第26話 1050食のパスタ
シグリアさんに案内されてやってきたのは、清潔感のある洒落た店のテラスだった。そこにはテーブル席が行儀良く、一定の間隔を開けて並べられていた。
シグリアさんは眺めるようにして、それらのテーブル席を歩きながら見て回る。そして一つの席の前で立ち止まった。そこのテーブル席には、一人の少女が座っていた。その少女はわたし達の存在に気がつくと、にぱっと柔らかな笑みを見せた。
「遅いよ〜シグー、ドルバちゃん」
「おう! 悪いな。待たせたなミリア」
「うん、ドルバがまたやらかしてね。それのせいで遅れたんだ。ごめんね、ミリアちゃん」
「なに人に罪を押し付けてんだよ」なんてドルバさんが続けて言う。それに対してシグリアさんは、困ったような顔で愛想笑いをしていた。
ここまでのやりとりから、彼等三人の間に、遠慮というのが無いように感じられた。でもそれは嫌な遠慮の無さではなく、気心知れた友人達が騒いでるような感じだ。
視線に気づいたのか、ミリアと呼ばれた女の子が、しずしずとわたしを眺めて呟く。
「ところで……この子ってだ〜れ?」
ミリアさんがそう言うと、すぐにシグリアさんは頭を抱えた。その様子を擬音にして例えるなら、あっちゃ〜だろうか。
「バッカだなお前は! ミ〜リア〜!!」
「ええ〜。なんだっていうの〜! ド〜ルザック〜!」
なんですかね? そのノリ。
ポカーンとしていると、シグリアさんが間に割って入った。
「ミリアちゃん。この人はね……セアさん。僕等が酷い間違いをして、殺人鬼の代わりに捕まえようとした人だよ」
申し訳なさそうな顔で言うシグリアさん。それを頷きながら聞いていたミリアさんは、彼が言い終わると、最後に「うん?」と首を捻って。
「誰だっけ?」
呟いた。
おっとぉ……。流石にわたしでも驚くぞ。
ただ隣には、ありえないくらい取り乱しているシグリアさんがいた。彼の事を想うと、とてもミリアさんに何か言う気にはなれなかった。
「本当にお前はバッカだな! ミリア〜! こいつは俺たちが殺しかけちった女だよ!」
ドルバさんが演者のように、手を上空に広げて言う。するとミリアさんは理解したのか、手をポンと叩いた。それでパッと顔を明るくさせて言う。
「わたし達が殺っちゃいそこねた女の子だ!」
花開くような満開の笑顔でそう言った。それを聞くや否や、シグリアさんは目尻に涙を浮かべ、彼らの肩を強く掴んだ。
「お前ら〜〜〜! 言い方が、言い方が!」
シグリアさんは二人の肩を揺らしながら喚いた。
「ああ〜揺れる〜楽しい〜♪」
「アッハッハ! 言い方なんざ、どうでもいいじゃぁね〜か! ミリアが思い出せたんだからよぉぉぉ〜〜」
二人はそれぞれ異なった反応をシグリアさんに返した。
一人生真面目に苦しむシグリアさんを見ていたら、助け舟でも出した方が良いかもしれないと感じた。なので彼の肩を叩き、こちらに気付いてもらうと、その場でゆっくり首を横に振った。
それを見て、悟ったようにシグリアさんは肩を震わせた。
✳︎
「ええ〜それでは、改めて自己紹介を……。
僕は王国聖騎士団コスタリカ、剣兵のシグリアと申します。これまでの度重なる無礼、心より謝罪いたします。僕なんかの謝罪で、許されるはずはないだろうけど……。
本当に申し訳ありませんでした。それと先程までのこちら側の不適切な発言の数々、それに関しても謝罪させていただきます」
シグリアさんはかしこまって、一礼をする。その後、ドルバさんが礼儀正しく振る舞う彼の肩をどついて。
「同じくドルバだ!」
あっけらんかんとして言うのだ。うん、凄くいい顔をしている。
最後にミリアさんが、そんな二人を抱きしめるように、横から雪崩れ込んで、「ミリアだよ〜」と歌うように自己紹介してくれた。
そんな彼らのやり取りを見ていたら、なんだか警戒する必要が無さそうに思えたー最初からする気もなかったがー。
シグリアさんは一人、どんどん表情を暗くしていたが、わたしはそこまで気にしていなかった。
むしろここまで素の様子を見せられると、温かな微笑みだって漏れてしまう。なんだか安心して来たので、聞きたいこともあったし、自分も彼らに習って自己紹介をすることにした。
「わたしはセアと言います」
今まで自己紹介して来た中で、誰よりも簡素で簡潔なもの。けれど他に付け足せることがないのだから、仕方ないだろう。それにだからこそ彼らに尋ねたいのだし。
「記憶喪失なのは知っていますよね? ……多分」
ただ本題を聞く前にこれだけは尋ねておかなければならない。これを分かってもらえていないと、今から自分が言おうとしていることが、まるで要領を得ないものになってしまうからだ。
シグリアさん達は少し困惑したような様子だったが、やがて意を決めたのか、うんと頷いた。
