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吾輩は『ねこ』なのである。 13

 オナゴに抱き抱えられてはいたが、今までのように反撃する気も失せてしまっていた。

 主は、どうしてしまったというのだ。

「あら、もう終わり?」

 魚の臭いを感じながら床に足を付けられると、オナゴはさっき主から受け取った四角い紙をオババに見せびらかすようにひらひらと動かし始めた。

 吾輩は、もう人間二人の会話すら聞く気も失せてしまっている。

 ・・・・・・

 ・・・

 ダメで元々。また顔を出す可能性にかけてみるか?

 それとも・・・

 少し前の吾輩なら、今既にあそこで座って待っていたのだろう。だが、今の吾輩には心の中で迷いが生じてしまっていた。

 舎弟がゆっくりと我輩に近づき、横から顔を覗き込むように目を合わせては鼻先を近づけてきた。

 舎弟よ。

 今は、そんな気分ではない。

 いくら寛大で尊大な吾輩でも、今関わると何をしでかすかわからぬぞ。

 下がっておるのだ。

「なにこれ?」

 オナゴの言葉を最後に、吾輩はいつもと同じ部屋へ向かい、ほとんど何も見えなくなってしまっている窓で呆然と外を眺めていた。

 それからしばらくの時間を要した後、あの男が帰宅し、その直後怒号のような叫び声が聞こえてきた。


 家内のだいぶ静かになってきた頃、吾輩はオナゴがいる部屋の方へ足を運んでいた。

 飯をかっ食らっている間も、どこかで主の事を考えていた吾輩であったが、その後に飛びかかってきた舎弟の相手をしていた事で気が紛れた。

 まったく、困っているのは舎弟ではなく吾輩ではないか。

 今度、舎弟には礼にと吾輩の飯を三粒だけやろうではないか。

 ゆっくりゆっくりと歩き、オナゴがいる部屋の前には大きな壁が立ちはだかっていたが、爪を立ててガリガリと引っ掻くと、その壁が開くと同時にオナゴの足首が見えた。

「どうしたの?」

 オナゴの顔を見上げるように視線を送ると、オナゴは脇にどくように移動し、吾輩の入室を許可してくれた。躊躇いなく中へ入ると、ややファンシーな雰囲気とともに甘すぎるほどの強い香りが、吾輩の鼻を狂わそうとしている。

「おいで」

 ベッドに腰を落とすオナゴを他所に、部屋内の臭いや配置を怪訝に窺う。オナゴの顔もわずかに視界に入ってきたが、恥じらいを見せつつもゆっくりと微笑んでいる。

「子供の時からこんな部屋だったから、今の歳になると正直恥ずかしいんだよね」

 オナゴが立ち上がり、吾輩の両脇腹を抱き抱える。とすんとベッドに再び腰を落とすと、吾輩のあごを攻め始めた。

「色々あったね」

 ゆっくりと、しかしどこか荒い風に攻めるオナゴの指先に、ついつい目を細めてしまう。

「私、戻ってみようと思う」

 オナゴよ。今日のあごマッサージ、幾分か強いぞ。

 もう少しゆっくりとするのだ。

 まったく。随分と手馴れた手つきで今までマッサージしてくれていたではないか。

 本当に、困ったオナゴだな。

 あの時の吾輩が言えた立場ではないがな。

 そう思いながらも気持ちよさに酔いしれている中、オナゴはゆっくりと立ち上がり、部屋の隅に置いてあった机に吾輩の足をつけた。

「見て、これ」

 オナゴが指差す先を追う。白く四角い物。これは、主が渡していた物か。

 そこには、何やら黒い線が縦横無尽に、短いながらも行き交っている。

「『せいやくしょ』って読むんだよ、これ」

 その言葉を聞きながら、感じた視線に返すようにオナゴの顔を見、そして頭をオナゴの顔にこすりつける。

 意味はよくわからぬが、オナゴの顔は思っていたよりも暗くはなかった。

「簡単に要約するとね『お酒はもう飲まず、遅くまで出歩くのも控えることを誓います』だって」

 オナゴの指先が吾輩の鼻先に触れる。それすらも吾輩は頬をこすりつけていた。

「こんな物書いてくる暇があれば、さっさと頭下げにやって来いっての。そうしたら、私も変に考える時間も無かったっていうのに」

 オナゴの声が明るい。おそらく、主の顔を確認できたからだろう。

 あの時のオナゴは、主の突然の訪問に心の整理が出来ていないと見た。

 オナゴよ。我輩に隠し事など通用せぬぞ。

 それだけ嬉しいのなら、喜んで主の下へ戻るのだ。吾輩も、それを願っておる。

 オナゴの指先が吾輩の頭を掻くように撫でる。その動きに任せようと頭をゆっくりと下げると、少しずつ眠気が襲いかかってきた。

「連絡は、明日かな。だから、早ければ明後日には、あっちに帰れると思うよ」

 その弾むような声に、吾輩の不安も、また更に払拭される。主が帰ってからは舎弟に助けられてはいたが、今度はオナゴから助けをもらっているような気がした。

 黒い何かが膨れ上がってきていたが、今ようやく萎みきった様な気がする。

 それを伝えるように、吾輩はオナゴの鼻先に鼻を当て、そして頭をこすりつけた。

「ごめんね。色々と振り回しちゃって」

 オナゴの声に寄り添い、そして頭をこすりつける。オナゴよ。主に会えて、さぞ嬉しいだろう?

 さあ、明日にでも身支度をして帰るのだぞ。

 吾輩も、陽が昇ってからは舎弟にも挨拶をしておかねばな。

 あのメス猫も。明日は顔を出してくれれば良いのだが。

 オナゴのくしゃくしゃと撫でる勢いに頭も左右に動くが、決して不快ではない動き。その動きにゆっくりと目を細めると、オナゴはゆっくりと立ち上がり、最後に一言だけ残して部屋の明かりを消した。

「おやすみ」

次回公開は、29日0時になります。

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