2020年2月9日(日)
もうすぐバレンタイン。
お店はどこもかしこもハートマークのポップで溢れていて、その気がなくてもなんだか気分を高揚させてくる。
そんなチョコレート会社の思惑にまんまと嵌まって購入してしまった紙袋を見て、私は溜息を吐いた。
時間はほんの少し前に遡る。
デパートの専門店街の一角で、中学生くらいの女の子たちがキャアキャアとはしゃぎながらガラスケースの前で選んでいたチョコは1粒500円もする高級チョコレートで、友人と待ち合わせをしていた私はその様子をただ何となく見ていた。
「3粒しか入ってないけど、これにしようか?」
「それでも1,500円だもんね」
「でも、こっちの4,000円のが見た目がよくない?」
「そうだけど、高いよ。それに両思いでもないのに、そんな高額なチョコ渡したら引かれない? 私らまだ中学生だよ?」
「そっか……」
「特別感はあるけど、数が少ないから値段はそこまでってのが相手も負担にならなくていいと思うけど?」
「うん、そうだね。そうする」
会話が聞こえて、やっぱり中学生だったのかと思うと同時に結構しっかりした考えを持っているなぁ、と感心して見ていると売り場の店員さんがニコニコと彼女たちに微笑んで言った。
「こちら大人気なので、あと二つで売り切れなんですよ」
「本当ですか? じゃあ、それ1つください!」
悩んでいた方の中学生が一つ購入したのを見送った私は、気が付けば最後の一つとなったチョコを衝動的に購入していた。
高級チョコの紙袋をぶら下げた私に後からきた友人のマキちゃんが驚いて紙袋と私の顔を見比べる。
「だって、あと一つとか言ってたから……」
私がもじもじと言い訳をすればマキちゃんはクスクスと笑った。
「リナが片思いしてもう2年近くだもんね? チョコも買ったんだし今年こそ告白しちゃいなよ」
「無理かも……」
「じゃあ、何でチョコ買ったのよ?」
「だって、あと一つだったから……」
「それはさっき聞いた。でも奥手なリナがチョコを買ったなら理由はそれだけじゃないでしょ?」
「高級チョコなら特別感があるし、この数なら値段も手頃で相手にも引かれないから片思いの相手に告白するならちょうどいいよね、って話を中学生がしているのを小耳に挟みまして……」
先程聞いたまんまの理由をマキちゃんに伝える。
大学3年生の私が中学生の意見を参考にするのもどうかと思うけど、妙に説得力があったのだから仕方がない。
最近の中学生は侮れない。というか、自分の恋愛偏差値が低いだけなのかもしれないけれど。
私の説明にマキちゃんは、ふんふんと頷くとニヤリと笑った。
「やるわね、中坊。確かに一理あるわ。あとはリナがちゃんと告白できればって話だけど」
「うっ……」
「うっじゃないわよ。せっかく買ったんだからちゃんと渡しなさいよね」
「ゼンショシマス……」
「私にはあんな軟派男のどこがいいのかは解らないけど、応援だけはしてるからね!」
片言になった私にマキちゃんは苦笑すると「頑張ってね!」と言って軽く背中を叩いた。
マキちゃんは口は悪いけど私の大切な友人だ。
背の高い美人さんで、性格がサッパリしている姉御肌のマキちゃんの男性の好みはズバリ親分肌の筋肉ゴリラだそうだ。本人がそう公言していて実際付き合う人もそんな人ばかりなのだけど、どの人ともあまり長続きはしていなかった。
マキちゃん曰く「頼りになる人が好きなのに、付き合うと甘えてきてウザい!」とのことだそうだ。しっかり者のマキちゃんに甘えたくなっちゃう彼氏の気持ちもわからないでもないけれど、と私は密かに思っている。
対する私の見た目は一言で言うと地味。これに尽きる。ちなみに性格も地味。地味が服着て歩いていると言っても過言ではない位に地味。
当然彼氏いない歴生きてきた年数で、初恋でさえ大学2年の時という奥手っぷり。
そんな私の初恋相手が茶髪にピアスの軟派男だと知った時のマキちゃんの驚愕の表情は、今でも忘れられない。
名前を打ち明けた時に、たっぷり1分ほど絶句したマキちゃんは「何で!? 何で!? 何で!? 何でぇ!?」と四回も「何で」を連発した。
だって彼だけだったんだもん。
2年生になって選択授業の教室を間違えた私は講義が始まってからそのことに気が付いて青くなった。
「間違えました~」と言って途中で退出する勇気はなくて、かと言って自分が選択している講義ではないから教科書もなくて先生が何を言っているのかもわからない。
挙句に先生が順番に教科書を読むように指示してきて、私は完全にパニックになってしまった。
縋るように隣の人を見るも「関係ない」というように視線を背けられてしまう。
周囲には1年の時に見知った顔もいくつかあって、私が教科書を持っていないことに気づいた風なのにチラリと一瞥しただけで誰も手を差し伸べてはくれなかった。
刻一刻と自分の順番が近づき、私が泣きそうになった所で後ろから声をかけられる。
「坂崎さん、俺の教科書使って。線ひいたとこ読めばOKだから」
救いの声に後ろを振り返ろうとするとズイっと教科書が差し出された。
「授業中に後ろ向いたらダメだよ。この先生、結構厳しいから」
囁き声で言われた言葉に頷いて教科書を受け取ると、開いたページの中ほどにはマーカーで線が引かれていた。
後ろに座った親切な人のおかげで何とか危機を脱した私は、講義が終わると即座に振り向いて頭を下げた。
「どこのどなたか存じませんがありがとうございます! おかげで助かりました」
お礼を述べて貸してくれた教科書を差し出すと驚いた声があがる。
「え!? 坂崎さん、俺のこと覚えてないの!? 1年の時からクラス一緒じゃん。出席番号も『さ』と『す』で近かったのにちょっとショックなんだけど」
その声に驚いて顔をあげると目の前には茶髪にピアスの美形な男の人がいた。
「まぁ、大学なんて必須教科以外は選択によって教室も別々になるから仕方ないか……。でも俺は坂崎さんのこと覚えていたけどね」
そう言って笑った彼とは、それ以来ちょくちょく話をするようになり、派手な見た目に反して優しい彼とラインの交換をする頃には私は完全に恋に落ちてしまい現在に至るのである。
マキちゃんと別れ実家が遠いため一人暮らしをするアパートに戻った私は、キャビネットの上に置いた紙袋と睨めっこをしている。
バレンタインデーまであと5日。まだ渡してもいないのに、ドキドキが止まらない。
チョコレート会社の戦略に完全に踊らされている! なんてことは頭ではわかっているし、ただチョコを買っただけで彼との距離が縮まったわけでもないのに、何故だか少し達成感さえ湧いてしまう。
でもそれと同時に不安な気持ちも押し寄せてくる。
「告白なんて上手くいくわけない。振られたらもう今まで通り話すことさえできなくなってしまうかも」
そう言葉にすると怖くて足が竦んでくる。
「ちゃんと渡せるかな? でも上手くは……いくはずないよね……」
紙袋を見つめたまま自嘲したように呟く。
でも漸く一歩踏み出した自分を称賛したい気持ちもあって、私は大きな不安と少しの達成感が入り混じった複雑な感情を抱きながら眠りについたのだった。