私のお母さん
私と母は女友達のように仲良しで、毎週ランチに行ったり商店街へ
お買い物へ出かけたりカラオケに行ったり、楽しい時間を過ごしています。
snowで変な顔を撮影したり、顔を入れ替えたりして撮影すると母が楽しそうに
大爆笑するので、嬉しくて何回もそれを繰り返して遊んだりしています。
29歳になった今ではこのような関係ですが、
昔は本当に苦労をかけて辛く悲しい思いをさせました。
本当に、思い返すと胸が痛む事がたくさんありました。
その当時は全く気付かず、自分自身かなり自己中心的な行動をし、
母を傷付けた事に自覚のない、最低最悪な娘だったと思います。
そんな私でも母はいつも私の味方であり、どんな最低な娘でも
「自分が産んだ子やから私が命かけてでも守る!」といつも言っていました。
そんな母との出来事を忘れたくない、みんなにも聞いてほしいと思いました。
小学校6年生の時、同学年に髪の毛を染めている子が数人いました。
私は小さな時から好奇心が旺盛で、髪の毛を染めている子達の事を
「大人~!いいな~!」と、めちゃくちゃ羨ましく思っていました。
そんな時、パソコンで「バレにくい 毛染め」という検索をかけ
ミストブリーチの存在を知りました。
私はすぐにドラッグストアへ行き、ミストブリーチを購入しました。
購入後3日間、こっそり朝ミストブリーチをしていました。
その後、見事にバレない程度じゃ治まらない茶髪に変身しました。
母はもちろん、その変化にすぐ気付き私に一言。
「あほちゃうか~。黒染め買ってきたからはよしーや。」
私は、せっかく自分がなりたかった髪色になれたのに黒色に戻す
なんて「絶対に無理!」と思い、断固拒否を続けました。
母は「あんた何してんの?アホか!何考えてるねん、ほんま。ええ加減にしいや!」
と強く言いました。
私はやけくそになり、お風呂場へ行き、自宅にあった散髪バサミを取り出し
自分の髪の毛を無造作に切り捨てました。
もちろん、ガッタガタのへんてこな髪形になりましたが、
怒られた事に悲しみと悔しさや、何かわからない感情を抱き
無我夢中に自分の髪の毛を切っていました。
切り終え母がいるキッチンに行くと、母は目を丸くし、
「え、何してるん、あんたほんまアホやなぁ。」と呟きました。
そんな私でも、母はいつも優しく、この出来事がなかったかのように
笑顔で接してくれました。
一緒に旅行に出かけたり、大好きなごはんを作ってくれたり、
いつもいつも優しくて笑顔の絶えない母でした。
そんな中、中学校になった私のアホさは日に日にエスカレートしていました。
部活を辞め、帰宅部の友人・先輩と毎日遊び、
あの時の反動か、中学校3年間は髪の毛がずっと金髪でした。
中学校に上がって、勝手に部活を辞め、勝手に髪を染めた事に
母はもう何も言いませんでした。
一度も怒られていません。
父も何も触れてきません。
もう呆れてしょうがなかったのだと思います。
そんな時でも母は優しく、私の好きなお菓子を買ってきてくれたり、
小学生の時と変わらず、2人で旅行やおでかけもたくさんしました。
周りの親や友達は、私の髪の毛の色や学校の授業をさぼっている事など、
あまり良く思っていなかったと思いますが、母は私に何も怒らず、
いつも笑顔で仲良し親子でいてくれました。
無事に高校へ進学し、とても校則が厳しい高校だったので、
諦めて髪を真っ黒に戻しました。
平凡に過ごした1年が終わり、2年に上がる時でした。
クラスが1つ減る程の人数が高校を辞めてしまいました。
中にはとても仲の良いお友達が数人いました。
高校を辞めた友達とは変わらず仲良しで、放課後待ち合わせをして
クレープを食べに行ったり、プリクラを撮ったりして遊んでいました。
その友達に定時制の話をよく聞いていました。
アホな私は、朝起きるのが苦手という理由だけで、
「定時制いいやん!」と思い始め、母に話してしまいました。
案の定、母は「あんた頭おかしいんちゃうか?高校はちゃんと今のところ
を通って卒業しないさい!余計な事を考えんと、今行ってる高校をちゃんと
卒業るだけでいいから!退学して定時制行くなんか絶対に許さんから!!!!」
とかなり強く怒鳴りました。
その時の私は「なんでなん、いいやん、行きたい!!」と繰り返し母に
訴え続けていましたが、言っている内に母に無視され、諦めました。
