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迷宮街血風録  作者: 天堂秋男
第一章 新宿迷宮街
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迷宮街の朝

 雨の降り続いた昨日とはうってかわって、その日の新宿の空は朝から晴れ渡っていた。

 外から部屋に吹き込んだ風がカーテンを揺らしている。窓から差し込む陽射しがノゾミの頬を撫でていく。

 眩しさに目をしばたたかせ、彼女は薄らと目蓋を開いた。


「ぅあー……」


 あくびと共にノゾミが身を起こすと、だいぶボロの来ているパイプベッドが抗議の悲鳴を上げた。

 彼女は下着の上にシャツ一枚の姿で、ベッドの上に胡座をかいて室内を見回す。

 ボロだが、きちんと掃除の行き届いた部屋が、窓から差し込む陽射しに照らされている。

 部屋にはベッドの他に家具はない。昨晩、空き室だった所へ急遽ベッドを持ち込んだのだ。


 昨晩は真夜中過ぎに新宿へ到着して、そのまま〈闘争の神ウォニオス〉の教団が保有する施療院で厄介になった。

 今も部屋の外から薄い壁越しに、忙しく働く人たちの気配が伝わってきている。

 新宿迷宮街で最初の朝を、ノゾミは清潔なベッドの上で迎えることが出来た。


 部屋の隅にあった小さな洗面台の蛇口をひねると、ちゃんと問題なく水が出た。

 顔を洗い口を濯いで少しマシな顔になったノゾミは、念入りに時間をかけて歯を磨いていく。

 就寝前後の歯磨きを欠かさないのは文明崩壊後を生きる人間の嗜みだ。

 最悪は歯医者も麻酔もないところで歯痛に襲われるハメになる。町中に歯医者がありふれている現代日本とは事情が違うのだ。

 歯ブラシを口に咥えたままのノゾミが、窓の向こうに広がる空へ目をやると、太陽の位置はもう昼に近い。

 彼女は、寝起きの回らない頭で身の振り方について考えてみるが、特に良い考えは浮かんでこない。

 と言うよりは、考える材料がまったく足りない。


(どうしようかしら……?)


 難しい顔になったノゾミの腹から、グゥと小さな音が洩れた。



     *****



 前日、マコは攫われた挙げ句に犯されかけ殺されかけたにも拘わらず、今日はもう仕事場である施療院に顔を出していた。

 ロッカーのドア裏に備えつけられた小さな鏡で、昨日までとなにも変わらない自分を確認する。

 ひと晩休んで体力は十分に回復していた。

 彼女は専業の探索者(シーカー)ではないが日頃から迷宮に出入りしており、常人以上の体力や身体能力を得ている。

 だから、本当は朝から出勤するつもりだったマコを、流石に周囲の者たちが引き止めた。

 傷は〈回復薬〉(ポーション)で消えても心労は消えない。皆が彼女を心配するのは当然の流れだ。

 マコ自身も自分がケガ人を治療する際には、〈奇跡〉で傷が癒えても数日は様子を見るよう患者に言うのだから、医者の不養生もここに極まれりである。


 結局、今日は半休で午後からの出勤ということで折り合った。

 だが、マコに言わせれば、こんなときだからこそ、日頃と変わりない姿を敵に見せる必要があるのだ。

 暴力に訴えてきた相手へ自分の動揺する姿を、わざわざ見せてやるほど彼女は可愛い性格ではなかった。

 仲間を安心させると同時に、敵対者には何をしても無駄だと思わせる。


(それが出来れば良いですけど……)


