桃色とモノクロの外伝
銀の歌
生命は皆誰もが平等。そんな言葉を言ったのは誰だったろうか。
山の斜面には青々とした芝生が生い茂っている。自分は桃色の髪の毛を時折手慰みに弄りながら、そこに膝を抱えて座っている訳だが……。かれこれもう数時間もここから動いていない。
「……ふぅ」
いい加減ここからの景色も見飽きた。だから動き出したいのだが、隣にいる人物がそれを許してくれない。
「ぐごーーー! ぐぁあーーー!」
快活ないびきをかいて、本来持つべきである武器をその辺に放り、無造作に寝転がっているのは自分(禊)の騎士。片目を包帯で隠していて、真っ白な髪をした禊と同郷のやつ。
服装は禊とそこまで変わらない。禊達の国に伝わる由緒正しいものだ。伸縮性があり柔らかな生地は大変着心地がよい。それを帯で縛って美しく見せてるわけだが……。この男はそれをここまで着くずせるのだからすごい。
「リールー。起きてくれないか?」
辟易として疲れた声を出す。マイペースなこの男との付き合いはもう十数年間。人となりを知るのには十分な時間だろう。
分かっていた筈だったのだ。こうなるのは。少しの休憩だと思って、芝生に腰をおろしたのが運の尽きだった。
「ほ〜ら。起きて行くぞ! 禊達は【依頼】、受けただろ?」
ゆする。最初はゆっくりだったが、徐々に激しさを増して。けれどそれでもこの男は起きない。
もういびきなんてかいてないくせに。
頑なな態度に業を煮やした。最後の手段とばかりに彼の履物を脱がすと指を当てた。
「いいのか? リールー」
悪辣な笑みを浮かべる。今からすることを思うとこんな風に口元も歪むというものだ。
そしてそれを行おうとした瞬間に【帯を引っ張られた】。
「うああ」
キュッと縛られた帯は、それでも解きやすいようにできていて、背中にある結び目の左側を引っ張られるとたちまち解けてしまう。
禊が警戒を緩めていたのもあって、瞬く間に組み伏せられ形勢が逆転してしまう。
押し倒される形で寝転がされた禊のすぐ前には、リールの顔があった。
「なんだ。やっぱり起きていたんじゃないか……」
「はい。殿下」
間近で見る彼の表情はあまりにも不敵で、不思議な魅力があった。吸血種が首筋に牙をかけるようとでも表現すればいいのだろうか。大変妖艶だった。
だから目をそらした。
「今はまだ日が出ているぞ……。それに仕事がある……」
もごもごと口を動かし、狭い空間で身体をくねらせる。心がじんわりと温まっていくのを感じた。けれどそんな禊の様子を確認し終えると、リールはニヤニヤとした笑みを浮かべた後、拘束をほどいた。そして隣にだらしなく座った。
「嫌ですよ。俺殿下嫌いですし」
「ーー!?」
「だって殿下やたらと論理的じゃないですか。俺は頭が悪い方なので、そんな奴とは馬が合いません」
「だ、だ、だが。だが……なぁ……」
着崩れた服を掛け直し、リールの隣で帯を結ぶ。心臓を高鳴らせながらだ。
自分自身こんな考え弱くて嫌いだし女々しいことだが。あまりにも、あまりにも……惜しい。そう感じてしまう。
昼からでも構わなかった。外でも構わなかった。けれどこの男は。
「1+1は?」
「4」
「そうか……」
この男はこの通り馬鹿だし、客観的に見ても酷い奴だ。それでも側付きにおいてしまったのはどうしてだろうか。
名残惜しいと帯を締め直し、リールとは逆方向に顔を向けて息を吐く。胸が締め付けられる思いを抱きながら。
「で〜んか。そりゃないですって。こちとら三流もいいとこ。アンタとしちまったら、いずれは王になっちゃうじゃないですか。俺は怠惰に生きていたいんだ。
あっ、一生養ってくれるなら、それでもいいですけどね」
「バカッ!」
クククとリールは笑う。禊の方が偉いというのに、この男はいつもこんな態度だ。
ーーいや。偉いからこんな態度で、こんな関係を構築してしまったのかもしれない。
「それで〜? どうするんです殿下。俺達は行くところがあったんじゃないんですか?」
お前がそれを言うのかと、不満な気持ちを抱くも、それを押し殺して立ち上がり、ぱんぱんと土埃を払った。
ツンと唇を尖らせて、そっぽを向く。そして呟いた。
「ああ。この先だ。そこに恐らくは【いる】らしい」
顔を合わせないで歩き出す。次はリールが辟易した声を出す番だった。
「はぁー。でーんか。あんまり意地悪しないでくださいよ」
「ーーどっちが!!」
