⑳改築前の説明会
「だから!! 引っ越しナンて出来ませんから!!」
小さな女の子を連れたフォンさんが声を荒げながら立ち上がり、俺と千乃を睨み付ける。
「いや、引っ越しする必要はないんですよ? ただ、順次改装する為に一時的に荷物を他の棟に置いておくだけで……」
俺の説明に、フンと息を吐いてから着席し、暫く静かにしていたが、やはり納得していないようだ。顔に出るから直ぐに判るんだよなぁ。
「……引っ越さない、荷物、別の棟に移す、それは判ったデス。でも私達、仕事休めない。だから、直ぐは無理……」
そうなのか……フォンさんみたいに不安定な職種だと、気安く休めば直ぐに解雇される不安が付き纏って、簡単には受け入れられないヒトも居る訳か……いや、もしかしたら、また別の理由があるかもしれないか。
俺は自治会長さんから許可を得て、回覧板で改装の説明会を住人に報せた。その後に設けた説明会場にやって来たベトナム人のフォンさんは、住んでいる五号棟の代表として話を聞きに来てくれたのだが……
《私達は引っ越さない!! 家賃高くなるなら改装要らない!!》
会場に集まった何人かの住人に資料を配ろうとした直後、唐突に立ち上がり、俺に向かって大きな声で叫び始めたフォンさん。反対派が居るかもしれないとは思っていたが、やはり低所得者からの意見は想定通りの内容だった。
《改装する? その間、何処に住む!? 仕事、どうなる!?》
年金受給者のお年寄り達は、概ね改装に理解を示してくれたのだが、黙っていても一定額の収入が有るお年寄り達とは違い、外国人労働者の大半は短期雇用のパートタイマーや工場勤務が多い。自分達が少しでも長く職場から離れれば経営陣に新たな雇用者を探されてしまい、そのプレッシャーから逃れられず……反対派になってしまう。
う~ん、こうなったら奥の手を使うしかないか。
「……改装には、新たな商用施設を作る箇所も有ります。そこで働く事も可能ですよ?」
俺は新しい資料を取り出すと、フォンさんに手渡した。シングルマザーで幾つかの職場を掛け持ちしながら、何とか生計を立てている彼女は、資料を暫く眺めてから、
「……字が、多くて難しいデス……」
恥ずかしそうに呟くと、少しだけ落ち着いたのか椅子の上で肩に届く黒髪を触りながらまだ小さい娘さんの頭を撫でてから、チラリと俺の顔を見た。
「ご心配無く。だから、説明会をするんです。さて……」
俺は彼女の視線を、自治会館の会議室に置かれたホワイトボードに誘導し、部屋の明かりを少しだけ暗くした。
【……朝日団地改装に伴い、誘致する予定の店舗をご説明します。先ずは……】
プロジェクターが映像をホワイトボードに映し出すと同時に、千乃が落ち着いた声で話し始めた。
団地の五階及び一階部分を利用し、その場所に入る予定の輸入雑貨やアパレルブランドを扱う店、そして飲食店等を紹介する画像が映し出されていく。クラウドファンディング募集と平行し、安く提供出来る新規テナントとして募集した所、かなりの数の募集が有った。そんな店舗の紹介の一つの画像に、フォンさんの眼が釘付けになった。
「……アオザイ? キレイな色……」
我を忘れて呟いた言葉に視線を追うと、ベトナムの伝統的衣装のアオザイを着た女性が二人、並んで歩きながら輸入雑貨店の店内を紹介している動画が映し出され、その姿をフォンさんは食い入るように見つめていたのだ。
自治会長から聞いた話だと、学生ビザで日本にやって来たフォンさんは、来日して直ぐに日本人と結婚したが、一年で離婚。それからは働き詰めであっという間に五年が過ぎたらしい。若くして異国の地で娘と二人だけの暮らしを余儀無くされ、生活の不安と故郷への郷愁に焦がれながら生きてきたのだろう。細身の女性に良く似合うアオザイは、まだ若いフォンさんが着ればきっと似合う筈だ。
「あの店は、五号棟に出来るんですよ。思いきって、転職されては如何ですか?」
「……私、そんな若くない……あの娘達みたい、無理……」
お節介を承知で聞いてみるも、フォンさんは悲しそうに首を振りながら、寂しげに俯いたまま娘の肩を抱いた。
「フォンさん、私はあなたがこの店で働く方がいいと思います」
そんな彼女に、千乃が傍らに寄り添いながら、静かな口調で語り掛けた。
「小さなお子さんがいらっしゃいます。何か有ったら直ぐに駆け付けられる場所で働いた方が安心でしょう。それに……」
