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迷宮街血風録  作者: 天堂秋男
第一章 新宿迷宮街
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市塵を遯れて

 緑に飲み込まれ原型を失いつつある東京の、遙か向こうに陽が沈んでゆく。

 夕陽を背にして荒廃した東京を進むのは、黒光りする鱗と甲羅に身を鎧った六本足のモンスターだ。

 従魔の背で輿に揺られながらシラヤマ・ノゾミは、気のない様子で何か一冊の本をパラパラとめくっている。

 いよいよ暗くなってきた視界に降参した彼女は、本をバッグの中へ仕舞うと小さなため息をつく。

 今にも沈もうとする夕陽が、その横顔を照らし輪郭を浮かび上がらせた。


 かつては運動公園として整備されていた荒川の河川敷も、今では水田や畑が広がる耕作地となっていた。

 残光の中にシルエットを描く岩淵水門は、文明崩壊から百年を経ても未だ威容を損なわず其処にあった。

 門のすぐ傍を巨体のタラがノシノシと歩いていく。その背中で輿に揺られるノゾミは物憂げな顔で頬杖をついていた。


 果たし合いの場から立ち去った彼女は備品を補充すると、預けていたタラを引き取り、その足で新宿迷宮街を飛び出した。

 これまで通りなら二~三日もすれば自分の元に、馬鹿や死にたがりが押し寄せて来るのは目に見えていた。

 ひとまず事態が落ち着くまで数日は行方を眩ませるつもりでいる。

 どちらにせよ新宿の迷宮に潜る目的があるので、いつかは迷宮街に戻らざるをえないが。


(初日からこれか……)


 割り切れない思いを抱えて、ノゾミはひとり重い息を吐いた。

 経験上、自分を殺そうとした人間を見逃せば、後で余計に沢山の人間が死ぬことになる。

 では、気に入らない連中を片っ端から叩き斬って、屍山血河を築けば気分良く過ごせるのか。

 ある種の狂人なら平穏を享受できるかもしれないが。


 かといって実力を隠し、庭石の裏にいるワラジムシみたいに、コソコソと世捨て人として日陰に生きるのも真っ平だ。

 しかし、強ければ強いほど悪目立ちしてしまい面倒ごとは増えていく一方だった。

 金や名誉や泣き落としで汚れ仕事をさせようとする、強かな自称「無力な一般人」の言動には辟易させられている。


 マトモな警察も軍隊も無い世の中では、暴力の多寡が事態の趨勢を決める。

 だから、誰しもが自分の意志で自由にできる暴力を欲する。手には入らなくても、なんとか顔を繋ごうとする。

 それは結局のところ、〈大破壊〉(ハヴォック)以前の世界も同じだったろうが、今ではそれがより露骨な形で現れている。

 盤面をひっくり返せるほどの超暴力を持った個人は、あらゆる局面において事実上の決定権を持っていると言える。


(冗談じゃない)


 大の大人が何人も角突き合わせている問題について、後からやって来た部外者になにが分かるというのか。

 いきさつを一切無視した無責任な判断なら出来るだろう。それが役に立つ場合もあるだろう。

 だが、当事者たちはそれで納得できるのか? 人間はそれほど物わかりが良くなれるのか?

 たかが個人にそんな責任が背負えるものか。

 大いなる力には大いなる責任が伴うと、いにしえに人は言う。


「そりゃあ大嘘だなァ」


 ノゾミの祖父であり、師でもあった男は、生前そう言っていた。

 とりわけ晩年は酒が入ると、覿面に愚痴っぽくなった。


「力を持った人間が無責任だと皆が迷惑する。力があるんだから他人を気づかう余裕を見せろ」


 なにかを思い出しのか、顔を歪ませながらクニヒロは吐き捨てた。


「そんなモンは手前ェらの勝手な都合だろうが」

「でも、みんな助かるでしょ?」


 当時は子供だったノゾミが、そう反論した。


「そんな『みんな』なンてェな、いっそ思いっきり困りゃあ良いんだ。たったひとりが馬鹿やった所為で簡単にブッ壊れちまうモンなんてな、その時点でとっくに終わってンだよォ。悪いってンならなぁ、必死に見えないフリしてた能なしども全員が悪ィ」


 祖父の人間不信が何に起因するものなのか、結局ノゾミは知らないままだ。

 そして、自分も年を経るごとに祖父に似ていくようで、それは彼女にとって憂鬱の種のひとつだった。


 崩れた橋の下でいったん身を隠すと、ノゾミは陽が沈むのを待ってからタラを川の中に進ませた。

 しかし、今のところ目的地は特に無い。ひとまず新宿から離れられればとしか考えていない。

 ノゾミに東京周辺の土地勘は無く、頼れるものといえば手持ちの〈大破壊〉(ハヴォック)以前に出版された古い地図しかない。


「ま、なるようになるか……」


 夜の闇に溶け込むような黒い巨獣は、月明かりに照らされた川面を流れに逆らい進んでいった。

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