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⑫暗躍する奴等。



 【んんんぅ~っ、とっ!!】


【ティンダロス】が疾走する電子空間に、新たな障壁が立ち上がる。擬似的な視界一面を覆い尽くすように立ち塞がるそれは、通常のインターセプトプログラムでは回避出来ない防壁(ファイアーウォール)の一種だが、【ティンダロス】にとっては所詮、張りぼて以下でしかない。


 突き出した手で防壁の表面に触れると鮮烈な紫電が迸り、電子空間を青白い光が染め上げるが、【ティンダロス】の身体は微動だにしなかった。


 【……ふぅ、時間を無駄にしちゃうけど……手間を惜しんで誤差を増やす訳にはいかないや……】


 複雑な電気信号に置き換えられた身体は、現実の肉体とは違いどれだけダメージを受けても損失は生じないが、目も眩むような速度で情報処理を行う電脳空間に於いて、余計な手間で時間を失う事は出来るだけ避けたい。だが、【ティンダロス】は情報の精度を落としたくなかったので真っ正面から対峙した。


 バン、と両手を防壁に叩き付け、流れ込む大量のプログラムを次々とチェックして、致命的な速度低下を誘発する論理爆弾の起爆コードを避けながら、ゆっくりと防壁の中へと侵入していく。


 【ティンダロス】は電脳空間に初めて足を踏み入れてから今日まで、夥しい量の情報に満ち溢れたこの世界を動き回り続けた。そして、次第に自らの肉体を電脳空間に適した存在へと進化させていったのである。


 現実世界の肉体は、見た目は黒い毛並みに覆われた四つ足歩行の犬に近い形態だが、電脳空間での肉体は更に長く太い尻尾を幾つも備え、その尻尾を自らの複製のように操りながら平行処理を行う術を編み出した。


 闇のように先の見えない防壁の中を、ぬるりと進みながら、絶えず尻尾を揺れ動かして最適解の進路を選び続け、やがて黒い身体はポン、と唐突に抜け出し青白い光に包まれる。辿り着いた先は……


 【……はい、到着ぅ~♪】


 そこは広大な電脳空間の只中、周辺に目立つ物も無い平坦な地形になっていて、足元には浮かび上がるように格子状の構造体が屹立し、その中心部に幾つもの立方体が纏まって遥か彼方の高みまで伸びていた。


 その立方体は超高密度で構成されたあらゆる情報の集合体。通称《レンの高原》と呼ばれるネット空間の緩衝地帯に存在する、複数の企業が互いの利益を確保しながら情報を共有する為に作り出した、全世界規模の情報貯蔵所である。


 通常、企業体に属さない者が許可無くアクセスする事は事実上不可能で、無防備に近付けば先程の攻性防壁で瞬時に焼き尽くされる。その対応は肉体の有無を問わず、無謀なハッカーが下準備もせずに侵入を試みれば、無惨な脳死体を安アパートの一室に曝す事になるだろう。だが、不幸な犠牲者を世間の目は只の衰弱死程度としか見る事は無い。


 現在、電脳空間への全身投影は研究段階から少ししか進んでいないが、民間に流れた技術は倫理的な側面を補うよりも早く人々の間に浸透し、また新たな活用法を生み出している。


 ……しかし、【ティンダロス】は人々の苦闘を嘲笑うかのように、易々と電脳空間を闊歩する。


 何故なら、彼等には物理の壁が存在しないからだ。


 人間は電脳空間に於いて情報を取り込む際に、必ず身体信号に置き換えないと情報処理を行えない。脳にダイレクトに情報を送り込んだとしても、脳は過去に経験した身体信号へ変換しないと情報を認識する事は出来ない。「あ」という字は、「あ」という線の形として視覚情報に変換され、脳内で過去に見た「あ」という字と同じだ、と理解して初めて認識される。「ゐ」や「る」との違いも視野情報を経て識別しないと判らないのだ。


 だが、【ティンダロス】達は情報を視覚や触覚に置き換えずにダイレクトで認識出来る。空気の存在しない宇宙空間でも、彼等は粒子の微細な動きを波動として感知し、自らが進む先に何が有るのかを知覚する事が出来る。不老不死の彼等に、肉体の束縛は無意味であった。


