2020年2月10日(月)
「手伝うよ」
そう声をかけられたのは大学構内にある図書館だった。
調べものをしていた私が数冊の分厚い本を書棚に戻そうとしていた時のことである。
一気に本を両手で運んできたのはいいものの、これを書棚に戻すにはどこかに運んできた本を置かないと無理だと考え、キョロキョロしていた所で後ろから掛けられた声に私の心臓が跳ね上がった。
「須賀君」
「坂崎さん、すごい分厚い本何冊も持って歩いてるんだもん。心配で追いかけて来ちゃったよ」
苦笑しながら私の持つ本をヒョイヒョイと書棚に戻してくれた彼、須賀啓介君は茶髪にピアスの派手なイケメンで当然女子に人気がある。
手が早いとか、付き合ってもすぐに別れるとかの噂があるが、このルックスなら仕方がないと思う。
それにあの時も今も助けてくれたように、とにかく優しいのだ。
既にお気づきだろうが私がチョコを渡したい相手が彼である。
キラキラと輝く笑顔の須賀君に、昨日買ったばかりで何だが「あ、渡すの無理だ」としか思えなくなった。
危うく浮かれた空気に流されてとんだ恥をかくところだったと自分に言い聞かせていると、本を戻し終えた須賀君が私の頭をポンっと軽く叩いた。
「はい。完了っと。あとは? 返却する本はもうない?」
「あ、うん。どうもありがとう」
「じゃあ、せっかくだし一緒に帰ろうか」
「え? でも」
「もう暗いし、家まで送っていくよ」
「あ、でも私の家、駅から少し離れてるから」
「そうなんだ。じゃあ、尚更一人で帰すのは危ないね。だから一緒に帰ろう」
怒涛の展開に混乱の境地を極めた私の背を押して図書館を出た須賀君は、肩からずり下がっていた私の鞄をなおしてくれると少しだけ不安げに訊ねてくる。
「ごめん、ちょっと強引だった?」
「ううん、そんなことないよ」
慌てて否定すれば「良かった」と微笑まれ、その笑顔に私の頬が染まる。
良かったのはむしろ私の方で、突然降ってわいた幸運にドキドキがとまらない。
毎日歩く通学路が隣に須賀君がいるだけで、素敵な街道に変わってしまったみたいだ。
フワフワした気持ちでいつものように角を曲がり、少し狭い路地に入る。
実は暗いところが苦手な私はこの路地を通るのが嫌で、特に日が短い冬場はなるべく早く帰宅するようにしていた。
でも今日はつい調べものに夢中になってしまい完全に日が落ちてしまっていたが、隣に須賀君がいてくれるせいか全然怖さを感じなかった。
そのことに気が大きくなった私は須賀君を見上げて苦笑する。
「実は暗くなるとここの路地を通るの少し怖かったんだ。だから送ってくれてありがとう」
「あ~、ここって街頭少ないし暗めだもんね」
「そうなの。前も誰かに付けられたような気がしたことがあって、それから怖くなっちゃって」
「え!?」
「え?」
私の言葉に驚いた声をあげた須賀君は立ち止まると険しい表情を見せた。
「それ、ちゃんと警察に言った?」
「ううん、だって私の勘違いかもしれないし」
「坂崎さん、危機感なさすぎ! ダメだよ! 可愛いんだからもっと自覚しないと!」
「へ?」
「え? あ!」
ポカンとした私の表情に気づいた須賀君が焦ったような声を出す。
(え、今、可愛いって言った? 私のこと!? 嘘、本当に? 聞き間違い? 私、誰も気づかないすんごい遠くの救急車の音が聞こえる聴覚持ってるけど、突然耳悪くなった?)
焦ったのは私も一緒でフル稼働する脳内だが全く処理できない。
でも私を可愛いって言った後に顔を赤らめている須賀君の反応に胸が高鳴る。
(こ、これは所謂両思いってやつ? まだ14日になってないけどフライングで告白してもいいかんじのやつ? 考えてみたらそもそも二人きりなんて、こんなチャンス滅多にないよね? 大体14日に告白できる環境になる保証はないし、今、言っちゃえって神様が後押ししてるのかも?)
