第51話 商売の話・アルトの実力
アルトさん視点です。
銀の歌
第51話
「オレはここの長のコウブイン・コレチカ・オニマルと言う。よく来た商人どの。歓迎しよう」
名前かっけぇ。
内心で思いつつ、自分も親指を立て、笑顔で返した。
「良いお名前ですね。私はしがない行商人のアークスという者です」
友好的態度はもちろん。相手に合わせ、たくましさも演出してみたがどうだろうか? 普段なら恭しくお辞儀でもするところなのだが、この人物に限っては、下手にへりくだるのは、まずいと思った。
普段から狩をして生計を立ててますよ。そんな野性味が必要な気がした。
それにしてもこの人物ーーオニマルは随分な圧を持っている。思わず媚びてしまいそうなほどだ。
相手を立てて接するのと、威圧されへりくだるのとでは訳が違う。商談において売り込む側は、一歩引きながらも、対等な立場を保たねばならない。そこが難しいところ。
心中でため息をつく。
それに俺が困っているのは、この雰囲気だけじゃない。オニマルさんは、どうも地方の言語を使うみたいだ。
セアの方をちらりと見る。彼女はあたふたと表情を目まぐるしく変えていた。
バカ丸出しだ。まぁ仕方ないが。
オニマルが使っているのは、獣人族の言語の一つで、【ランバナ】というものだ。
下調べを少ししかしなかった自分が悪いんだが、この里でも、世界各地で広く使われている共通の人間語は、使われていると聞いていたから、獣人族独自の言語を使われるのは、本当に困る。
セアに説明する暇はない。今すぐに一つの言語体系を教えるのは、ちょっと不可能が過ぎるから。
落ち着いて考えれば、最初出会った子どもなどは、人間語を使っていたのだから、獣人語を使うのはこの村長だけなのかもと思えた。なので一々教えるのも面倒くさいと、セアの動揺は置いておくことに決めた。
それに、今回セアを連れてきたのは、異文化交流の目的もある。違いを知れたのはいいことでもあるだろう。
まぁ欲を言えばやはり、商売の話に少しでも慣れておいて欲しいから。どういう会話をするか、聞いておいて欲しかったが。
色々と脳内で考えを巡らせるが、時すでに遅いから、詮無きことと切り捨てる。代わりにオニマルの方に、より意識を向ける。
身体は元からオニマルの方を向いている。しかし心はまだ及び腰だった。憂いを断つ。セアのことをこの時に限り忘れようと思った。
放置していたセアからは後々何か言われるかもしれないが、それも受け入れよう。
決意して、オニマルにランバナ言語を使い話しかける。
「いやしかし、ここまで歩いてくるのは一苦労でしたよ」
その言葉に目を細めるオニマル。
「だろうな。ここへ来るまでに道は数あれど、人間の国から来るとなれば、どこも苦労は必死だ。決して楽なものとは言えぬだろう」
うんうんと頷くオニマル。その様子に緊張感を覚える。
豪胆なようで冷静な話し方。思ったよりもずっと、理知的な人物なのかもしれない。
顔付きは絶えず、感じの良さそうなものを浮かべながら、会話を広げるべく返答する。
「ええ、ええ。その通りです。ここへ来るまでにも沢山の難所がありましたからね。特にここの近くの水没都市……とでも言うのでしょうか? あの場所で動物に襲われた時は、生きた心地がしませんでしたとも。ええ」
そう言っても、オニマルは表情を変えることはなく、「ガハハ」と笑うだけだった。
おかしいな。予想だと今の事を言えば、ある程度は怯んでくれると思ったが。
顔には出さないが、内心でオニマルの評価を上方修正する。
だがしかし、目の前の人物がどれだけ優れていようと。状況的には完全に出来上がっている。もう上がるための牌は出揃ってるのだ。腹芸が俺より達者だとしても、それだけじゃ優位を取れないくらい、この里は今、状況が悪い。
ーー仕掛けてみようか。
「ええ。本当に。もう笑ってしまうほどの危険でしたよ。皆様はあんな動物がいる中で、生きているのですね……。本当に凄い」
自分にはとても無理ですよと、苦しそうにこめかみを指で叩いてみせる。しかしそれにもオニマルは一切動じず、相槌を打つばかりだ。