 そんな彼等は、初めて触れた《情報》の価値を知り、停めていた進化の過程を一気に加速させて、現在の状態を確保したのである。


 【……さてさて……お目当ての博士は何処で遊んでいるのやら……】


 立方体に近付いた【ティンダロス】は舌(なめず)りしながら、黒光りする表面にぴと、と頬を当てると、何本も有る尻尾を更に枝分かれさせて揺らし始める。


 耳の傍でガラスを引っ掻くような高周波を伴いながら、尻尾は情報処理の速度を高め、幾重にも張り巡された防壁を次々と破っていく。そうしていく内に、とうとう立方体の表面が黒から青、そして水色から透明に変わり、【ティンダロス】はニタリ、と笑い、押し付けた頬に力を籠めた。


 するとじわり、と立方体の表面が溶けるように揺らめき、当てていた頬からずるり、と頭が中へと入り込んだ。


 【ふんふん……匂いがする……()()()()()だ……】


 首から下を立方体から飛び出させたまま、【ティンダロス】は目的の情報を求めて知覚能力を最大限に発揮し、餓えた獣が臓腑を食い千切るように咀嚼しながら、立方体を掻き回していく。


 【ふぅ~ん、博士ったら……案外近い場所に居たんだ……】


 ずぼ、と唐突に頭を引き抜きながら、【ティンダロス】は獲物の匂いを嗅ぎ付けてほくそ笑む。


 【……さぁて、嬢ちゃんを焚き付けてみるかぁ!!】


 静かに動き出して、直ぐ様最高速で元来た路を戻り、やがて姿を変えながら消えていった。




 場所は変わって、某自衛隊駐屯地……の、地下深く。


 ……ヴゥン、とテーブルの上で、椅子で眠るめぐみのスマホが一瞬だけ振動し、画面が点滅する。


 と、その瞬間、狭い画面から黒い霧が細長く立ち昇ると、次第に濃く、そしてハッキリとした形を帯びていく。


 【……ん? 寝てるのか……おーい、起きろぉ~。博士の居場所の目星付いたぞぉ~】


 黒い霧が見覚えのある黒ずくめの女性の姿になると、白く細い腕を伸ばしてペチペチとめぐみの頬を叩きながら、相変わらずの間延びした声で彼女を目覚めさせる。


 「……んにぁ? ……ここ……どこ?」

 【寝ぼけてる場合じゃないよ~、博士は昭嶋だよ~】

 「んん……昭嶋……どこ、そこ……」


 要領を得ない声で応じながら、被っていた毛布で顔を隠してから、狭い椅子の上で寝返り……



 「うにゃっ!?」


 ガチャン、と音を立ててひっくり返った椅子から落ちためぐみは、尻尾を踏まれた猫のような叫び声を出しながら毛布を跳ね退けた。


 「何よもぅ!! あ~、ビックリしたぁ……って、何してんのアンタ?」


 目を擦りながら目覚めためぐみは、目の前の【ティンダロス】の姿に気付いて問いかける。


 【それはコッチの台詞でしょ……真夜中だけどさ、丁度良いんじゃない? 博士の寝込みを襲撃するチャンスよ?】


 【ティンダロス】は呆れたように腕を組みながら、しかし忘れずにめぐみに向かって探索の結果を報告すると、


 「……昭嶋市、ねぇ……確か、友達の実家がその辺りだって言ってたっけ……誰だったっけ?」


 めぐみは顎に手を宛てながら思案するが、まーいっか? と締め括って忘れる事にした。


 「今は何時だろ……あ、二時か……うん、様子見に行ってみるか……」


 めぐみはそう言うと、毛布を椅子に掛けてから部屋を出て、地下通路を地上に向かって登り始める。


 【ねぇねぇ、博士が居たら私も見てみたいなぁ~。どんな奴か会ってみたかったんだよねぇ~】


 ツカツカと先を急いで歩くめぐみの後を、滑るように音も立てず追い掛けながら、【ティンダロス】が話すと、えっ? と言いながらめぐみが振り返り、


 「……アンタにしては珍しい事を言うね……何で?」

 【ん~? 別にぃ~】


 そう聞いてみたのだが、【ティンダロス】はそれだけ言うと黙ってしまう。けれど、その思考は只一つの事に支配されていた。


 (……博士って……そんなに頭が良いんなら、私の知りたい事も知ってる筈だよね? だったら……きっと、()()()()()()()()……)







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