夜釣りの空に
友人は、海に向けて竿を振った。
その日の夜は凪いでいた。
波一つ無い真っ黒な水面に、防波堤の灯りがいくつか反射して揺らめいていた。
季節のせいだろうか、それとも風が無いせいだろうか。海辺特有の、いわゆる磯の香りがほとんどしなかった。
あの、そこでしか香ることのない独特な香りが苦手な私としては、少しありがたくもあった。
「星が、すげえなあ。」
友人は竿を振りながら、そう言った。
私はうんとかああとかそんな曖昧な返事をした。
既に、空を仰いで、見惚れていた。
周りに余計な灯りがほとんど無いこの場所は、街中の喧騒では埋もれて見えない星まではっきり見ることができた。
太陽のような人、という比喩表現はよく耳にする。
明るい人、朗らかな人、など。総じてポジティブな意味で言われることが多い。
一方で、星のような人、というのは今まで生きてきてあまり耳にしたことがないように思う。
星の光は朧げで、儚い。
あるいは、何かをイメージさせるにはそれこそ儚すぎるのだろうか。
本質的には太陽も星も変わらないのにな、と思う。
ただ距離が違うだけなのだ。
近すぎるか、遠すぎるか。
ただそれだけ。
お前はどちらが好きかと聞かれれば、私は迷わず星と答える。
太陽は、近すぎて眩しいのだ。
眩しすぎて、見えないのだ。
遠くてもいい、朧げでもいい。
しっかりとこの目で、長い時間見つめ続けることのできる星の方が、私は好きだ。
では月のことはどう思うと聞かれれば、私は図々しい、と答える。
月は自分で光を放っている訳ではない。
太陽に照らされて、初めてその存在を輝かせる。
だのに、そのくせ、やたら明るいのだ。
図々しい、というよりは、少し私は妬ましく思っているのかもしれない。
光に照らされて輝く。
舞台の上で燦然と輝きを放つ俳優のようで、それが羨ましくもあり、妬ましくもある。
勿論、俳優として輝くのはそこに至るまでの努力があってこそだろうし、それを図々しいというのはそれこそ図々しいのかもしれないが。
そうやって舞台で輝く存在の事をスターと呼ぶのは、だから私は少し納得がいかない。
そんなことを考えながら、ずっと星空を見続けた。
そのうち、図々しいついでにこの中の星の一つでもいいから、自分のものにしてみたいと思った。
この手の中に、儚い輝きをなんとか収めることは出来ないだろうか。
その輝きで、私を照らして貰うことはできないだろうか。
けれど、例えその輝きを手中に収めたところで、きっと私はそれを直視することは叶わないのだ。
そんなことを、ずっと考えている。
見上げた空に無尽に広がる星を見て、どれほど時間が経っただろうか。
友人は結局一匹も釣ることはなく、そして私も一つとして星の灯りを手にすることはできなかった。
帰りの車の中で聞いたラジオからは、星を歌った曲がしんみり流れていた。
この歌を紡いだ人も私と似たことを想っていたのかなあ、なんて思いつつ、車窓越しに見えた流れ星のあとを、指でなぞった。