そう区切ってから、千乃はフォンさんの子供の頭に手を載せて、ゆっくりと撫でてから、
「……こんな可愛い娘さんが居るお母さんには見えない位、まだまだ若々しいと思います」
そう言うと、ニコリと二人に微笑んだ。すると、今まで黙ったままフォンさんにぴったりとくっついて黙ったままだった娘さんが、弾けるような笑顔で千乃に向かって、
「うん!! ママ、きれいだもん!! おねぇちゃん、ありがと!!」
そう言うと、照れ隠しにフォンさんのお腹に顔をグリグリと押し付けながら、千乃に手を振った。
「……ありがと、ございます……」
潤んだ眼から零れ落ちる前に手で涙を拭いてから、フォンさんは短く返事をして、
「……怒って、ごめんなさい……不安、だったから、つい……」
そう詫びると、ペコリと頭を下げた。
「そんなん千乃ちゃんは気にしてないから、心配する事ないよ! なぁ、千乃ちゃん!!」
宝田さんがそう言いながらガハハと笑い、その言葉にそうそう! と会場に集まったお年寄り達が同意しながら、
「ねぇ、何ならウチでお嬢さんの事、見ててあげようかい?」
「そうそう、宝田さんちじゃ変な事を吹き込まれちまうからな!」
「酷ぇなぁ~! 俺がそんな悪い奴に見えるかい!?」
「あ~、見えるなぁ~!!」
そんなやり取りにドッと笑い声が起こり、場の空気が一気に軟化していく。だが、俺は説明会の結果よりも更に気になる事で、頭が一杯だった。
……千乃、いま、笑ったよな……?
「良かったじゃないですかぁ~♪ 皆さんにそう言って貰えて!」
説明会を終えて千乃と共に帰宅すると、るみがブランド物のジャージ姿で出迎えながら、俺の手から残った資料を取ると居間の片隅に置かれた机の引き出しに仕舞った。
あの日から時間が経ったにも関わらず、【ヨーチューバー・るみ】は全く帰る様子も見せず、千乃のルームシェア仲間ポジションを確保している。つーか、居候を決め込んで我が物顔で住んでいる。社会人だから今さら保護者を呼べとは言えないし、千乃は全く気にしていない様子なので、俺に発言権は無いようだ……家主なのに。
「いやぁ~、それにしてもセキュリティ以外は快適そのものだよねぇ~♪」
そう言いながらるみは、ヨギブォーの巨大なビーズソファーに身を預け、足をばたつかせながら嬉しそうに伸びをする。
(えええぇ~ッ!? 何で窓がこんなに重いんですか!?)
そう驚いていたのが嘘のように、安心しきった顔でスマホをいじる。そりゃあ昭和の建築物だから仕方無い。鉄製のサッシなんて今じゃ有り得ないからな。ガラガラと重いサッシが勢い良く動くと、指先なんかで軽く抑えても止まりはしない。指を挟めば悲鳴出る位に痛い代物だが、硝子は普通の擦り硝子。叩けば簡単に割れてしまうだろう。
「ま~、同居人自体が、警備会社よりも安全安心なんですけどねぇ~。ねぇ、日隈ちゃん?」
そう言うと、いつもの場所で朝日団地の新しい募集動画を見ていた【ヒグマ怪人】がウンウンと頷きながら、
【でもさぁ、この前も変なヒトが来たから玄関開けて見に行ったら、ビックリして逃げちゃったし~。何か失礼しちゃうよね!】
タブレットを使い、そんな事を言いながら顎の下をポリポリと掻いている。ま、普通の団地基準で見れば、身長二メートルの体格の生き物が住む事自体、異常事態なんだろうけれど。
ま、【ヒグマ怪人】改め《日隈》君は、狭い巣穴の中でも気にしないヒグマだったんだ。狭いとか言う筈もない……って、ちゃん付けで呼ぶの? デラマッチョな巨人を……?
「あ、そうそう! 浅井さん、私の書いたコメントにリピートが沢山来てるけど、見てみる?」
コミュニケーション能力の賜物か、るみのアピール活動によってクラウドファンディングにも問い合わせが増えてきた。彼女が抱えるフォロワーは軽く二百万を超えているのだから、そりゃあ当たり前なのかもしれないが……
「……ふむ、二万……って、もしかしてコレ、全部クラウドファンディング目当てのコメント?」
「そうですよ! ……《興味有りますね。詳しく知りたいです》……って、これはネット系会社の役員さん。若いけど投資とかバンバンしてるタイプだよ?」
事も無げに個人情報を垂れ流すスタイルはともかく、彼女の拡散力は侮れない訳で、実際に投資申し込みも日々増えてきている。うん、そろそろ頃合いかもしれない。
(……さて、次の段階に入るとするか)
俺はそう心の中で呟きながら、改装計画を進める為に動く事にした。