今思うと恥ずかしい程にアホだなぁ...とつくづく思えます。
そんな高校生活の中で、とても仲良しな男友達ができました。
その子の地元のお友達と、私のお友達とで、よくみんなで集まって遊んでいました。
夏休みはみんなで花火大会に行ったり、男友達の単車の後ろに乗せてもらい
ドライブや遠出に連れて行ってもらいました。
私は、門限のないみんなと一緒に遊びたくて、夜遅くまで遊び、
母からの着信をとにかく無視していました。
帰って謝ればいつも通り許してくれると思って、気にもせず遊んでいました。
その日もいつも通り夜中まで遊び、単車の後ろに乗り自宅近くまで送ってもらっていた時、
すごく心配そうな顔をし、必死に自転車で立ちこぎしている母とすれ違いました。
母は、私に気付かずそのまま全力で自転車をこいでいきました。
夜中の1時、2時頃だったと思います。
その時の私は「やばい!お母さんや!見つからんように帰らな!」と
この程度の事しか考えれないアホな娘でした。
本当に最低な娘です。
今思えるのは、何であんな心配かける事を平気でしたんやろ。
電話に出るだけでも安心してもらえたのに、何で出やんかったんやろ。
心配かけてるのに、何でヘラヘラ笑って夜中まで遊んでたんやろ。
本当に後悔でしかありません。
ぐだぐだバカな事をしながらも、高校生活3年間を終え、私は就職や進学はせず、
当時働いていたアルバイト先でフル出勤していました。
このアルバイト先で就職を考えていたからです。
従業員のみんなも、とてもおもしろくて毎日楽しく、仕事も連携でき
とても働き甲斐のある職場でした。
アルバイト先の店長も20代後半と若く、仲良くお話をしながらいつも働いていました。
ある日店長が「店を抜け出せないので、近くの銀行で通帳記帳してきてくれへん?」
と言いました。そこで受けとらなければ良かったのですが、通帳を記帳するだけなので
軽く引き受けてしまい、近くの銀行ATMで通帳記帳を行いました。
勤務先に戻り店長に通帳を渡して、私は休憩に入りました。
更衣室は男性女性用が分かれており、男性女性の更衣室の間に通路があります。
通路には長机と椅子があり、そこで座って従業員同士でお喋りやゲームをよくしていました。
私はその日、寝不足だった為、女子更衣室でドアを閉めお昼寝をしていました。
まだ眠りが浅く、通路で店長がバイトリーダーと話している声が耳に入ってきました。
店長「さっき〇〇(私)に俺の通帳記帳を頼んだんやけど、残高がおかしくて。
通帳では15万円残高記載があるのに、さっきコンビニATMで下ろそうと思ったら
残高不足で下ろされへんくて...残高詳細したら2万円しかないねん。13万円ないねん。
おかしない?△△(バイトリーダー)どう思う?」
バイトリーダー「え、〇〇が取る訳ないでしょ!しかも〇〇が持って行ったのって
通帳だけでしょ?なんかの間違いちゃいます?なんか引落とか、思い当たることないんですか?」
店長「それがないねんな~。ん~。通帳だけやし引き出されへんと思うけど、
なんかな~...後で時間作って銀行で通帳記帳もう1回してくるわぁ...。」
更衣室で涙が出てきました。
普段仲良く楽しく仕事を一緒にしている店長に少しでも疑われている、信用がないと
思われている...色々頭の中で考えてしまい涙が止まりませんでした。
その後、涙が止まるまで更衣室から出れませんでした。
すると30分経った後、また話し声が聞こえました。
店長「わかったわ!〇〇に行ってもらったの午前中で、俺、今回
車とか保険とかなんだかんだ引き落しがあって、それがお昼頃引き落とされてるわ!ははは!」
と大きな笑い声が聞こえてきました。
私は、その日から店長に笑顔で接する事ができませんでした。
その後、数日間通常に勤務していると、店長が「〇〇!ランチ行こうか!」と声をかけてきました。
お店に到着し食事をしていると、
「〇〇は仕事もできるし真面目だし、本社の上の人達からもめっちゃ評価高いで!
俺自身めちゃめちゃ信用してる1人で、時期店長候補やから、
是非来月から正社員で働いてくれへんかな?」
私はまた涙が出そうになりました。
「信用全くなかったやん...」と思ってしまいました。
少し時間をくださいと言い、私は勤務先に戻り、業務を終え自宅に戻りました。
私は本当は辞めたいけど、次また探すのが面倒...正社員なれる...