目をギギッと歪ませると彼を睨むために振り向く。そして額に柔らかな感触が一瞬だけ伝わった。
そこを触ると生暖かさを感じて、まだ生がそこにあるような気がした。
「今はこれで勘弁させて下さいよ」
「ーーーー。ーー!」
顔を赤らめて、赤らめて、赤らめる。
衝撃は体全体に響き渡った。特に脳への負担が大きい。情報を処理しきれない。完全に不意打ちだった。
「んっぁ」
「殿下子どもじゃないですか。俺小さいやつは……小さすぎるやつはちょっと。倫理観は腐ってないので」
禊を見下してけけけと笑う。幼い子どもの額に接吻する時点で倫理観なんてあってないようなものだと禊は考えるのだが、そんなものは彼には通じないようだ。
「禊が成長できない身体なのは知ってる……だろぉ……。お前、より……年上だぁ」
以前身体が熱を帯びているので、顔は下に向けてしまってるが、精一杯の反抗を示す。
相手の顔が見えないので実際の所は分からないが。リールのことだ。きっとニタニタ笑っていることだろう。禊が何もできないのに気づいて。
「ほら殿下、行きましょう?」
リールの腰の辺りの服をちょこんとつまむ。
「なんですかねえ。俺達はこれからちいと忙しくするんじゃなかったんですか?」
「お前が。お前が、お前が! ぁぁ……悪いんだろう。そんなことをする……からぁ」
「へいへい。でもさぁ、殿下。これ以上は無理ですって、忙しいですし、外ですし、真昼間ですし、何より殿下生殖器がないじゃないですか」
「ーーーー」
心苦しい。いや、息苦しい。物理的に苦しみがある。リールに最終的に断られる時は、いつもこれだ。いつも最後にこれを言われる。嫌なのに。それは言って欲しくないのに。いつもそれを言われる。
「殿下が男なのか女なのかすら、俺は分からないんですよ。まぁ殿下も分からないんでしょうけど……。あなたは性別を取られちゃってますからね〜」
「…………」
本当にズケズケと人の心にくる言葉を言うやつだ。でもこいつだけなのだ。禊とこんな風に会話してくれたのは。化け物だって知りながら、利害も主従も関係なく隣にいることを許してくれたのは。
でも、やっぱり傷つく。傷つくよ。いたいな。
✳︎
「また随分と荒れてきましたね」
「そうだな」
「森が黒々と変色してまさぁ」
「そうだな」
「ここらですかね。例の依頼の対象は」
「…………」
「殿下」
「…………」
「まだ怒ってるんですか?」
「…………」
「はぁ。まぁいいですけどね。俺はただ殿下をお守りするだけですから」
依頼をこなすため、禊達は森の深くへと入った。その間後ろの男は時折何か喋っていたみたいだが、そんなものに返事をすることはできなかった。まだ。引きずっている。
でもそれだって仕方ないだろう。禊とアレはもう何ヶ月にも渡り、一緒に流れの旅をしてきている。顔を絶えず合わせなくてはならないのだ。怒りも悲しみも消えるはずがない。禊はリールとは違うのだ。頭で多くのことを考えていて、人を統べるための帝王学も身につけていて、それでそれで。
……少しだけ繊細なんだ。
色んな感情が禊の胸を締め付ける。それが苦しくって目を伏せる。しかしそれでも胸の苦しみは止まらない。それになんだか痛かった。
息が苦しくなってきた頃流石におかしいなと感じて瞳を開ける。
「えっ? ぎゃあ!」
黒々とした液体を滴らせた蛇が、胸に巻き付いていた。
「リ、リール。とって」
無い胸を精一杯のけぞらせて膨らませてみせる。しかしリールはそんなのはどうでもいいと、蛇を鷲掴み、掌から炎を出し燃やし始めた。
パチパチとわずかな間だけ燃えた炎。いつも見てきた光景だ。禊のことを碌に見てくれないのもいつも見てきた光景ではあるが……。
そちらに対しても不満はあるが、今はほかに優先させなければならないことができてしまったみたいだ。
辺りを見渡せば、植物が動物が、こちらを凝視しているようだった。そしてその不可解な雰囲気からは明らかな敵意を感じた。
リールはというと禊の前に立ち、指示を待っているような出で立ちだった。だからいつも通りの言葉をかける。
「リール。彼らはもう救えない。間に合わなかった」
「そうですか」
その言葉を発したのを皮切りに、リールは盾に備えられた剣を引き抜いた。
目の前からは怨嗟の声を響かせて、この世の物とは思えぬ程醜くなった者達が、一斉に襲いかかってきた。