都合のいい考えばかりが浮かんできて、ドキンドキンドキンドキンと私の告白メーターが上がっていく。
「とりあえず落ち着いて深呼吸を」と考えた私に、須賀君が赤い顔のまま問いかけてくる。
「坂崎さんってさ、好きな人いるの?」
「え?」
「いや、ほら、もうすぐバレンタインじゃん。チョコレート、誰かに渡したりするのかなって思って」
「えっと」
須賀君の言葉に私の中での告白メーターが既に振り切れそうになっている。
(どうしよう!? 言う? 言っちゃう? 渡したいのは貴方ですって言っちゃう? 告白するには最高のシチュエーションが出来上がりましたけど? 「好きな人、それは貴方です」って、どこのドラマ!? どこの小説!? これフィクションなら成功率100%の王道告白だよね!?)
「俺、坂崎さんからのチョコレート欲しいな」
ポツリと零した彼の言葉に息を飲む。
(いや、もうコレ当選確実でしょ? 開票率1%いってないのに当確でてるでしょ!? チョコレートないけど告白タイムでしょ? でも本当に?)
気づかれないように先程しそこなった深呼吸をして、意を決して言葉を紡ぐ。
「須賀君、私のチョコもらってくれるの?」
「え? 俺にくれるの?」
「うん」
パッと顔を輝かせた須賀君だったがすぐに探るような視線に変わる。
「それって義理じゃない?」
「……義理とかないから……須賀君、好きです」
私の告白に驚いたように目を見開いた須賀君は、一拍置いたあとガバっと抱きしめてきた。
「ありがとう! 嬉しいよ」
その言葉に私は身体の力が抜けるのを感じる。
緊張が解けたのと嬉しいのと信じられないのが綯交ぜになって、でもとにかく幸せで、おずおずと須賀君の背中に手を回せば、ぎゅうっと更に強く抱き締められた。
その後、手を繋いでアパートの私の部屋まで送ってくれた須賀君に、お茶でもだそうかと思い聞いてみる。
「えっと、あがってく?」
「え!? い、いや、今日はやめとく。なんかテンション上がりすぎてて色々とヤバイから」
何故だか激しく狼狽えた須賀君は、私を扉の内側へ押し込むとポンポンと頭を撫でた。
「また明日、学校でね」
「うん。気を付けて帰ってね」
「自覚がないとこが、マジで可愛い」
須賀君が言った言葉の意味が解らずに首を傾げると、突然彼は私の顎をクイっと持ちあげキスをした。
その動作があまりにも自然で、「あれが噂の顎クイキス!?」と私が理解したのは呆然としたまま彼を見送って自宅の扉を閉めた後だった。
震える手で唇に触れる。
脳内が柄にもなく「キャーキャーキャーキャー!!!!」騒いでいて、つられてニヤけてくる顔に恥ずかしくなって身悶える。
(キスしちゃった! キスしちゃった! キスしちゃったーーー!!!)
全世界に向けて叫びたいのを我慢して、小躍りしていると携帯が鳴る。
画面に表示された「須賀君」の文字にこれ以上ないほど顔の熱が上がった。
「あ、もしもし、俺。須賀」
「うん。どうしたの?」
電話に出ると、ちょっと低めのテンションの須賀君の声がして、たぶん人生最大に上がっていた私の気分が一気に急降下する。
もしや「あれは一時の気の迷いでした」とか言われたらどうしようと項垂れると、須賀君の照れ臭そうな声がした。
「いや、さっき『また明日」って言ったけど、考えてみたら明日祝日だから学校休みだったなと思ってさ」
「そ、そういえばそうだね」
良かったと胸を撫でおろしながら答えると、須賀君の緊張したような声が聞こえる。
「ところでその明日なんだけど、もし坂崎さんに用事とかなければ一緒に買い物行ってくれない?」
「買い物?」
「うん。俺、マフラー欲しいんだよね。暖冬だって舐めてたら結構寒くてさぁ」
「マフラー……。うん、わかった」
「じゃあ、明日11時に迎えに行くから」
「え!? いいよ! 駅集合にしようよ?」
「ダメだよ。危ないじゃん!」
「昼間だから大丈夫だよ~」
「でも……」
「それじゃ明日11時に駅前ね」
「わかった。気を付けて来いよ?」
「うん」
通話終了をタッチして、携帯を握りしめたままベッドへ転がる。
そのまま足をバタバタさせて、枕に顔を埋める。
「幸せ過ぎて死にそうなんて本当にあるんだ。須賀君と付き合えてデートの約束までしちゃったよう……」
呟いた自分の言葉に恥ずかしくなって更に顔を埋めてハッとした。
「デート!? 私、デートに行くような服持ってないんじゃない!?」
ガバっと起き上がりクローゼットを確認した私は深夜まで「あーでもない、こーでもない」と一人頭を抱えることになったのだった。