今までの反応を見るに、予想された態度。だろうなと考えて、さらにもう一歩、相手が踏み込んで欲しくないだろう領域に、踏みこむ。
「あんな危険があっては、子を持つ親御さん達はさぞかし不安なことでしょう。心中察するばかりです」
ピクリとわずかにオニマルの眉間が上がった。それに気づかないフリをしてさらに会話を進める。
「おや、そういえばここに着いてから、大人を貴方以外は見かけないのですが……。いったいどちらに行かれているのでしょうか?」
「……彼らは少し別件で出ている。商人殿と何か関係がおありか?」
部屋の中にわずかな殺気が飛ぶ。感覚を鋭利に研ぎ澄ませていた分、必要以上にそれを受け取ってしまった。少しだが、顔に出るくらい驚いてしまった。冷や汗をかきながら、思考を巡らせる。
会話の主導権を譲るのはまずい。今は揺さぶる時だ。さらに攻めろ。
この殺気に当てられていないか。セアの様子も気になったが、そちらを気にかける余裕はない。
憂いは立ったはずだろう? 自分に言い聞かせ、卑しく口元を釣り上げる。
「いえいえ。若輩者ながら心配になったのですよ。どうやらこの里では何かと入り用みたいですし……?」
最後の語尾を上げ、これは質問ですよといった意図を込める。この里で何が起こっているのかは分かっている。しかしそれでもこんな言い方をするのは、オニマルに意識させるためだ。これから自分が話すことの内容を。
もう一つの目的としては、自分は訳知りですよ、という印象を相手に植え付け、有利な立場を保ち続けるというのものだ。
複数の意味を込めた言葉を、オニマルがどう受け取ったかは分からない。しかし僅かに冷や汗が、流れたように見えた。
それを見て畳み掛けることにした。どれだけ踏み込んでいいのかは、慎重に判断する必要があるが、攻め立てる時だと自分に言い聞かせる。
「そうでした、そうでした。忘れていましたがこれを」
懐から乳鹿の皮を加工したものーー鹿皮紙を一枚取り出す。そしてそれを相手に手渡す。
「拝見しよう」
オニマルがそれを開く。俺はその途中に笑みを浮かべながら言う。
「それは私が今取り扱っている商品の一覧です。人間の語で書いてあるため、読みにくい所もあるでしょうから、一部読み上げさせていただきます。内容は香辛料、穀物類そして【アルゴザリードの干し肉】です」
「ふぅむ……」
……ついに素の反応を引き出せた。内心でやったと心を震わせる。
でも。うん……まぁ、そりゃそうだ。今この里で起こっていることを考えると、この反応は当然……。下手に演技をしないのも賢明だ。
余裕のある態度を崩した事によって、精神的な安定を少しだけ手に入れる。この隙を逃さずに、多少高圧的な態度で、相手を牽制する。話を有利にもっていかれないようにするためだ。
ようやく一呼吸できたが、まだまだ交渉は始まったばかりだ。次に備えるべく、すぐに呼吸を整える。それと同時にオニマルへの警戒度も引き上げる。
恐らく最も欲しているであろうものを見ても、それだけの反応だ。うーん、武人か何かだろうか? 度胸がありすぎる。
後の詳しい交渉ごとに備えて、この里に着くまでの間に起きた出来事を振り返り、もう一度相手の状況をよく考えてみる。
まず気になることがある。一つ目この辺りにアルゴザリードがろくにいないこと。あいつらの行動範囲は広い。
ここら辺にも餌となる生き物は多くいるだろう。いや……いただろう。まぁ、なのにだ。あの湖でのことから一転、アルゴザリードはおろか、どの【動物】にも出会っていない。
この里へたどり着いた時のことを思い出す。セアとのやり取りの中でこんな会話をした。『お前も成長した……予想よりもずっと早い』と。
あれは実際その通り……。セアの成長も確かにある。だがしかし、これだけ早く着けたのは、それだけじゃない。危険な動物に、一切合わなかったことも、その要因の一つだ。
オニマルを油断なく観察しながらも、頭は動かす。
二つ目。今度は逆にグルーガ・ハリフが水没都市にいたこと。