 油断をすると、つい大きなため息が出そうになる。

 マコは気を引き締め直し、更衣室を出た。


「マコさん!」


 廊下へ出るなり呼び止められた。

 声をかけたのは、マコが着ているものと同じ系統の、より簡素なデザインの服を着ている少女だった。

 日頃から施療院で奉仕活動をしている、教団で面倒をみている孤児の一人だ。

 遠目にマコの姿を目にし慌てて駆けつけたから、ほんのり上気した顔が赤味を帯びていた。


「これをっ」


 折りたたまれた一枚のメモが差し出された。表に書かれた宛名はマコになっている。

 サッとメモに目を通したマコは小さく頷いた。


「……ありがとう。確かに受け取りました」

「あのぅ、行かせちゃって良いんですか?」

「中身を読みましたね」


 指摘に狼狽える少女をジロリと睨むと、マコは再びメモに視線を落とした。


「せめて事件の背景ぐらいは、耳に入れていくと思ったんですけどね」


 当ての外れたマコが、困ったように眉根を寄せた。

 彼女を襲った二人組の所属していたチーム〈斧頭団〉(アックスヘッズ)について、残った他のメンバーがどう出るか調査するべく、既に〈血染めの外套〉(ブラッドコート)は動いていた。

 今回の件が二人だけの独断であれば、〈斧頭団〉(アックスヘッズ)との関係悪化は避けられない事態だが、直接的な報復の応酬には至らないと思われる。

 教団には、巨大な従魔を従えているうえ、手練れ二人を単独で倒せる(らしい)ノゾミを戦力として確保したい意向があった。

 そんな思惑を他所にノゾミは勝手に動き出している。

 マコは、改めてお礼を言えなかったことを申し訳なく思いつつも、恩人に厚かましいお願いをしなくて済み安堵していた。

 そして、ノゾミが新宿迷宮街に及ぼす影響に思いを馳せた。


「バカなマネする人が出ないことを祈りましょうか……」


 自分でも信じていないことを口にしながら、マコは診察室へ向かって歩きだした。



     *****



 ベッドの上へ念のため書き置きを残したノゾミは、施療院を後にして新宿迷宮街へと繰り出した。

 昨晩と同じく肩には二本の刀、手にはボストンバッグの旅姿だ。

 タラ(従魔)はひとまず教団が管理する空き地に預けてあるが、近いうちに引き取りに行かねばならない。

 それもこれも、此処での拠点を確保してからの話だ。


 前世紀には新宿御苑と呼ばれていた場所に、今はコンテナハウスとバラックが所狭しと建ち並んでいる。

 都内に築かれた居住地は、ほぼ例外なく、かつては公園だった場所に作られていた。

 いつ倒壊するのかわかない傾いたビルの下で暮らそうとする者は誰もいない。

 そもそも、本来なら元・都市部は住処として選ぶべき場所ではない。郊外とは安全性が比べ物にならないのだ。

 地下迷宮が無ければ、とうの昔に新宿も無人の廃墟となっていただろう。


 元・山手線が今では道として利用されているので、新宿迷宮街は一応、西側が町の正面口ということになっている。

 一日中、人と荷物の出入りする場所だから、いつでもそれなりに人通りがある。

 普通の村や町と違う点といえば、武器を見せびらかせるように歩く人間がやたらと多いことだろう。

 腰のベルトに拳銃を突っ込んだ警備員の姿もよく目に入る。


 ノゾミは、昼食を手早く済まそうと通りを彷徨ううち、いつしか屋台の建ち並ぶ一角にたどり着いていた。

 女の一人歩きで、おまけにキョロキョロ周囲を見回すから目立って仕方がない。どこからどう見てもお登りさんだった。

 不特定多数からの遠慮がない値踏みするような視線に曝されても、当の本人はどこ吹く風といった様子だ。

 ノゾミが、ふいに背後から近づいた引ったくりを、振り返ることもなく裏拳でブチのめす。

 一撃で昏倒した引ったくりを目にして、ずっと彼女の後をつけていた胡散臭い連中は、そそくさと人混みの中へ姿を消した。

 後顧の憂いを断ったノゾミは、屋台の匂いに誘われてきた客の作る列へと並んだ。


「こりゃあ、この辺じゃ使えないぜ」

「えぇっ?」


 支払いの段になって気づかされる。どうやらノゾミの予定は早くも狂ったらしい。

