⑪帰投する魔法少女。
……すっかり夜も更けた都市の外縁部にひっそりと佇む、某自衛隊駐屯地の一角。
その正門として使われている場所の片隅に、目立たないように遮蔽板で隠され、二十四時間体制で監視されている通用口が在った。
そこを訪れる者はほぼ皆無だが、幾つものセンサー類の前を通過し、掌と網膜の毛細血管パターンを解錠キーとして登録してある者のみが、堅牢な自動ドアの向こう側に行く事が許されていた。
駐屯地の前を通る国道の歩道を、トボトボと重い足取りで進むブレザーにコートを羽織っためぐみが、べたりと掌をタッチパネルに押し付けると、ジーッという鈍い電子音と共に幾つものロックが外されて、静かにドアが開かれる。無言のまま彼女が扉の向こう側へ身体を滑り込ませると、背後で閉まったドアはカシュカシュという駆動音と共に再びロックされた。
「……只今、戻りましたぁ……」
「あ、おかえりなさい。随分と時間が掛かったじゃない?」
その自動ドアを抜け、めぐみは地下へと続く通路をひたすら歩き、やっと辿り着いた監視センターの中へ足を踏み入れると、やや年上の自衛隊の制服を着た女性に出迎えられる。
「……もう、マジで信じらんないからっ!! 三時間おきのバスに、終電間際の電車よ!? こんなんブラック企業もいいとこじゃない!?」
年相応に感情を爆発させる彼女に、まぁまぁと宥めながら手にしたカップを差し出して、
「お疲れ様ね……まぁ、これを飲んで落ち着きなさいな……あ、ココアだけどいい?」
「えっ!? 経費で落ちる奴!?」
「……公費よ、だから安心して飲んどきなさいって……」
奪うようにカップを手に取ると、凍えて冷たくなった掌がじんわりと温まり、続けて唇を付けて甘くてコクの有る褐色の液体を飲み込むと、今までの刺々しかった気持ちが和らいでいく。
ほぅ……と、やっと一息ついた彼女は、更にもう一口啜ると傍らに置かれていた椅子に腰掛けて、ようやく肩の荷が降りた気がした。
「あぁ~、生き返るわぁ……」
思わず漏らした一言に、先程の女性がクスリと笑いながら、
「もう……私よりずーっと若いんだから、もう少しそれらしくしてもらえないかしら?」
「……二尉、ソイツは無理な相談ですじゃ……あぁ、おいちいなぁ……」
【二尉】と呼ばれた女性は苦笑いしながら、年の離れた【超越者】の丸まった背中にフリース毛布を掛けてやった。
(……まだ年端もいかない年少者に、私達は何て身勝手な事を押し付けてるんだろう……)
【ヒーロー管理本部】に所属する橋本 友紀二尉は、自分達の安全確保の為、策を労して【超越者】達を登録管理、或いは【超越者】同士を戦わせて排除してきた。それは社会秩序を保つ為に必然ではあるが、当事者である彼等【超越者】の権利を蔑ろにする事でもある。
自衛隊にしろ警察にしろ、先制攻撃を行う事は出来ない。現場に派遣される対テロ部隊ですら、煩雑な手続きと根回しが有って、初めて動く事が出来る。勝手に怪しい人物や集団を相手に武力行使をする事は法律上不可能なのだ。況してや相手が並大抵の戦力では立ち向かう事すら叶わない【超越者】だとしたら……制服組の出る幕は永遠に訪れないだろう。
規定に則り、めぐみの実家に連絡し、帰着したのが遅い時間だし明日は土曜日だから、今夜は泊める旨を丁重に説明すると、既に幾度もやり取りしてきた母親は電話の向こう側で頭を下げながらなのか、言葉を区切りながら友紀に対する信頼感をありありと感じさせつつ礼を言う。
《本当に申し訳御座いません……出来の悪い娘に親切丁寧に勉強を教えて貰っている上、泊めて頂けるなんて……》
「いえ、泊めると言っても私の自宅ですし……進学ゼミにも近いので」
そう返しながら、友紀の胸の内はチリチリと痛んだ。
めぐみの両親は、偽装された架空の進学ゼミに通っていると思っている。つまり、彼女の【超越者】としての活動は知らされていないのだ。
……もし、何らかの理由で彼女が命を落としたら……不慮の事故に巻き込まれた、とでも国家は取り繕うのだろうか?