「僕らの班の中でその情報は、アスハ副剣士長の名前のもとに共有されたからよく知っているよ。でもだから……という訳ではないけれど、本当に申し訳ないことをしてしまったと思ってる」
シグリアさんに思わぬ形でまたも謝られてしまい狼狽する。けれど彼がわたしのことを気遣って、「それで何か?」と重ねて聞いてくれた。なので心の中で感謝しつつ、彼らに尋ねた。
「わたしのことを知りませんか?」
そう言った後、シグリアさん達は、その質問は分かっていたよ、そう言いたげに目を瞑り出した。ミリアさんだけは上の空だったが、そんなことはどうでもよくて。しばらく間があった後、彼はこんなこと言った。
「ごめんね。僕らは……多分君のことを知らない。それはきっと……僕らの上司の話になるけど、ユークリウス剣士長でもアスハ副剣士長でも知らないと思う。
酷なことを言うけれど、知っていたら剣を向けていない」
考えてみれば当たり前なことだった。それもそうだろう。知ってる人に向かって、出会い頭に剣なんか向けないだろう。当然のことだというのに、何故か落胆の気持ちは大きかった。やっぱり、どこかにまだ、断ち切れない気持ちがあるのかもしれなかった。
「うん……でも取り敢えず、そろそろ席に座ろうか。お店の人に、怪訝な目で見られ始めてるからね」
シグリアさんは促すと、コトンと椅子を引き席に座った。
明確な言葉にこそしないものの、シグリアさんがわたしのことをどれほど気遣ってくれているのかが、痛いほど分かった。なのでありがたくその助け船に乗せてもらう。わたしも彼らの後に続いて椅子に腰掛けた。
「好きに選んでいいからね。ここはお詫びも兼ねて、僕が全部奢るから」
穏やかな顔と優しげな声で語りかけるシグリアさん。
「あ……ありがとうございます」
なるべく明るい声で、感謝を述べる。これ以上気を遣わせたくなかったから。だがそこへ、わたしなんかのより数十倍賑やかな声が響いた。
「まじか!? 奢ってくれんの、シグリアーー!? やっホゥ! 色々頼もうぜミリア〜!」
「なっ、そんな訳ないだろ! お前らは自分で出すんだ!」
先程までの雰囲気を一瞬で、なかったように吹き飛ばす彼らは、心底気持ちのいい人達なのだと思った。
だからこそ、今、何も喋らないで、黙々とお品書きを眺めるミリアさんのことが気になった。せっかく初めて見た同年代の女の子なんだから、何か尋ねてみたかった。
声をかけようとすると、ミリアさんはお品書きから顔を上げ、ぱっと明るい顔をした。それは何も、わたしが話しかけようとすることを喜んだのではなく、ただ単純に食べたい物が見つかったとか、そういう喜びに見えた。
にまにま笑みを溢れ落とすミリアさんは、木でてきたお品書き表の一つを指差してこう言った。
「奢ってくれるの〜? じゃぁーわたしはぁ。パスタで」
ミリアさんがそう言った瞬間に場が固まった。一瞬のうちに氷に包まれたとでも言おうか。二人ともさっきまでの口論は何処へやら。一ミリたりとも動かない。
微動だにしない二人の様子に、流石に疑問を感じて質問する。
「……いったいどういうことです?」
口にすると、シグリアさんが鈍い動きで、こちらへと振り向いた。
「このミリアって女の子はね……クレイジーパスタ野郎なんだ」
「クレイジーパスタ野郎?」
疑問を返すと、それに対して「ああ」とシグリアさんではなく、ドルバさんが返してくれた。そしてそのまま話し手は彼に移っていく。
「ミリアはな……普段はおっとりとした雰囲気で、いかにも騙しやすそうなアホにしか見えないが。なんつーか、こだわりが強くてな」
「はぁ……こだわり」
「ああ。お前は記憶喪失だから、知らないかもしれねーが、この世界の一年間の日数は、深淵月を除いたら365日だ。そしてその365日の中であいつは、350日パスタを食べる」
──何を言われたのか理解できなかった。
でもまぁ取り敢えず相槌だけは打っておこう。それにしても350日か。
「へぇ〜」
待てよ350日?
「へぇ〜〜〜〜〜」
350、350。……350!?
「350日パスタですか!!??」
ドルバさんとシグリアさんは無言でうなづく。そして付け足すように、「しかも、俺たちも毎食付き合わされる」と絶望を語った。
「えっ……いやだって350日ってことは、あなた方は一年間に1050食パスタを食べることになりますよ……?」
二人はコクリと頷いた。
「もっと簡単に説明すると、僕等は20日間すら他のものを食べることができない」
涙を流しながら喋るシグリアさんに、同情心が湧いた。
「も〜う、人聞きが悪いなぁ……! たかだか347日じゃないか〜」
弁明をするミリアさん。けれどそこまできたら……もう誤差ですよ。