という気持ちがあり悩んでいました。
母には何でも相談をしていたので、今回も話を聞いてもらいました。
母は即答で「辞めたかったら辞め。そんな自分がしんどい、イヤな思いしてまで
その人と働かんでええから。まだ10代やん。なんぼでも仕事あるよ。
ただ、辞める時はちゃんと話をして辞めてきなさい。
理由をちゃんと素直に話して、きちんと辞めてきなさい。
あともう1つ。どこに行っても嫌な奴はおるから、それも頭に入れときなさい。」と話してくれました。
私自身、頭の中を整理して、店長に話す事にしました。
正社員の件でお話があるのでと言い、店長に2人になる時間を頂きました。
「私はこの職場が大好きです。楽しくてみんなと働くのが大好きです。
正社員になるのは、元々目標だったのですごく嬉しいです。
ですが、先日店長の通帳を預かり記帳しに行った後の、△△さんとしてた会話を
私は全部聞いてしまいました。店長に少しでも疑われた自分がとても辛かったです。
店長からしたら、軽く話をしていただけかもしれませんが、私は傷つきました。
正直、今の気持ちで正社員にはなれないです。アルバイトでもここに出勤をするのが、
私にとっては今とても辛い気持ちでいっぱいです...退職させて頂きたいと思い、お時間頂きました。」
自分の思っている事を全て話し、頭を下げました。
何も回答がなく、私が頭を上げ店長を見上げると、
店長は泣いていました。
「俺が悪いわぁ。ほんまごめんなぁ。〇〇ほんまにごめん。」
とずっと何度も何度も謝っていました。
私はいくつか仕事抱えていたので、引継ぎをし1ヵ月後退職する事になりました。
辞めるまでの間に他のアルバイト先を探さないといけないと思い、
ネットや求人誌で色々検索している時、どんな職業はあるかなぁっと
当日付き合っていた彼氏にも相談をしていました。
彼は元々大阪に住んでいましたが、大学が京都の為、京都で1人暮らしをしていました。
会うのは週に1回くらい、私が電車で会いに行き、京都観光に
連れて行ってくれたり、バイクでドライブに連れて行ってくれたりという平凡なお付き合いでした。
そんな中、大阪と京都の距離でも寂しく感じてしまい、彼の家で同棲する事になりました。
母に話すと、「あかんよ!何考えてるのー。無理無理無理無理。まだ付き合い浅いのに、
何で京都にあんたが行くのよ。」の一点張りでOKはもらえませんでした。
私は、それでも京都に行く事を自分の中で、決めていたので、毎日少しづつ
自分の荷物を運んでいました。
その姿を見た母が「部屋もうすっからかんやん!はいはい、いってらっしゃい。
メールだけでもちゃんと送ったら返してきてね。」と言ってくれました。
私は、ただただ「やった!!!」っという気持ちでいっぱいで、母の気持ちを何も
考えず、足早と京都へ向かいました。
その後4年間同棲をし、結局結婚はせず破局し、大阪へ戻ってきました。
母には、別れた事を言わず、私は突然大量の荷物を抱え実家へ帰りました。
インターホンを押し、母が出てきました。
私の顔を見てすぐに母は「あ、おかえり!荷物全部とりあえずあんたの部屋に
置いて、あとから片づけたら?」と、何も理由を聞かず、突然帰ってきた私を
迎えてくれました。
私は涙が止まりませんでした。
数日たち、母と食事をしている時、ふと母が話し始めました。
「あんたが京都行った日あるやん?お母さん、いってらっしゃーいと言ったけど、
ほんまは絶望的やったよ~。そんな付き合って日もたってない男と同棲って、
この娘、ついに頭沸いてしもたんかって思ったよ。
これから毎日、ただいま~!って言って帰ってこないかぁって思ったら、
洗い物しながら声出して1人で泣いてもうたわ!ほんまに~。」
私は、母泣いている姿を1度しか見た事がありません。
父とケンカになった時に泣いていました。
それ以外では、絶対に泣く姿を見せる事はない強い母でした。
その母が、洗い物をしながら声を出し泣いていたと聞き
をし、私はとても胸が痛くなり、頭が真っ白になりました。
母は笑いながら話しましたが、私はずっと頭から離れません。
この当時は24歳でした。
29歳になった今も頭から離れません。
母とは別の場所に今は住んでおり、毎週1回お買い物やランチに行き、
仲良く過ごしています。
あの時の事を、まだ母に謝った事はありません。
自分が結婚をする時、直接母にお話しし謝りたいと思っています。
現在、母は68歳になります。
これからも健康で笑顔が絶えない母でいてもらう為、
次は私がしっかり支えていきたいと思います。