そんな彼らの姿は、通常の命とは根本から、存在が異なってしまっているようだった。異なる業を背負わされとでも言いたげな彼らは、この世界の全てのものから嫌われている。そしてこの嫌われ者達を処断するためにいるのだ。禊達が。
辺り一面瞬く間に焼け焦げる。黒々とした生物ー異業種ー達はみな、阿鼻叫喚といった体で叫んだ。一瞬にして世界は地獄に変わった。ほとんどの者はリールが創り出す超高温の空間に耐えきれず、いつのまにか発熱し溶けるように消えた。そして僅かな生き残りも、彼が直々に、超高温の空間よりも、さらに高い熱量を帯びた剣で斬り殺していった。
こんな残虐な光景を見るのはいつも通りのことで、何も今日が特別だったわけではない。
しかしそれでも禊は自分達の行いを懺悔するために、彼らのため歌を歌う。
禊の歌声が聞こえる中、リールは顔についたドロリとした黒い液体を払った。
今の闘いでついてしまったものなのだろう……そんな風にも考えられるがそれは違う。
リールはシュルシュルと包帯を外すと、見るのも耐え難い、爛れた顔をむき出しにした。爛れた部分は黒々と変色しており、透明度の高い汚らしい黒い液体を、絶えず放出していた。
リールはそれを服の袖で拭うと、また包帯を巻き始めた。
「殿下。後ろです」
包帯を再び巻き直したリールは、禊の方を見るとそう言った。もちろん気配だってちゃんと伝わっていたので、禊は何ら驚くことなくさらに歌を続けた。
後ろにいたのは恐らくはググズ※だったものだろう。
※クマに似てる。
今は異業となって醜く歪んでいることだろうが。禊は彼らを救ってやる義務がある。今日見つけた奴らはみな、最低限形があったからまだよかったものの、これから先異業化が進めば進むほど苦しむはずだ。
人間に見つかっても、植物に見つかっても、動物に見つかっても、彼らは惨たらしく殺されてしまうだろう。
異業となったものは、もう真っ当な生物ではない。彼らは異業種と呼ばれる。そして禊はそんな彼らの。
ーー王だ。
禊が歌い終わると、後ろでうごめいていた気配は消え、辺りは静けさを取り戻した。残ったものは何もない。ただ虚しさだけが充満していた。
少しずれた服を着直そうとして、間違えてガリと肌を傷つけてしまった。肌はすぐにベロンと剥がれ地面に落ちた。禊の指はそのまま奥の方へと入っていき、ぬちゃぬちゃと音を掻き鳴らす。
どうしようもないと、今にも泣き出しそうな顔を浮かべたら、リールが禊の肌を拾ってくれた。
「いや。相変わらず。殿下の歌声は綺麗だ。この美声に出会うためには例え何億と生まれ変わっても決して足りないでしょう。だから彼らは幸運だ。貴方の歌は送る歌。鎮魂歌としてはこれ以上のものはないでしょう」
ほじくり返す禊の手を優しくとって、肌をピタリと当ててくれた。そしてそれが癒着するまでしばらくの間禊の身体に手をずっと当ててくれた。ゴツゴツとして無骨なかっこいい手を。
中身が何も無い化け物の身体を、触れ続けてくれた。リールに目を向ける。すると彼は禊とは対照的に目を伏せた。
「貴方はこれから先も多くの同胞を天に還すのでしょう。産まれながら異業種の貴方は、知性をなくして暴れることも、成長することもできない。俺達のような元から異業ではない者達は皆、身体の外に汚物を具現させてしまい、いずれは脳を汚染され、理性をなくしああなる。
送り続ける立場がどれほど辛いことなのかは、押して測る所です。色々な苦悩があることでしょう。ですが先程も申し上げた通り…………貴方のような可愛い子に送られるってんなら、こっち側としちゃあ悪かないんですよ。殿下」
真っ白い歯を見せて笑ったリールは、微笑みを残したままひざまづいた。
「だから俺が、送られる側になる日が来た時には、笑って送り出して下さい。俺の理性が続く限りは貴方の旅路、いつまでも付き合わせてもらいます。
異業王の子ども。カナン様」
禊の前でこうべを垂れて、膝をつくこの騎士に、禊はどんな言葉をかけてやれば良いというのだろうか。
生命は誰もが平等。そんな言葉を言ったのは誰だったろうか。少なくとも禊じゃない。愛したい人をいつか必ず殺さなければならないなんて、そんなの。そんなの。そんなの……。
あまりにも不条理じゃないか。
誰もが言った。『異業種は世界の敵』って。どうして、どうして、どうして禊達なんだろう。
ーーどうして。
外伝 終了