友紀とめぐみが所属する【ヒーロー管理本部】は、【超越者】を確保し管理する。だが、行っているのはそれだけではない。カバー企業を立てて、様々な偽装工作や追及回避も業務の内なのだ。綺麗事だけで世の中が回る事は有り得ない。
だからこそ……友紀は苦悩する。【超越者】をヒーローに仕立てて同類同士で戦わせて、どちらかを犠牲にしながら社会秩序の安寧を保っているのだから。
(……私って、どんな理由で自衛隊に入ったのかな……もう、覚えてないな、昔の事だから……)
そう心の内で振り返る友紀の経緯は、それなりに複雑だ。
長く付き合っていた相手と結婚し、直ぐに退官するつもりだった彼女を引き止めたのは、現在の職場の上司である。夫でもある彼と籍を入れた当初は、まさかこうなるとは思ってもみなかった。引退し、のんびり妊活でもしながら専業主婦をするつもりだった筈が、年の離れためぐみや他の【超越者】達の面倒を見る事になるとは……。
(……さて、報告書を纏めて……めぐみさんを寝かせるのは、それからにしましょうか……)
三十路手前の友紀が、めぐみの母親代わりかと思う程に甲斐甲斐しく世話を焼けるのは……長年の夢だった育児の予行演習だと割り切っているからか。
駐屯地の地下深く、今夜も遅くまで仕事に励む友紀の隣で、幸せそうな寝顔で毛布にくるまったまま、めぐみが椅子の上で呟いた。
「……おかえり、おにいちゃん……」
……同時刻、朝日団地。
通常、テレビアンテナの設置の為に工事業者が立ち入る時以外、五階廊下の天井に設けられた円形の出入口は固く閉ざされ施錠されている。子供が悪戯に上がれないよう、梯子を掛けなければ近付けないし、住人は誰も鍵を持っていない。
【戦闘員A】こと益田 郁郎は、深夜の団地の廊下を静かに歩き、階段に到達すると上へ上へと登っていく。
やがて五階に到達すると、迷うことなく出入口に……向かわず、あろうことか廊下の端に取り付けられている雨水を下水口に流す排水パイプを掴み、手慣れた手付きでスルスルとよじ登り、あっと言う間に屋上へと辿り着いてしまった。
屋上には何本かのテレビアンテナが有るのみ。当然ながら人の姿は無い。そのアンテナを避けながら東の端まで辿り着くと、郁郎は足を屋根の隅に投げ出して腰掛けるように座り、明るい街の灯りに照らされる夜空を眺めた。
彼の実家は東京の区域内。今居る多摩地区とは違い、夜になっても暗くなる場所は余り無い。更に西の方に行けば、山並みに囲まれた田舎の風景へと変わり、夜空に星がクッキリと見えるだろう。
無言のまま、郁郎は夜空を眺めていたが、やがて飽きたのかその場で立ち上がったのだが……
ふらり、と重心を建物の外に移したかと思うと、足を下にして屋上から身を躍らせて真っ直ぐ落下していった。
びゅう、と耳の周りを冷たい冬の夜風が吹き抜ける中、全身で大気を捉えながらトレーナーとジーンズの裾をバタバタと鳴らしつつ、緊張感の欠片もない自由落下で加速し、遂に足の裏で地面を踏み締めた。
ドン、と鈍い音を立てて裸足の足裏が土の感触を捉えたが、強烈な着地の衝撃を全身の関節を駆使し最小限まで殺し切り、やがてゆっくりと立ち上がると何事も無かったように歩き出す。
「……ん? いつの間に外に行ってたんだい?」
「……ちょっと、夜風に当たりたくて……」
玄関の扉を開けて中に入ると、博士が居間のテーブルにノートブックパソコンを広げて何かを熱心に打ち込んでいた。郁郎に気付いて声を掛けると、ボリュームに乏しい小さな声でそれだけ言い、足の裏を拭く為に風呂場へと向かって行った。
(……身体が、勝手に動くし……飛び降りても、何も感じない……)
あんな無謀な事をしたのに、恐怖心も得られない。命の危険を感じて身体が反射的に強張る事も無い。博士の施した改造手術は完璧過ぎた。郁郎が求めた強さは確かに得られたのかもしれないが、彼の心を支配しているのは空虚さだけだった。
(……博士、強いって何なんでしょうか……)
まだ若い郁郎は漠然とした疑問に苛まれつつ、大きな身体を布団から飛び出させながら眠る【ヒグマ怪人】に近付くと、布団と毛布を掛け直してやる。
「……ぷふぅ……ひゅー、ぶふぅ……」
鼻を鳴らして寝息を立てる【ヒグマ怪人】にほんのりと微笑んでから、郁郎は細い身体を布団の中へと押し込んだ。