 大阪の迷宮街で使用していた〈巨人の財布〉ジャイアント・ウォレットが使えなかったからだ。

 〈巨人の財布〉ジャイアント・ウォレットは、地球の技術を参考に異界(アンヌン)で開発された、いわゆるプリペイド式カードである。

 屋台のオヤジが、鎖で首に提げていた金属製のプレートをノゾミへ見せる。

 確かに彼女の所持しているものとは作りが微妙に異なっていた。


「お客さん、外国の人?」

「違うけれど……」


 〈巨人の財布〉ジャイアント・ウォレットは、迷宮街などの異界(アンヌン)と関わりの深い場所でなら、何処に行っても使用できるという触れ込みだった。

 硬貨を持ち運ぶ手間が省けるだけでなく、魔力認証で本人にしか使えないといった利点もある。

 だから、大阪の梅田を拠点にしていたノゾミはあまり現金を持ち歩いていなかった。


(全国共通だと言ってたのに……)


 ノゾミは、ほとんど計画らしい計画を立てずに勢いだけで東京へ来たから、ここまでの旅路で現金の残りが心許ない。

 彼女は知らないことだが日本の東と西では、商いを取り仕切っている商会が異界(アンヌン)では別の国に所属しており、両者の間では〈巨人の財布〉ジャイアント・ウォレットに互換性がなかった。

 全国共通とは言ったが、ひと言もその国が「地球の国」だとは言っていない。そういう理屈だろうか。

 黙ってしまったノゾミに、屋台のオヤジがしかめっ面で釘を刺した。


「おいおい、食い逃げなんて冗談じゃねえぞ。面倒は止してくれ」

「……ああ、じゃあ現金でお願い」

「あいよ」


 いくら現金の持ち合わせが少ないといっても、まだ屋台で買い食いに困るほどではない。

 今の日本では現金取引の大半が異界(アンヌン)の貨幣で行われている。

 ノゾミは銅貨で支払いを済ませ屋台の列から離れた。


 名前の知らない葉に包まれたそれを、行儀の悪いことに歩きながら齧りつく。

 正体のわからない肉に、得体の知れない香ばしいソースを塗り、たぶん小麦粉っぽいもので作った皮に包まれたそれを、果たしてブリトーと呼んで良いのか。

 長距離輸送などというシロモノは前世紀までの話だから、この料理の材料も大半は新宿の周辺で取ったり作れたりするものだ。

 地産地消と言えば聞こえは良いが、材料の選択肢が大幅に制限されるうえ、その土地に向かないものまで育てる必要も出る。

 美味い料理を作りたい者にとって今は大変な時代なのだ。


(あの屋台はアタリね)


 舌鼓を打ちながらも、ノゾミは金銭の入手方法を考えていた。

 さしあたっては少額硬貨の持ち合わせがあまり無いから、どこかで金貨を崩さなければならない。

 さっさとこの地域で使われている〈巨人の財布〉ジャイアント・ウォレットを手に入れるべきだろう。

 西に戻るまでは使えない手持ちの〈巨人の財布〉ジャイアント・ウォレットをどうするべきか。

 もしかすると屋台ではなく、例えば両替商なら使えるのか。

 そもそも、いま幾ら〈巨人の財布〉ジャイアント・ウォレットに入っているのか彼女はよく覚えていなかった。

 ひとり通りを歩きながら考えに沈んでいたノゾミに、物陰から小さな影が飛びかかった。


「甘い」


 ノゾミのコナモン(不確定名)を持った手がサッと宙を翻ると、目標を失った影の攻撃は空を切った。

 軽快な身のこなしで着地した影は、抗議でもするように短くニャアと鳴いた。

 そこには前日に廃屋で別れたきりだった、シロの姿があった。


「そもそも、ネコに刺激物って駄目なんじゃないの?」


 ノゾミの忠告に、シロは不機嫌そうにシャーッとひと声だけ鳴いて応える。


「わかったから。ただのネコ扱いして悪かったわ」


 ノゾミはシロを抱き上げようとしたが、シロは彼女の腕をすり抜け地面へ飛び降りた。

 数メートル先まで歩くと、こちらを振り返りニャアと鳴く。もう少し進んでみせて、また振り返った。

 ノゾミをどこかへ連れて行くつもりのようだ。

 今のところ特に行く当てもないノゾミは、シロの導くままに道を歩いていった。


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