを誤魔化すようにオナゴはゆっくりと立ち上がり、リビングから姿を消した。
その後ろ姿が、薄幸に感じたのは気のせいだろうか。
不思議だ。
あれだけ嫌っていたオナゴの甲高い声も、いざ聞くことが出来ない日々が続くと、なぜこうも不安の色が濃くなるのだろうか。
主よ、必ず戻ってくるのだ。
吾輩も、オナゴもずっとずっと待っているぞ。
次回公開は17日0時になります。