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吾輩は『ねこ』なのである。 10

 日も暮れ、そろそろあの男が帰ってくるやもと思った矢先に、あのメス猫は同じ窓から出て行ってしまった。

 吾輩も、飯が出てくるまではいつもの部屋で、いつもの窓を眺める。

 そろそろ、舎弟もこっちに来る頃か?

 足音がゆっくりとこちらに近づいて来るぞ。

 そう思いながらも、視線は薄曇りがかかった夜空。星の輝きはほとんどあらず、街中の明かりで消えてなくなってしまっているように見える。

 主は、今日も現れなかった。

 メス猫が来た分。オナゴの元気が元通りになっていた分、少しは気持ち的には楽な一日ではあったが。それでも、何故かわからぬが疲れたな。

 さて、そろそろあの男も戻ってくるだろうて。吾輩も、晩飯を終えたらこの部屋で残り時間を過ごすとしよう。

 さあ、オババよ。早く晩飯を出すのだ。

「お母さん、ちょっといい?」

 晩飯時かと、吾輩が目当てだとすれ違った舎弟の先を歩くように、人間たちがくつろぐ事が多い部屋へ向かうと、オナゴが台所で作業するオババの横で何かを言っていた。吾輩は、ただただ二人の姿を見比べるくらいしかできない。

 その吾輩の後ろで、舎弟は吾輩のしっぽを猫じゃらし代わりとして必死に攻撃を繰り返している。時々命中はするのだが、特に痛くもなければ、それに対して怒りなどが激ってくることもない。

 舎弟よ、どうだ。

 吾輩ほどの器になれば、おまえのような攻撃も全く感じぬぞ。

 そら遊べ。吾輩は、それどころではないのだ。

「どうしたの?」

「うん・・・ちょっと・・・」

 二人の声の後ろで、ぺちぺちと冷たい床を叩いている舎弟の足の裏の音が妙な雑音に変わってきている。

「私ね。あの人とどうしたら良いか、ずっと考えてきたんだけど、答えがわからないの」

「・・・それで?」

「どうしたらいいかなって・・・」

 オナゴの視線が吾輩の視線とぶつかった瞬間、オナゴが片方の手のひらを突き出し、ひらひらと動かしてきた。

 いったいなんの動きだろうか。

 背後を確認するが、舎弟は相変わらずだ。ということは、我輩に向けての行動なのだろうが、その真意がわからない自分のもどかしさが際立ってくる。

「あなたは、どうしたいの?」

「・・・・・・」

「お母さんからは何も言えないわ。あの人をもう一度信じてみようって思うのなら戻ればいいと思う」

「・・・うん」

「帰りが遅いのは貴方にとって不快かもしれないけど、暴力も振るわないいい人じゃない?」

「・・・それが普通だと思うけど」

 一気にオナゴの顔色が悪くなったのを、吾輩は見逃さなかった。

 これ、舎弟よ。

 今は大事な話をしているのだ。その耳に障るような音はそろそろやめるのだ。

 ひと振り、大きくしっぽを振ると、舎弟の頬をぶったような感触があった。気になり後ろを振り返ったが、舎弟は転がりながらも、その体勢のまま吾輩のしっぽを捕まえようと必死になっている。

 やれやれ。

 舎弟の相手をしていると集中できんのだが、仕方がないな。

 オナゴとオババの話は、まだまだ長くなりそうだ。

「だと思うでしょう? でも、世の中にはいろんな人がいるの。お金持ちな人とそうでない人。暴力を平気で振るう男の人もいれば、ストーカーをする男の人もいるの」

「・・・・・・」

「もちろん、その逆もしかり」

「・・・・・・」

「たしかに、暴力を振るわない人は普通のことかもしれない。でも『普通のこと』を『普通のこと』で片付けるのも、少し違うと思うわ」

「そう・・・なのかな・・・」

 オババの今までの作業が完全に止まっている。

 オババよ。晩飯はまだか。早くしないと、あの男が帰ってくるではないか。吾輩は、あの男とは極力同じ空間にいたくはないのだ。

 我輩にとって、静かな空間の中で飯をかっ食らうのが幸せなのだ。

 主の家で過ごしていた時の、あの静寂の中で飯を食らうあの時間が、今では羨ましく感じてしまっている。

 舎弟よ。

 そろそろ、吾輩のしっぽで高揚するのも終わりにせぬか。

 そろそろしっぽにエネルギーを使うのはやめにしたいのだ。

 後ろを振り返り、舎弟に冷たい視線を送ったが、舎弟には全く通じておらず、むしろ、もっと振れ、と目で訴えかけてきていた。

「お母さんにとっての、お父さんとお母さんも、毎日いてる事が『普通のこと』だったのよ」

 ほんの少しの間があったと思えば、オババの口が再び開く。

 オナゴは、口を尖らせつつ、ゆっくりと下を向き始めている。

「でも、年を重ねれば重ねるほど、そうじゃない事に気づいていくの。白髪が増えていく姿を見たり、しわも増えていく姿も見たり、腰もどんどん曲がっていく姿も見てきたの」

「・・・・・・」

「そこまで来て、ようやく、あの時に一緒にいた『普通のこと』が、実はすごく幸せなことだったっていうのに気づかされるの」

「うん・・・」

「人は必ず死ぬ時がくる。貴方ももちろん、まずはお母さんとお父さんが貴方の目の前からいなくなるのよ」

「・・・・・・」

「そう考えたとき、今この環境でいる事が『普通のこと』であっても、それで終わらせるのは、少し残念なことじゃないかしら?」

 だんだんと空気が重たくなってきているのを感じたのは、おそらく気のせいではない。

 何も感じていないのは、おそらく今吾輩の後ろで戯れている舎弟だけだろう。

 どう説明すれば良いかわからぬが、何故か舌がピリピリするのだ。

 そんな重苦しい雰囲気になってきている中で、電磁波を放つあの箱からしか聞こえてくる物がない。

「・・・なぁーんて、話がズレ過ぎたわねぇ」

「・・・・・・」

 真剣な目つきから、いつも通りのオババに顔が変わった瞬間、その空気が少し柔和された気がした。

 けど、オナゴの横顔は、どこか納得できていないような顔をしている。

「じっくり考えてみなさい。世の中完璧な人なんて存在しないの。良いところがあれば、それと同じくらい悪いところもあるのが人間なのよ」

「・・・・・・」

「お母さんが言えるのは、それだけ。もっと知りたいなら、今度はお父さんにでも聞いてみなさい」

「・・・いいよ。自分が納得するまで口を酸っぱくする姿が目に見えてるし」

 オナゴはその一言だけを吐き捨てるように、暗がりの方へ歩いて行った。

 ふぅ、とため息をつくオババの姿と、オナゴが進んでいった廊下を眺める。

 いったい、何の話をしていたのだろうか。吾輩にはわからない。

 舎弟は・・・わかるはずがないか。

 そう思ったと同時に、舎弟の体が激突したかのような、今までとは少し違う衝撃を背中に感じた。それに驚き、舎弟の方に体を向けると、相手は既に起き上がっていた体を横にし、腹を上にしては我輩を上目遣いで見つめてくる。

 ・・・すまぬな舎弟よ。

 今は、そのような事をする気分ではないのだ。

 オナゴが気になるのだ。

 吾輩は、しっぽをゆっくりと振りながら待つ舎弟を無視するかのように、オナゴが消えた先へと足を運んだ。

次回公開は、23日0時になります。

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