あの時も考えたが、本来あの生物は、あんな所にいるような動物ではない。あの大きな身体では、都市の残骸がある場所で、満足に動くことができないからだ。小回りのきく小魚に対して、それは酷く不利に働くことだろう。
その証拠に、あの時出会ったグルーガ・ハリフは飢えていた……。満足に食物を得れていない。
グルーガ・ハリフに出会った時、あいつは大きな肉塊を噛み砕いていた。あれだってようやく手に入れたエサだったのだろう。
あれの元々の住処は、滝壺や深い川や広い湖だ。なんにせよ、あの巨体を満足に動かせる場所でなければならない。
未だ鹿皮紙の内容を確認している村長を見て、まだ猶予はあると判断し、更に考えを張り巡らせる。
……三つ目。馬小屋に行く最中、そしてセアとこの村を見て回る最中、吊るされた魚の干物を多く見た。あれがどう言うことを表すか。
食べるために干したのはそうだろう。だが今大事なのは、そこじゃない。なぜ干した? それと、それがいつ行われたか? という二つのこと。
ここで二つ目のことを思い返す。ここらの近くで、魚が取れそうな所と言えば、例の水没都市だけだ。
だがあそこにはグルーガ・ハリフがいる。グルーガ・ハリフは非常に獰猛だ。加えてとても強い。生態系の頂点に君臨できるほどに。そんなものが住み着いた湖で、魚を安心して捕れるだろうか?
ここの文明の水準も考慮に入れて考える。どこの家も、人間の作ったものを、超えるほどのものはない。
つまりは文明の力を利用しての漁じゃない。恐らくはもっと原始的な……例えばそう。俺がセアの前でやったみせた、木の棒を槍のように尖らせて、投げて捕るとか。その類だろう。
そしてそんな漁をするなら、魚がいるところまで【近づかなければならない】。
ーーグルーガ・ハリフという、獰猛な生物がいるところで、そんなことが安心して出来るのか。
俺なら無理だ。あれの攻撃を避けながら、漁をするのは簡単じゃない。漁の手法は数あれど、どれも危険は伴う。例えば泳いで、例えば小舟の上から槍を投げて捕る。
でもそんなことをすれば、グルーガ・ハリフに当然気づかれる。
出来るわけがないのだ、漁など。あの生物が棲みついてしまった湖では。それに自分の推論を支持するように、干し魚の間隔も空いていた。
満足に取りきる前にグルーガ・ハリフが現れたのだろう。
彼らが当時どうしていたのかを、時系列を整理しながら落ち着いて考えていく。
そして出た結論は一つ。
つまり魚は、グルーガ・ハリフがいない時期に獲られていた。
ーー最後だ。四つ目……。
続きを考えようとした所で、声がかけられていたのに気がついた。
「んーゴホン。声をかけているだが……聞こえないのか?」
「あっ! いやいやこれは失礼。それで中身は確認してだけましたか?」
「おぅ。それでこんなものをオレに見せて何の用だ……?」
商人なんだから、そんなもの一つだ。相手だって分かっていることだろう。なのにそう言うのは、威圧意外の何ものでもない。「たはは」とわざとらしく笑って、受け流す。
ーーそして考える。
この村はレコリィ信仰だということを。村長の家に、レコリィの偶像がある時点で、それはほぼ間違いない。そしてどの宗教でもそうだが、宗教にはそれぞれ決まりごとがある。例えば挨拶をする時に、独自の動きをしなければならないとか。
口元を右手で隠して更に考える。
例えば、教徒は主神の好むものと、同じものを食べなければならないとか。
俺はすっと、口元から右手を外す。いよいよだ、いよいよ開戦の合図だ。温度を下げた、冷淡な声音で告げる。
「この里。食糧事情がきつい。いえ……困窮してますよね?」
レコリィの主食は肉。その決まりを破ってでも、魚を捕る必要があった。また、この里から近い水没都市の湖は、グルーガ・ハリフの出現によって、使えなくなった。
だからこそ大人達が、恐らく遠い場所で狩りを行なっている……つまり、そういうことだろう?
「さて、それらの商品如何程で買っていただけますか?」
最後にニッと意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
第51話 終了




